第四章 第一節 名誉
アレイナが侯爵と戦ってから、投降するまでの軌跡 第四章 第一節 名誉
侯爵の館の内部は光と闇の魔法が焼き付きまだらとなり、天井には大きな穴が開いた。
館の中で私と侯爵の戦いを見た者は、すっかり怯えて座り込んでしまった。
私はシグナルから魔法を抜き鞘に入れると、鞘ごと腰から外して侯爵に差し出した。侯爵はそれを受け取る。
マガルハの敗北の儀式だ。
「良い仕合だった」
侯爵は満足げだ。
「そなたを、
「はい、喜んで」
私は仕合を堪能した。負けたが満足だ。これでいい、私は全てを差し出しに来たのだ。
「誰か、ティアラを持て」
侯爵はまわりを見て苦笑した。立っている者はほとんど居なかった。
近臣の一人が立ち上がると侯爵に急いで駆け寄った。
「それは貴族の待遇です。マガルハとはいえ投降したばかりです」
「近習にすると私は言ったぞ」
近習は貴族がする役割だ。
「はい、仰せのままに」
侯爵は天井に開いた穴を見上げる。
「雨漏りがするな。そなたと戦う度に、この館にはがたが来る」
「館は侯爵閣下を守りません」
「だからといって、壊さないでくれ」
侯爵は薄緑色の瞳で私に微笑んだ。
ようやく役目を思い出した侍女が侯爵の右肩の止血をする。
侯爵は自分の椅子まで歩いて座ると、片肘をついた。
「しばし待て、以前の近臣はそなたらに皆殺しにあったからな。皆まだ慣れておらん」
私は貴族ばかり狙って十九人殺した。大きな痛手だっただろう。
ようやくティアラが侯爵の手許に届いた。
「戦時の対応なのは申し訳ない。それだけの人員が居ない」
私は階段の下にひざまずく。
侯爵は、ティアラを両手で持つと私の目の前に立った。
「モラリア王国に住まう帝国外の民ガナトリアのアレイナに問う。そなたは、帝国常民として帝国および皇帝アラファナイス・ヤスト・カ・カッセリア陛下に忠誠を誓うか」
「誓います」
帝国では平民を常民と呼ぶ。
「ガナトリアのアレイナ、そなたをカリアス侯爵メライア・ラッハ・ツディスの名によって帝国貴族とする」
「帝国貴族として帝国および皇帝アラファナイス・ヤスト・カ・カッセリア陛下に忠誠を誓い、帝国とその臣民の守護に務め、帝国の繁栄のために尽くすことを約束します」
返答の言葉をなぜ知っているかというと、デノリスで習った。デノリスのマガルハ養成学校は本来帝国のためのものだ。だから領主の支援を受けていない上位卒業者を帝国に引き留めておきたかったのだ。
「帝国はそなたの忠誠と貢献に応じて恩恵を与える。アレイナ・ロイ・トレア、これからのそなたの名前だ」
あらかじめ用意されていたようだ。
侯爵はティアラを私の頭に乗せる。ティアラは滑り落ち額のところで止まった。
「大きさは、あとで調整してくれ」
「アレイナ・ロイ・トレア、帝国はそなたを、マガルハとして帝国の戦士に任ずる」
「帝国の戦士として、帝国の安寧のために戦うことを誓います」
「アレイナ・ロイ・トレア、皇帝アラファナイス・ヤスト・カ・カッセリア陛下はそなたの忠誠に応じて、この私カリアス侯爵メライア・ラッハ・ツディスを通じて、暫定的に魔法刀シグナルを授ける」
「拝領致します」
侯爵はシグナルを横に持ち私に返す。両手でそれを受け取った。シグナルは闇市場から調達したのもだ。戦死したであろう元の持ち主がいるので、兄の遺品とはいえ、いずれ皇帝の塔三階にある戦士の部屋に返納しなければならない。替わりは皇帝もしくは侯爵を通じて頂く。
「アレイナ・ロイ・トレア、そなたを私の近習に任ずる」
