第三章 第一節 陽動

  アレイナが侯爵と戦ってから、投降するまでの軌跡 第三章 第一節 陽動



 夜の帳が下りた頃、我々は各々別の役割で侯爵領に侵入した。

 私は峠の国境をそのまま進み、侯爵軍の国境警備兵を撤退させる。


 ジリアスは馬車で進み、私を援護すると共に国境を突破。

 タダイルは先に尾根の道を進み、侯爵が作った墓から兄の遺体を掘り出す。


 「ジリアス、そろそろ行く」

 馬車の荷台の上から声をかける。

 私はシグナルと魔法短刀に闇の魔法を込める。黒くなった魔法刀の刀身は完全な漆黒故に、暗闇の中では見えない。


 「闇の魔法の多用はどうかと思うんだが」

 ジリアスが心配する。闇の魔法はマガルハにとって一番使い勝手が良い。

 私はシグナルを横に構えると、瞬間移動の魔法を行使する。これも闇の魔法だ。


 私は国境にある侯爵軍の宿営の真ん中に出現した。目の前の兵を斬り捨てる。転がった首から血が噴き出した。そのまま二頭居る馬の方に駆け寄る。


 邪魔をする二名の兵士をシグナルを一閃して葬ると、馬の心臓を前から一突きする。もう一匹も同様だ。馬は口から泡を吹いて、横様に倒れた。


 私が誰か認識した無主の兵士達が逃げ出す。

 まだ闇の時間は始まったばかりなので、彼らを殺す衝動は湧かず放置した。


 中央に戻り、邪魔な兵士四名を斬り殺すと、右足を軸に体を一回転させる。

 シグナルから闇の風が吹き、全ての松明、焚き火が消えた。


 私は魔法汚染が進んでいるので、目の内部が変化し夜目が利く。これが金色こんじきまなこの正体だ。

 一瞬して、宿営の中は恐慌状態に陥った。


 闇の霧の魔法を行使する。黒い霧が魔法短刀から湧き出す。黒い霧に触れると負の感情を増幅する。この場合は恐怖だ。魔法汚染が進むと、これらの感情系の魔法は効かない。ただし闇の時間はもっと根源的なものだ。


 兵士達を追い立てて脱落したものを斬っていく。

 二十八名斬った。私は闇が深くなり、逃げた残りの兵士を追い始めた。

 「アレイナやめろ」

 ジリアスが馬車で駆け込みながら制止した。光の魔法があたりの闇を打ち消していく。


 私は落ち着くとシグナルと魔法短刀から闇の魔法を抜いた。若いマギが数名居たのだろう、魔法の収支は釣り合った。

 

 「これは酷いな、援護する必要は無かったな」

 血まみれの宿営地を見て、ジリアスは嘆いた。

 「高台の足元まで行こう」

 私は馬車の横を歩く。一頭立ての荷馬車だ、速度は出ない。


 *


 高台にある侯爵が作った兄の墓から、遺体は掘り出されていた。

 酷い臭いがした。タダイルはそれを油紙で包んでいく。兄の容貌はもう分からなくなっていたが、いつも首にしていた薄い桃色のサファイアからそうと判別がついた。


 この大きなサファイアを誰が送ったかは分からない。モラリア王家の姫との禁じられた恋という話も聞いた事があるが、妹の私にも打ち明けてはくれなかった。


 首飾りを盗まなかったという事は、埋葬に立ち会った斥候隊長は貴族かも知れない。侯爵の配慮には痛み入る。


 ジリアスとタダイルが兄の遺体を担いで崖を下り、馬車に乗せる。

 「体も臭いがする」

 タダイルが小川に体を洗いに行った。


 「増援が来る」

 鋭敏になった聴覚が、部隊が移動する音を捉えた。


 「逃げ切れるか」

 ジリアスは遠見の魔法で見ながら聞いた。

 「追いつかれる」

 数頭の馬の音がする。


 「タダイル行くぞ。追っ手だ」

 「まだ水を落としてない」

 「いいから走れ」

 ジリアスはタダイルを急き立てる。


 「まさか陽動をかけるなんて言わないだろうな」

 ジリアスは言う前から諦めた表情だった。

 「私が囮になる」

 「アレイナ死ぬなよ」


 「おい、アレイナは?」

 タダイルの疑問を無視して、ジリアスは馬車の馬に鞭を打った。


 *


 今度は闇の魔法を使わずに、増援を撤退させなければならない。闇の時間が長引くと、衝動がより多くの血を求める。


 シグナルに光の魔法を入れる。淡く光を放つ抜き身のシグナルを持ったまま、道の真ん中で増援が来るのを待つ。増援は私を恐れて歩みを止めた。どうやら歩行かちで逃げた兵士が、増援を呼んだらしい。


