第三章 第二節 仕合
アレイナが侯爵と戦ってから、投降するまでの軌跡 第三章 第二節 仕合
「アレイナ、もう遅いので泊まると良い。ここに来るまで魔法も使ったであろう、服も換えた方が良い」
侯爵は椅子から立ち上がる。魔法刀を握った左手を見るに、左腕の骨折は問題ないようだ。
「客人として扱う」
「ありがとうございます」
まず沐浴場に案内された。ここに来るまで一度川で沐浴したが、完全に血を洗い流せたわけでは無い。深い水に浸かれるならそれに越した事はない。
服を全て脱ぐと、シグナルだけ持って水に入る。
使用人の女性が一人ついて、体を拭いてくれる。
「沢山の傷があります」
「醜いか」
「いえ。侯爵閣下もそうですから」
侯爵も場数を踏んでいるのであろう。侯爵は侯爵家に生まれながら女身でマガルハとなる事を選択した。その上で侯爵となるのは並の苦労では無かったはずだ。
「私は半年前の戦乱の生き残りです」
使用人は告白する。思わずシグナルの
「お客様、どうか警戒なさらずに。恨みが無いわけではありません。半年前の侯爵閣下とお客様の戦いを見ていました。恐ろしかったですが、それがマガルハなのですね。その尊厳の一端を見た気がします。明日の仕合では、両者にご武運がありますように」
「ありがとう」
「お召し物はこちらに、お食事は後ほど部屋にお持ちします」
真新しい服に袖を通す。マガルハの服だ。生地も高級で侯爵のものかも知れない。
部屋に案内されてベッドに横になる。こんなふかふかのベッドは久しぶりだ。
だが寂しい。もうリリアナは隣にいない。マチアを気持ちよくして上げる事も出来ない。
それが私の選択だ。
食事はパンと、チーズそしてシチューだった。いずれも味がしなかった。でもどうでも良かった。もうポテトフライの味が分からなくなりつつある。味の無い世界に慣れるしかない。でも油の浮いた肉だけは勘弁してもらおう。
*
翌朝、私と侯爵の仕合が始まった。
場所は庭園だ。もっとも焼けてしまっているので、庭園跡と言うべきか。
「アレイナ、では始めよう」
「侯爵閣下の抜刀で」
侯爵が鯉口を切ると、私も素早くシグナルを抜く。そのまま互いに平行に走る。私はシグナルに氷の魔法を込めた。侯爵は炎の魔法だ。
私は右足を軸に、体を回転させると、左上から袈裟懸けにシグナルを振り下ろす。
侯爵は下から斬って上げ、シグナルを跳ね上げる。跳ね上げられたシグナルを素早く戻すと、鐔迫り合いに入った。
「アレイナ、この半年間何を考えていた」
「我が身の振り方を」
「心残りは」
「ただこの仕合を残すのみです」
侯爵は腕の力を使って、私を押して鐔迫り合いを解消した。
互いに正眼の構えで間合いを取り合う。
先に間合いを割ったのは私で、シグナルを伸ばして侯爵の喉を突きいく。
侯爵は身を低くして刃を避けると、胴を斬りに来る。
私は侯爵の足を小外刈にかけた。侯爵の切っ先は地面をとらえ、土が焼ける匂いがひろがる。そのまま左足で膝蹴りを狙う。
侯爵は前転でそれを避けた。
体勢を崩した侯爵は、苦し紛れに炎の矢の魔法を連続して放つ。
私は横に払い、シグナルで炎の矢を打ち消した。
「アレイナ、強くなったな。うれしいぞ」
私達は再び横走りで相手の隙をうかがう。
館が近くなり、見物人が怯えて距離を取った。
私は正眼の構えのまま駆けると侯爵の間合いに入る。侯爵は突きを警戒して、刀身で受け流す。私はシグナルを小さく払い、侯爵の構えを崩そうとした。
侯爵は上段から振り下ろす。私はシグナルで横に受けると、足払いをかけた。これは読まれて距離を取られた。
私はシグナルから氷の魔法を抜き、闇の魔法を込める。侯爵は意外だったようで驚いた顔をしたが、光の魔法を入れた。
正眼の構えで再び隙をうかがい合う。
「侯爵閣下は私の全てを望まれるのですか」
「そうだ、そなたの全てだ」と言うが早いか侯爵は突きを入れた。
私はシグナルを横に振り、侯爵の魔法刀をはじく。
侯爵は引いて間合いを取り、上段に構えた。
侯爵は振り下ろし、私はシグナルで受けると侯爵に体当たりする。
頭がぶつかり合う。目と目が合い、侯爵の薄緑色の瞳に見惚れた。
私は侯爵を押し倒した。だが勢いがありすぎて飛び越してしまった。
振り向くと侯爵は膝立ちのまま
絶対守護の光の魔法だ。筒状の光が地面から上空まで伸び、庭の敷石や、館の装飾の一部を破壊する。意外と破壊的な魔法だ。その中を天使の飛翔を使って侯爵は飛ぶ。館の屋根に降り立つつもりだ。
