第二章 第三節 旅立ち

  アレイナが侯爵と戦ってから、投降するまでの軌跡 第二章 第三節 旅立ち



 私とジリアスは、侯爵領内への偵察を計画していた。


 春になって、モラリア王は自分の領地が危険な状態にある事にようやく気がついた。無主の兵士のほとんどがモラリア王国を見限ってしまったのだ。一方で王の兵士の再編は進んでいない。


 対する侯爵は、近臣を皆殺しにされ余力はなかったが、帝国の一部なので軍人や人材の融通は利いた。またカリアス侯爵の窮地は帝国の軍事的危機であるため、カリアス侯爵領の西側、プレダビアのビアリ侯爵が軍を動員していた。


 突然、侯爵領侵攻作戦の褒賞金六分の一が支払われたのは、無主の兵士に対する懐柔策だったのかもしれない。いかんせん遅くて、少なすぎたし、一度失った信用は取り戻せない。


 それでもモーラスに居るわずかな無主の兵士には褒賞金を分配した。残りのほとんどは取りに来た時のために為替取引所で帝国通貨建ての記名為替にするしかなかった。無主の兵士は信用取引を好まない。場所が変われば身分を保障する司令官も替わるからだ。


 私達がまだモーラスに居るのは、別にモラリア王に加勢するためではない。骨折の影響が完全に無くなり軍資金も入ったので、ジリアスと共に兄の遺体を奪還する準備に入った。


 今日は訓練を休んで、宿屋の奥の席で作戦会議をする。

 当たり前だが、侯爵領に侵入して帰還するには、国境を二度突破しなければならない。

 前年にモラリア王国による侵攻があったので国境は緊張していた。


 兄の遺体はロタ峠の国境から五アード程侯爵領寄りの高台に放置した。

 行きは道無き道を通るとしても、帰りは兄の遺体を運ばなければならない。


 「シオメンの遺体が原形を留めていた場合、とても困難になる」

 「多分鳥に食われている」

 むき出しで放置したので、鳥や野犬に食べられて、骨だけになっている可能性が高い。残酷な話しだが、戦場に放置された遺体などそういうものだ。


 「馬車を通すなら、国境に居る侯爵軍の規模が、私一人で撹乱して撤退に追い込める程度か調べよう」

 殺戮するにしても、十分な戦術が必要だ。


 「アレイナ、また皆殺しをするつもりなのか」

 ジリアスが嫌な顔をした。ジリアスは闇の魔法に対する抵抗感が強い。マギだから仕方がない。


 「全員は殺さない」

 マガルハは、多人数相手の戦闘訓練を受けている。闇の魔法は効果的だし、それが虐殺でも気にはしない。シグナルを得たことで効率的になった。


 「遺体の状況がどうなっているか調べてから検討しよう」

 ジリアスはあくまで闇の魔法を使わせたくないようだ。

 「確かにそのための偵察だな」

 私はため息をつく。もう半年過ぎてしまった、侯爵はいつまで待っていてくれるだろうか。薄緑色の瞳を思い出す。


 その時タダイルが現れた。

 「俺も参加させてくれ」

 「タダイル、貴方に直接の責任は無い」

 実際には雇うつもりだった。


 「そのために、モーラスに残っている」

 「分かった、タダイル貴方を雇おう」

 私は手を差し出す。タダイルは手を合わせた。


 *


 相談から三日後私達は偵察を行った。

 「兵数は数十名だが、無主の兵士が数名居るな。あと馬が数頭居る」

 尾根を縦走しながら、ジリアスが遠見の魔法で国境の宿営を調査する。

 尾根まで登ると、風はかなり冷たい。


 侯爵は無主の兵士を雇うようになった。兵士不足なのだろう。

 騎兵は伝令役だ。取り逃がすと、増援が来て厄介だ。


 「見知った仲間だと嫌だな」

 ジリアスは遠見の魔法をタクトに吸収する。


 「見逃してくれるだろう」

 無主の兵士同士で真剣に戦うことは少ない。当たり前のことだが、命が惜しい。実力差があるならなおさらだ。


 「この尾根を下りよう」

 ジリアスが道を指し示す。兄の遺体を放置した場所への道だ。

 道は崩れていて進むのに苦労した。


 そこには簡素な墓が建っていた。

『アレイナの兄 カリアス侯爵の命令によって埋葬した 帝国歴三百五十六年十月 カリアス侯爵軍 斥候隊長 ギオ』

 すでに乾燥していたが、釘を打って花が手向けられていた。


 私はその場に崩れ落ちた。モラリア王は兵士の墓への埋葬さえ拒否したのに、侯爵は館を襲撃した兄を自らの名で埋葬して花まで手向けてくれた。


 「お兄さん、私はこれで十分です。この身を侯爵閣下に捧げる時が来ました」

 私は慟哭どうこくした。


 「おい、勘弁してくれよ。寝返るつもりのアレイナには、これで良いかもしれないが、俺達はシオメンを墓に納める義務がある。第一、あんたは喪主として遺物を墓に納めた。墓を二つ作って泣き別れにするつもりか」