「家臣としてカリアス侯爵メライア・ラッハ・ツディス閣下に忠誠を誓い、その職務を忠実に果たすことを約束します」
*
「味が分からぬか」
晩餐の席で侯爵は私に問うた。私が肉を除けているのを見て取ったのだ。
祝宴のようなものは無かった。私は無主の兵士の指揮官ではあったが、侯爵の家臣となった時点でもう独り身で、後ろ盾は侯爵のみだった。
そもそもマガルハとは言え昨日まで侯爵軍の兵士を殺戮していた無主の兵士あがりの貴族を、歓迎する者は居なかった。したがってこの晩餐は二人だけのものである。
テーブルには酒の類いは無く、水差しと銀のコップだけが並んでいる。侯爵も既に酒には酔えない。
「はい、侯爵閣下。味覚を失ったようです」
私は付け合わせだけを食べる。
「気にするな、私もいずれそうなる」
「私は特異体質です。魔法汚染が早く進みます」
「遅かれ早かれ同じこと、明日からは焼いた肉は届けさせないようにしよう」
「ありがとうございます」
配慮をしてもらって良かった。ポテトフライはもう食べられない。ポテトフライの本来の味も忘れてしまったが。
「近臣をそなたに皆殺しにされて以降、帝国各地から人を集めているが、まだ信頼は出来ない。独り身なのはそなただけでは無い。二度刃を交えたそなたが一番信頼出来る」
「刃を交えたが故に侯爵閣下の瞳に惹かれました」
薄緑色の瞳に強く執着するのはなぜだろう。今でも分からない。
「恋する乙女のようなことを言う」
「侯爵閣下、なぜマガルハに」
素質があっても、事情がない限り女性はマガルハの道を選ばない。帝国戦士の中でも最高の名誉が与えられているとは言え、その任務は過酷だ。
私は女一人で身を立てるために選んだ。私は同性愛者だ。十四歳の時点で結婚を受容出来ないのは分かっていた。
侯爵はその質問には答えなかった。
「腰後ろの魔法短刀はデノリスの首席卒業記念品だな」
帝国生まれのマガルハである以上、当然侯爵もデノリス出身だ。
「モラリア王はマガルハには興味がありませんでした。首席入学ですから授業料も生活費もかかりませんでしたが、魔法刀を得る
私は領主の支援を受けていなかったため、魔法刀を得ることが難しかった。魔法刀は極めて高価だ。可能性があるとすれば首席卒業記念品の魔法短刀しかなかった。そのため首席卒業を目指した。
「そうか、デノリス卒業時そなたを望んだ帝国領主は多かろう。遠回りをしたな」
「そうかもしれません」
五年生の首席を取った時、デノリスは帝国に残る選択肢を私に提示した。
それからは有利な条件を得るために首席卒業を目指した。デノリスで五年間愛した後輩のヌミアと駆け落ちするために、貴族の地位が欲しかった。でも恋は成就しなかった。
「いずれ皇帝陛下にお目通り願わねばならない。敵から
主要戦略正面というのは帝国の拡張方向とも言い換えることが出来る。
兄シオメンの作戦提案にモラリア王が乗らなければ、帝国は諸王連合を当面放置したということになる。副指揮官として侵攻に参加した私が、今度はモラリア王国を征服する側にまわるというのは、モラリア王にとっては迷惑な話かも知れない。
「あとで、そなたを呼ぼう。体を清めてくれ」
私は水で食事を流し込んだ。
*
私は沐浴場で体を洗う。
「本当に綺麗な白い髪です」
使用人は私の髪を誉めた。
「誉める者は少ない」
「侯爵閣下の髪も色が薄くなっています。魔法汚染は仕方のない事ですが、誰かが誉めなければ、浮かばれません」
地位の高低を問わず、魔法汚染は歓迎されない。生殖能力を失う時点で、多くの人にとっては致命的な性質だ。
