第7話

 翌朝、目を覚ました私の部屋に、明莉はいなかった。

 一緒に出掛けようと言っていたのに、どこをほっつき歩いているのだろうか。幽霊が携帯なんて持っている訳が無いので、連絡もとれない。

 本当に何を考えてるんだ、あの子は。

 ひとまず身支度を整え、外出できる用意をする。

 現在、九時四十五分。昨日は、十時には家を出ようか、などと話していたのだが、彼女はそれまでに帰ってくるだろうか。

「……明莉」

 どこかで悪霊化していなければ良いのだが。

「なあに?姫乃ちゃん」

「うわぁ!」

 突然聞こえた明莉の声に、思わず飛び上がった。なにしろ、返事がある事など全く予想していなかったのだ。

「ひどいなぁ」

 明莉がけらけらと笑う。

「いきなり声かけてきて、何言ってんのよ。ていうか、今までどこ行ってたの?」

「神様のところ」

 不機嫌さがにじみ出た声色の私の問いに対し、彼女は悪びれる風もなく、そう答えた。

「神様って……昨日の神社?」

「うん。神様、すごいんだよ。テレパシーが送れるの!神社の敷地内限定みたいだけど、それでも十分すごい」

 無邪気にはしゃいでみせる明莉。その姿を見て、ほんの少しの苛立ちを感じている自分がいた。

「良かったじゃない。楽しそうで」

 当てつけるように言う。すると、明莉は困ったように微笑んだ。

「ごめん、心配かけた?」

「別に。ほら、出掛けるよ。明莉が行きたいって言ったんでしょ」

 また、そっけない態度をとってしまう。

 あの日もそうだった。彼女が私を拒絶しないと、そう信じていたから。そんな訳がないのに。別に、私が全部悪かったとは、今でも思ってない。けれど、自分の言動に、全く後悔していないと言えば──それはやっぱり、嘘になるのだろう。

「……姫乃ちゃん?」

「え?ああ、どうしたの?」

「もう、急に遠い目して黙り込んじゃうんだから」

 明莉の態度は、一年前となんら変わらない。それは、この特殊な状況のせいなのだろうか。だとしたら、早く終わってしまえばいいのに。イレギュラーのなかで私が感じているのは、途方もない居心地の悪さだ。

「なんでもない。ほら、行くよ」

 誤魔化すようにそう言って、明莉と目を合わせないまま、部屋を出た。


 ✿


 ピンポーン。ボタンを押せば、チャイムが軽快な音を鳴らす。

 しかし、それに対して私の気分は重く沈んでいた。

「はーい。どちら様……」

 インターホン越しの声が、私を認識して固まったのがわかった。

「ねえ明莉。私、もう帰っていいかな」

「姫乃ちゃんが行ってくれるって言ったんでしょ!?」

「いや、だって……」

 その時、私の反論を遮るように、音をたててドアが開いた。

「岩崎さん?何の用?そもそも、何で私の家を知ってるのよ」

 ドアの向こうから現れたのは、中学時代のクラスメイト、高坂玲奈こうさかれなだった。

 記憶に残る姿と、そう変わらない。サイドテールの髪、程よく日焼けした肌、整った顔立ち。私にだけ、つっけんどんなその声も。本当、嫌になるくらいそのままだ。

「明莉から、聞いた事がある」

 明莉の名前を出した瞬間、玲奈の顔が曇った。

「そう。それで、用事は?」

「明莉の話が聞きたい」

 目を合わせずに、そう言った。自分の声がこわばっているのがわかる。彼女の事は苦手だ。中学の時から、ずっと。

「はあ?」

 玲奈の返事は、冷たかった。こちらを睨みつけるその目には、静かな怒りが宿っていた。

 後ろから、ひゅ、と息をのむ音が聞こえた。明莉のものだ。そして彼女は、祈るように呟いた。

「お願い」と。

 玲奈とは仲が良かったはずの明莉が、怯えたような素振りを見せている。その姿は、あまりに哀れだ。だから私は、玲奈に届く事のない彼女の言葉を、代わりに声にした。

「お願い」

「何で。どうして、今さら明莉の事なんて聞きに来るのよ!もう、何をどうしたって、あの子は戻って来ないのに!」

 違う。明莉はまだここに居る。生き返る事はもうないけれども、まだ『全て終わってしまった』とも、言えないのだ。

「それでも、今私にできるのは、これだけだから」

 わざと外していた視線を、しっかりと玲奈に向ける。数秒、私達は何も言わずに見つめ合った。

「……わかったわ。立ち話もなんだから、上がって。今日は親もいないから」

 根負けしたように、彼女は私を迎え入れた。明莉の方からは、ホッと息をつく音。

 後ろを着いてくる幼馴染の姿を確認しつつ、私は玲奈の家に上がり込んだ。まるで、敵地に赴く兵士のような気分で。

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