私的な記念日に、地下鉄の改札の前でした、子供の頃騙されてビー玉を食べたことの話

「記念日なんだ」

 と言った。

 何の変哲もない火曜日。珍しく休みを取って出かける準備をしているからどうしたのと尋ねると、寂しそうに笑う。

「なんの記念日?」

「従姉妹の」

 従姉妹のなに、と聞こうとしてふと気付く。このひとには従姉妹はもういないはずだけど。少し前、仕事仲間の身内に不幸があって喪服を出したとき、そんな話をした記憶がある。あまり踏み込まない方がいい部分だろうか。

「一緒に行こうか」

 けれど同じ笑顔でそう言うので、小さい子みたいに手を引かれ、とぼとぼついて行った。


 彼女はひどいひとだったのだ、とぽつりぽつり話した。一人娘だったから、少し年下の従兄弟がおもちゃだったのか、卵を暖めれば雛が孵ると言われ、スイカの種を飲めばヘソから芽が出ると教えられ、日付が変わる瞬間ジャンプすれば空を飛べると信じ込まされた。

 極めつけはビー玉は高級なあめ玉、カラフルなものほど高価でおいしいという嘘で、食べようとしているところを祖母に見つかりおまえは従兄弟を殺したいのかとこっぴどく叱られ、それが最後の嘘になったそうだ。

「大人になってからは、あんまり会ってなかったんだけど」

 最後に会ったのがこの改札だった、と乾いた顔で笑った。

「出張でここまで来たからって久しぶりに会って、飯食って、話して……楽しそうに仕事の話してたんだけど」

 そのすぐ後に、彼女は誰にも渡れない橋を渡ってしまった。

「ばあちゃんに怒られてからは、嘘ついたことなんてなかったのに……まさかあのとき話してたことが全部嘘だなんて思わなかったから」

 話の中で、彼女は充実していた。仕事は楽しい、評価してもらえる、仲間にも恵まれている、このまま続けていきたいと語ったけれど、本当はぼろぼろだった。

「後から、ああそうだったのかって思っても、もう遅いし、無意味なんだよな。おかしかったのに……変だったのに、おれは、そのあとも、ふつうに」

 強く強く拳を握りしめているので、手のひらに爪のあとが付いているに違いない。その手の中には鮮やかなビー玉があって、命そのものみたいに握りしめて放そうとしなかった。

「こんなの帰り際に渡されて、変なやつだとしか思わなかったなんて、ばかすぎる」

 語り口に怒りと後悔が見えたが、静かで涙はなかった。だから慰めたりせず、事実を語るのをただ聞いていた。改札を行き交う無数の人を見送って、駅員が不審の目を向け始めた頃、ありがとうとぽつりと言った。

「ありがとう、聞いてくれて」

「うん」

 少しだけ拳が緩んだので、間に指を滑り込ませる。硬いけれど温もっている、ビー玉に指先が触れた。

「ありがとう、話してくれて」

 お返しのようにそう言うと、ふふっとかすかに笑う。

「今日は、記念日だから」

「なんの?」

 初め聞けなかったその意味を問うと、また目を細める。

「嘘をつかれたんだ。今日はエイプリルフールの逆で、嘘をついちゃ行けない日だって世界中で決められてるんだよ、って」

 まあそれが嘘だったんだけど、と続けるので、わたしも小さく笑った。

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