侯爵の分も含めて感謝を口にする。
「ありがとう」
「ティアラを試されますか」
半年前の襲撃を生き残った使用人は、信頼に足ると判断してティアラの調整をお願いした。
沐浴場の岸辺に上がると、使用人はティアラを頭に乗せる。
「丁度良いですね。あとはこうします」
使用人は後ろから濡れた髪を手櫛でかき上げると、ティアラの後ろの金具を隠した。
沐浴場の鏡に姿を映す。白い髪の上で、銀製のティアラが光る。
「ふふ」
「どうされました」
本来戦いとは無縁の女性の貴族に、剣の代わりに贈られるティアラであるが、これは帝国への忠誠の証だ。兄の束縛から逃れた先が、帝国貴族というのも皮肉かも知れない。でも悪くない。
私は無主の兵士として殺しすぎた。そしてこれからも沢山殺すだろう。皇帝の名によって。いずれ死して皇帝の塔三階、戦士の部屋に、不可分の魔法刀とともに名誉と罪が刻まれるだろう。私はマガルハだ。名誉無しには戦えない。あるべき場所に戻ったのだ。
「それで、気を悪くなされると申し訳ないのですが、侯爵閣下が
「侯爵閣下も酔狂な」
体を拭いてもらうとガウンを着込む。
デノリスで組仕合の組を作ると、多少なりとも相手に同性愛的な感情をいだく。私とヌミアがそうだったように。全面的な信頼関係が必要とされているからだ。侯爵も経験があるのだろう。
使用人に案内されて侯爵の寝室におもむいた。
侯爵は窓を開け、魔法刀を手に持ち全裸で窓枠に腰をかけている。
私より傷跡が多く有ったが、新しいものは左背中の傷と右肩の包帯だ。
いずれも私がつけたものだ。
「侯爵閣下、私は女性と体を重ねるのは初めてではありませんがよろしいですか」
「知っている。お互い魔法汚染された身なれば、批難する者はおるまい」
「そばに行っても」
「アレイナ、来てくれ」
ガウンを脱ぎ捨てると、私はシグナルだけ持って窓枠に腰をかけた。
「髪を乾かしている」
薄緑色の瞳が何かを見ている。
「トトノアの花が散っています」
丘の上の焼け残った木から花弁が舞い散る。
次の朝、目を覚ますと侯爵はベッドの中でまだ眠っていた。
窓を閉めるのを忘れたので部屋の中が寒い。もう一度ベッドに潜り込む。
ベッドの中に入れたシグナルと侯爵の魔法刀がぶつかって音を立てた。
*
四ヶ月後、アトミアのジリアスが侯爵領中の無主の兵士の指揮官として、侯爵の館を訪れた。
私が侯爵に投降した事によって、カリアス侯爵とモラリア王国との軍事バランスは崩壊した。無主の兵士は完全にモラリア王国を見限った。モラリア王は身の危険を感じて、モーラス城を放棄してカラト城に撤退した。
侯爵は直ちにモーラスを侯爵領に編入し、帝国に組み入れた。
リリアナに戦災が及ばなかったのは幸いだ。
侯爵は椅子に座り、私はその左背後に立つ。
「一度刃を交えた身ではありますが侯爵領における無主の兵士の地位を保全したく参りました」
指揮官の礼装をしたジリアスはひざまずいて、謁見を受ける。
「良く覚えている。私の側近を皆殺しにしてくれたな」
侯爵はさらりと言う。
「新たな近臣を得ておいでのようです」
「アレイナ何か言いたいことはあるか」
侯爵は私に話を振る。
「ジリアス、兄のことをありがとう」
「丁重に埋葬致しました」
「九ヶ月前の戦いで兵が足りない、歓迎する」
侯爵は皮肉を込めた口調で、ジリアスの謁見を続けた。
終わり
アレイナが侯爵と戦ってから、投降するまでの軌跡 しーしい @shesee7
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