私は素早く壁走りの魔法を行使すると館の壁を垂直に走る。上から魔法を撃ち下ろされると面倒だ。
懸念通り館の屋根の上から光の槍の魔法が降ってくる。シグナルを振るい一つ一つ打ち消して行く。
侯爵は屋根の端から姿を消した。このまま屋根に登ると、位置が予想されて魔法を撃ち込まれる。
私は影の翼の魔法で横に飛ぶと、牽制で影縫いの魔法を五本、発射地点を無理矢理ずらして屋根の上に撃ち込んだ。反撃の光の槍が飛ぶ。
私は、侯爵からだいぶ離れた位置で屋根に降り立った。
「楽しいな、アレイナ」
侯爵は声を張り上げる。
「はい侯爵閣下」
私は瞬間移動の魔法で侯爵の背後を取る。
打ち下ろすシグナルを、侯爵は体から至近距離で受けた。
侯爵は大振りになった私の間合いの中に入ると、下蹴りをする。
私は蹴りをそのまま受けると、足をからませ、侯爵を転倒させた。
侯爵は転倒した位置から光の槍を連続して撃ちながら魔法刀を振る。私は後ろに引いて避けた。
侯爵は素早く起き上がる。
「侯爵閣下、聞きたい事があるのです。マガルハだからでは無く、この私だからこそ、我が身を望まれるのですか」
私はシグナルに闇の魔法を込め直す。
「そうだ、だから仕合に応じた」
侯爵も魔法刀を再充填する。
「それで満足しました。心残りはありません」
私は肯定された。
「ではアレイナ、そなたは私のものだ」
「はい、でも仕合は続けましょう」
「もちろん続ける」
私はシグナルを正眼に構え、侯爵は上段に構えた。
突きが狙いやすいが、誘いであろう。
私はその場で虚空の魔法を行使した。これは特定の範囲の物質を崩壊させる闇の魔法だ。シグナルがあるとこの魔法は無詠唱で行使出来る。ただその場で行使すると自分も巻き込まれる。私は影の翼で自分をくるんでやり過ごした。侯爵は光球の魔法を使ったようだ。私達は館内の空中に放り出された。
私は半年前の再現を試みる。シグナルから黒い霧が溢れ出す。侯爵も魔法刀をまばゆいばかりに光らせる。今度は床に叩きつけられない秘策がある。
正対する形で、侯爵と落下の軌道を合わせた。
「懲りないな、アレイナよ」
「楽しんでもよろしいですか」
我ながら懲りていないと思う。
一撃に全てを込めた光と闇の刃が交差する。
ほとばしった光と影の力が館の中を渦巻き、謁見の間に残っていた人達を恐怖させた。
今回も引き分けだ。シグナルと侯爵の魔法刀は同等だ。
弾き飛ばされる。今回は謁見の間の長手に対して横向きに刃を合わせた。
私は体の向きを制御して、壁に足をつく。それでも痛みが走ったが、足の骨が折れるほどでは無い。そのまま前転しながら床に降り立つ。
「やるでは無いか」
侯爵も無事降り立っていた。同じ結論に達していたのだ。
私はシグナルに炎の魔法を込めると、上段に構える。
侯爵は氷の魔法を込め、やはり上段に構える。
お互い振り下ろし、切り結んだ。再び鐔迫り合いに入る。
「アレイナ、このために鍛練を積んだか」
「はい」
私はうれしそうに答えた。
「喜ばしい事だ」
鐔迫り合いは互いに押し合って、解消された。
間を置かず、侯爵の突きが入る。私はシグナルで受け流す。
侯爵が無理矢理、魔法刀を制御しようとしたので、シグナルは突きに程よい場所に残った。侯爵はあわてて、体を引こうとする。
私は左手を離し右手だけで、シグナルを侯爵の喉に向けて深く突き込んだ。
切っ先が、思わず首を庇った侯爵の右肩をとらえる。血が飛び散り肉が焼ける匂いがした。
侯爵はシグナルを下から叩き、左手を放したシグナルは大きく上に弾かれた。
侯爵は上段に構える。互いに上段で斬り合うと思い、左手を
侯爵は振り下ろした魔法刀の軌道を途中で変え、シグナルを横に叩いた。
シグナルは宙を飛んだ。私は空中足場の魔法を行使し、後ろ横に宙返りする。
自殺行為だ。だがマガルハと魔法刀は不可分なもので、放すわけにはいかない。
シグナルを空中で掴むと、炎の輪を自分中心に固定して全周防御とした。侯爵は一度に五本の氷の刃の魔法を放ち、その軌道を曲げる。氷の刃に貫かれた炎の輪は一瞬で消えて無くなった。
侯爵はなおも氷の刃を同時行使する。魔法短刀も抜いて氷の刃を弾くが、たまらずに、もう一度空中足場を蹴って後ろ宙返りで床に降り立つ。
侯爵は素早く駆けると、私の喉に魔法刀の切っ先を突き付けた。それは交差させたシグナルと魔法短刀の防御を下から抜いていた。
「アレイナ、私の勝ちだ」
続く
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