お盆をすこしすぎた日の夕方、さびれた漁港で遠くから聞こえてきたピアノの曲についての話

 田舎の町で、翔太の家の向かいにはおばあさんが一人で住んでいた。翔太のうちは祖父母と両親、翔太たち兄弟とにぎやかだったので、ひとりでどう暮らしているんだろうと小さい頃不思議だった。

「ばあちゃん、さみしくないの」

 子どもの無邪気さは残酷さと紙一重で、そんなふうに尋ねたこともあったはずだ。祖母はこれ、と翔太をたしなめたが、そのおばあさんはにこにこ笑って言った。

「さみしくなんかないよ。昔はうちもにぎやかだったけど、今はこっちの方が気楽だし、たまに会いに来てくれるしね」

 確かに、盆や正月はよく車が集まっていた。翔太の家は、祖父母の元におじやおば、いとこたちが泊まりに来る方だったので、そんなふうに泊まりに来た人たち(しかも、ふだんは彼女一人しか住んでいないから部屋が広く使えるはずだ!)がうらやましかった。

 その年のお盆を少し過ぎた頃、翔太は用水路でいとこたちと遊んでいた。

「せーのでいくぞ」

「よし」

「せー……の!」

 それぞれが作った笹舟を一斉に流して、あとを追って走る。時々ふたがかかっているところは舟が見えなくなって、先回りして誰の舟が一番に出てくるのか待ち、また走る。

 走って走って、だんだん舟で競っているのを忘れ走ること自体に夢中になり始めた頃、ふとなじみのない音が聞こえてきて、翔太の足が止まった。

 いつもと同じ、潮の匂い、波の音、少し離れた交差点から聞こえる、トラックのエンジン音。それに混じって耳に届く、ひとつのメロディ。

 ふだんは学校の音楽室や体育館でしか聞いたことがない、ピアノの音だ。

 だれかが、向かいの家でピアノを弾いている。

 あの家の居間には古いピアノがあった。昔娘さんか誰かが習っていたそうで、みんな家を出て行った今は物置にしているのを、知っている。誰かが来て、帰る前に、ピアノを弾いてもらうのだとおばあさんは言っていた。

 ――たまには弾いてもらわないと、このピアノもかわいそうだからね。まあ、音は少し狂っているみたいだけど、わたしには分からないからねえ。

 ああ、だれかが帰るんだ。

「おい翔太あ! 早く来いよ!」

「おいてくぞー!」

 ずいぶん先まで走っていたいとこたちが、大きく手を振って翔太を呼ぶ。今行く、と叫び返して走り出すと、風がびゅんびゅん耳元でうるさくなって、ピアノの音は聞こえなくなった。

 ああ、もうすぐ、みんな帰ってしまう。

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