 ジリアスは私を叱咤した。


 「こんな結果は予想していなかったが、俺はモーラスの墓にシオメンを収めるつもりで雇われた。このままで良いというなら抜けさせて貰う」

 タダイルも怒った。


 「モーラスは第二の故郷だ。モーラスの墓に兄を収める必要がある。すまない」

 涙を押さえ、なんとか理由をつけて立ち上がった。

 故郷はどうでも良かったが、自分だけの問題ではないのは確かだ。


 「俺が掘る」

 タダイルは、スコップを取り出すと、墓の下を掘り出した。

 五十センチも掘ると死臭がしてきた。

 「もういいだろう、遺体は骨になっていない」

 ジリアスはそう言って、鼻を押さえる。


 「馬車を通すしかない」

 立ち直った私は、覚悟を決めた。


 「一旦モーラスに帰ろう」

 ジリアスは尾根へと続く道を登り始めた


 *


 数日後訓練を終えて、昼過ぎにモーラス城下に戻った。

 宿屋で昼食のポテトフライを頼むとゆっくりと食べ始める。

 「肉も食べろ」

 ジリアスは鶏の手羽先揚げを食べながら文句をつけた。

 「油の味が分からない。気持ち悪い」

 「ささみ食えよ」


 私は栄養のほとんどをリリアナが作ってくれる朝食と、夕食で取っている。ほぼ味覚を失ったので味はしないが、脂身は抜いてある。昼食はほんの少しは味がするポテトフライを食べたい。


 「闘争心は無くなっちゃいないよな、指揮官がそうだと配下も死ぬ」

 ジリアスは鶏の骨を剣に見立てて振る。

 「分かっている」


 国境を掃討するには百人でも二百人でも殺す覚悟が必要だ。

 「シオメンを墓に納めて初めてアレイナ、あんたは兄への責務から自由になれる。あとは侯爵の元へ行くなり好きにすれば良い」


 「責務なのか」

 デノリス卒業後モーラスに戻ったのは本意ではない。故郷と家族を捨てる選択肢があった。叶わなかっただけだ。

 帰郷すると兄は若くして無主の兵士の指揮官になっていた。兄はその責任に押し潰されそうだった。私が助ける他なかった。


 「リリアナはもう十分だと言っていた」

 「無主の兵士には別の論理がある」

 そうだろうか、兄の葬儀の時に会ったソクラスは自由にしろと言った。


 「それはそうと、またリリアナと同棲しているのか」

 「もう半年ほど」

 今まで気がついていなかった事の方が驚きだ。ジリアスはずっと宿屋に泊まっている。女性に縁が無いのが欠点だ。無主の兵士の幹部はたいてい結婚しているか、現地妻がいる。


 ジリアスはマギになる前に結婚して子供を作らなかった。マギは重宝される、大魔法を行使出来るマギなら、高給取りだ。素質があれば、魔法汚染の短所を差し引いてもマギの職を選ぶ者は多い。生殖能力を失う前に、早めに結婚するのは定石だ。ジリアスは美男子でもないが女性に嫌われる容姿では無い。面倒くさがりなのだ。


 「家はリリアナに譲ろうと思っている」

 モーラスには、親が残してくれた家がある。兄は使っていたが、リリアナとの同棲が長い私は、あまり使っていない。家には私がデノリスから持ち帰った大量の本がある。リリアナなら喜ぶだろう。


 「もう戻るつもりは無いんだな」

 私は答えなかった。


 *


 翌日の朝、リリアナのベッドで目が覚めた。

 リリアナが朝食を作っている。


 「リリアナ今度こそ戻らないかもしれない」

 「侯爵のところに行くの」

  手を拭きながら全裸のリリアナが戻る。

 「うん」


 「いいよ、変わりなく宿屋の受付しながら、女の子を気持ちよくする仕事をしている」

 「それで、女の子を気持ちよくしたお金で作ったのだけど、受け取ってくれる」

 お金といっても大した額ではないので、金細工の髪留めだ。リリアナの元で私が売春していた七年間、その代金は使わずにずっと貯めていた。


 「アレイナからの贈り物って初めてじゃない。大切にするよ」

 「魔法汚染が進んだ私を、可愛いと言ってくれたお礼」

 「ばかだな、私は本気でアレイナが、可愛いと思っているよ」


 「ありがとう、好きだよ」

 同棲したり、別居したりを十年続けてきたけれども、リリアナの事は好きだ。いやもっと前、二人で悪戯をしてしまった二十年前のあの日からずっと。


 「いっといで」

  私達は口付けを交わす。


 「あとこれは私のお得意様へのお礼。マチア、アトラ、ルベラ」

  袋に包んだ銀細工のチャームを数個机の上に並べる。

 「マチアはご執心だったものね」



  続く

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