 私は天使の飛翔の魔法を使うと瞬時に離陸して侯爵軍の兵士達の真ん中に落下した。落下の衝撃で、数名の兵士が潰れる。光の魔法も慈悲深いわけでは無い。


 光球の魔法を打ち上げると、目が眩んだまわりの兵士からシグナルの刃にかけていった。

 十二名殺すと、増援は撤退していく。


 私は二名の兵士が草陰に隠れているのを見付けた。

 ちょうど良い、このまま侯爵のもとに行こう。兄の埋葬はジリアスとタダイルがやってくれるだろう。これぐらい好きにさせて貰う。


 「斥候か、侯爵閣下に伝言を伝えてくれないか」

 私は草むらに声をかける。

 

 「助けてくれ」

 「殺しはしない」

 血の滴る抜き身のシグナルを持っていたので、説得力は無かった。


 「ガナトリアのアレイナが侯爵閣下のもとに参りますとお伝えしろ」

 「アレイナですね、分かりました」

 斥候は急いで走り去った。


 「服を洗いたい」

 前回侯爵と戦った時は血まみれだったが、今度は失礼の無いようにせめて服を洗ってから戦いたい。幸いしばらく歩くと川の音がした。


 最初にシグナルを川にさらして、血を洗い流す。リコリナ製の魔法刀は、鋼の剣と違って錆びる事は無い。しかし血が付いたまま鞘に入れると抜けない時がある。


 川のほとりに衣服を脱ぎ捨てると、シグナルだけ持ってせせらぎに入る。水はまだ冷たい。


 体には戦いで付いた、いくつかの傷跡がある。これも侯爵は美しいと言ってくれるだろうか。

 目を瞑ると侯爵の薄緑色の瞳を思い出す。


 体を洗い終えると、服を水にさらす。闇の時間が長くなるとどうしても、返り血を気にしなくなる。もっとも返り血を気にしていたらマガルハなどやってはいられないのだが。


 髪の中がまだ血の臭いがするので、もう一度水に浸かって白い髪の毛を洗う。

 白に血の赤は目立ってしまう。

 髪から水を落としていると、馬の駆ける音がした。シグナルを手に橋の影に隠れる。


 「ここら辺だ、速度を落とせ」

 「ガナトリアのアレイナ」

 呼ぶ声がした。


 顔を出して見ると、松明を持った騎兵が二人、常歩で近づいてくる。馬をもう一頭連れている。

 迎えが来たのだ。


 とはいえまだ遠く、服を着る時間はありそうだ。

 私は急いで身支度すると、シグナルを腰に佩いて道に立った。

 春の夜風は濡れた服には冷たい。


 「アレイナですな」

 「容姿も合致する」

 「アレイナです」

 特徴的な容姿も役に立つ時がある。


 「侯爵閣下からの使いです」

 「館にて歓迎するとの事です」

 「迎えのほど感謝します」

 二人がそれぞれ喋るので紛らわしい。


 「馬には乗れますか」

 「乗り慣れてはいませんが」

 あぶみに足をかけて反対側の足を振り上げると、鞍にまたがる。

 騎乗すると遠距離魔法で狙撃されるので、乗る事は少ない。


 「夜も遅いです、急ぎます」

 速度を上げると、私と使いの者二名は、侯爵の館に向かった。


 *


 「カリアス侯爵 メライア閣下」

 マガルハでもある女侯爵は魔法刀を手に、数段の台座を登ると椅子に座った。

 門は再建されていたが、天井から吊り下げていた燭台は作り直されていない。


 まだ細かいところに剣や炎の痕がある。

 半年前の戦いで私とジリアスは、近臣を五十名ほど殺したが、この場に居るのは十七名だ、戦いの痕跡は残っている。


 「ガナトリアのアレイナ」

 名を告げる声がして、私は面前に進むとひざまずいた。


 「そなたを待っていたぞ、アレイナ」

 「遅参のほどお詫び致します」

 半年も待たせてしまった。


 「して今宵の用向きのほどは」

 「兄の遺体をモーラスに運ぶための囮の役割を」

 後の処理は、ジリアスとタダイルがやってくれる。兄への責任は果たした。


 「それは首尾良くいったようだな」

 「兄の墓を作っていただき、有り難うございます」

 「それは良い。武人の礼だ」


 「囮だけでこの館まで来たのか。アレイナ、自らを差し出しに来たのであろう」

 「侯爵閣下、再度お手合わせを」

 そう、投降するために来た。

 だが仕合をして確かめたいことがある。


 「よかろう、そなたとの仕合に応じよう」



  続く

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