第二章 第一節 リリアナ

  アレイナが侯爵と戦ってから、投降するまでの軌跡 第二章 第一節 リリアナ



 「侯爵の近臣を皆殺しにした。数年の安寧あんねいを得たのに、どうしてこんな端金はしたがねも払えないのか」

 座がざわついた。私は王の参謀をきつく批判する。


 「おい、アレイナやめろ」

 ジリアスが私を制止する。

 「契約を尊重して頂きたい。言っているのはそれだけだ」

 私はそれに構わず、非難を続ける。


 「侯爵の排除には失敗した」

 「契約の主条件の支払を求めているわけでは無い」

 兄がモラリア王と結んだ契約は、侯爵の殺害を主条件としている。参謀が言っているのはその事だ。

 同時に副条件として、侯爵の館への侵入、侯爵の近臣の殺害数に応じた褒賞金の支払も定められている。


 「今回兵から多数の戦死者が出た、残された家族から批判が出ている」

 「それは王家の問題だ」

 「王家は民の支持のもと、このモラリアを統治しているのだぞ」

 ならば、兄の立てた計画に乗らねばいい。


 「褒賞金が出なければ、参加した無主の兵士達の生活が脅かされる」

 今回侯爵の館に侵入したのは四名だが、各小部隊に数名ずつ督戦とくせんとして無主の兵士を配置していた。王の兵士は士気が低く無主の兵士より信頼出来ないのだ。


 「シオメンが戦死した。契約は彼と交わされた。契約がアレイナに継承されるかは検討中だ、戦死者の弔慰金は支払う」

 王の参謀は契約主体を持ち出してきた。兄は自分が戦死するとは思っておらず、契約の継承順位を定めていない。痛いところを突いてきた。

 「慣例として後任の指揮官が継承する。今は私が無主の兵士の指揮官だ」

 「そこを含めて検討する」


 「これ以上やっても無意味だ」

 ジリアスが小声で諫言かんげんする。

 「では、よろしくご検討願いたい」

 

 モラリア王国には今金が無い。兄の計画にのめり込んで、今回の軍事行動に金をつぎ込みすぎた。侯爵から略奪する事もかなわなかった。可能な限り支払を遅延させたいのが本音だろう。


 私達は部屋から退出する。

 「魔女が」「二百人殺したのだぞ」「裏切られるとやっかいだ」後ろで陰口がたたかれる。

 魔女というのは、モラリア王国が属する諸王連合の主敵、北方諸国が使う私の二つ名だ。人を喰うらしい。モラリア王国側から言われるのは心外だ。


 モーラス城の廊下を大股で歩く。城の外観と裏腹に、内部は荒廃している。北方諸国との戦争は何十年も続いている。


 実際のところ、モラリア王国は自ら安寧を投げ捨てたのだ。

 西隣のカナリア王国は十年前内戦で崩壊し、帝国に併合を願い出てカリアス侯爵領となった。帝国が拡張し続けているのは確かだが、今帝国の関心は南にある。それでもモラリア王はありもしない帝国の征服計画に怯えた。そして兄の計画に乗って自ら藪を突いた。


 「そうカリカリするな」

 追いつこうと自身も大股で歩きながらジリアスが苦言を呈する。

 「無主の兵士が離れれば、モラリア王国は成り立たない。冷遇すれば、毒が回るのはモラリア王だ」

 ため息をつきながらモーラスの城下に下る。


 *


 宿場に落ち着く。日も暮れていた。

 ジリアスはビールをジョッキで注文する。

 私は魔法汚染で髪の色が薄くなり始めた頃から、酒で酔えなくなった。デノリスで成人した後のごく僅かの期間しか酒を飲んだことが無い。

 替わりに、ポテトフライを山ほど注文する。ポテトフライ山盛りもビールのジョッキも同じ三テナだ。


 「俺も、そのうちビールじゃ酔えなくなるのかな」

 ビールで口のまわりに泡をつけながらジリアスは心配する。魔法汚染は加齢を遅くして、寿命を延ばす。その代わり生殖能力をはじめとした多くのものを奪う。

 ジリアスは四十過ぎだが、容貌、茶色の頭髪、群青色の目には魔法汚染の影響はうかがえない。


 「マガルハだと症状が進みやすいのかもしれない」

 恋仲だったデノリスの後輩は、私と同じ程度に魔法汚染が進んでいた。

 侯爵もまた、薄い金髪で薄緑色の目だった。魔法汚染が進んでいるように見える。


 「そういうものかな、ポテトフライは美味いか?」

 「味が薄いが」

 私が文句を言うと、ジリアスはポテトフライを一個かすめて口に入れる。


 「やっぱりアレイナおまえ、味覚にも影響が出ている」

 ジリアスはもう一個食べる。

 「視覚、聴覚、嗅覚は鋭敏になる。さっきの打ち合わせで悪口は全部聞こえた」

 「いらねぇ」

 「そうか?」

 戦うためには便利だ。犠牲にするものも大きいが。


 「タダイルはどうする」

 ジリアスはタダイルの契約について言及した。侯爵の館襲撃のために私的に雇用した無主の兵士だ。年若いが十分な役割を果たした。

 「弔慰金しか出ないから、給与を払って解雇するしか無い」

 「そうか、彼なりにシオメンの遺体を放置したことに責任を感じている」

 「兄の遺体を奪還する際に、可能なら雇おう」


 私は、ポテトフライを半分ほど平らげると、思いついて宿屋の受付に行った。

 幸いなことに今日の遅番はリリアナだった。

 「リリアナ、仕事が終わったあとに時間はある」

 「いいよ、遅番だけど。髪の毛白くなったね」

 そう言って、リリアナは私の髪を撫でた。


 リリアナは魔法汚染が進んだ私の容姿を誉めてくれる。

 幼い頃から恋人だ。そして互いに最初の人である。


 文字が書ける女性という理由で宿屋の受付をしているが、リリアナの知識はそれにとどまらない。デノリスの受験勉強をしていた私と一緒に、本を読んだのだ。


 リリアナは私より四歳年下の二十八歳だが、年相応の色気があり、私は羨ましく思っている。


 私は宿屋が受付を終了する時間まで椅子で待つ。ジリアスは呆れた顔をして、宿屋の二階に消えていった。


 受付の片付けを終えたリリアナについて行く。

 「アレイナ、体が寂しかった」

 女の子向けの売春をしているので、そんな事は無かったはずだ。


 「リリアナ愛してる」

 リリアナと手を繋ぐ。

 「知ってるよ。今日はどうしたの?」

 「相談事」


 近くの家屋の二階が、リリアナの部屋だ。

 リリアナの部屋に入ると嗅ぎ慣れた匂いがする。デノリスを卒業してモーラスに帰ってきてから、三分の二以上をこの部屋で暮らしている。


 魔法刀シグナルをベッドの柱にかけると、下着姿になってベッドに体を横たえた。

 リリアナは全裸になる。私が下着など色々着込んでいるのは、マガルハだからだ。


 「アレイナ、相談って」

 「侯爵閣下に誘われた」

 私のすべてを欲した。すなわち無条件での投降だ。帝国と皇帝とカリアス侯爵に忠誠を誓う事になるだろう。


 「でどうしたいの」

 リリアナはベッドに潜り込むと、私に乳房を押しつける。

 「心揺れている」


 何故今さら帝国領主の家臣を望むのだろう。今まで金のために人を殺してきたように、今度は帝国のために人を殺す事になる。

 マガルハである以上人を殺すのは避けられない。きっと誰かに肯定して欲しいのだ、そんな生き方を。侯爵と戦って思い出してしまった、マガルハとしての名誉が欲しい。


 それだけでは無い。そう薄緑色の目だ、あの目に惹かれている。


 「何が問題なの」

 「兄の遺体を放置した。そのままでは侯爵閣下のもとに行く資格は無い」

 兄の遺体は国境から侯爵領側に五アードほど離れた場所に放置せざるを得なかった。


 「お兄さんに縛られすぎだよ」

 リリアナは、横になったまま私の白い髪をとかす。

 「そうかな」


 「デノリスを卒業してから、自分のために何かした?ずっとお兄さんのためにやってきたんでしょ。もう十分やったよ」

 「そうだね」


 「自分に正直にやればいいよ。行きたいんでしょ。お兄さんのことはそれからでも遅くないよ」

 リリアナは軽いキスをする。私は深いキスで返す。

 「んん」

 体の中が痺れる。私はその痺れに身を任せる。


 「でも今は体を治さなきゃ」

 「そうだね」

 私はリリアナに同意した。


 「アレイナする? 心も癒えるよ」

 「する」

 女性と体を重ねたい気分だった。リリアナの体は気持ちが良い。

 「久しぶりだね」

 「リリアナ、包帯外すよ」

 下着を脱ぐと包帯の結び目を解く。包帯がベッドの上にはらりと落ちる。


 「いいの?」

 「いい、気休めだし」

 外傷が無いので、包帯を巻いても意味が無い。

 「包帯のあと拭いたげるよ、ちょっと待って」

 リリアナは布巾で胸を拭いてくれた。

 「痛!」

 私は悲鳴を上げる。リリアナが左胸を拭くと激痛がした。


 「そっちが折れてるのね、今日は私が下になろうか」

 「ごめん」

 リリアナとする時はいつも下なので、今日は特別だ。

 「あっ、リリアナ」

 リリアナが乳首を噛んだ。思わず声が出てしまう。

 「ふふん」


 *


 リリアナは途中で寝てしまった。今日は遅番だ。無理を言ってしまった。

 リリアナの茶色い巻き毛で遊びながら考える。


 侯爵は、私がマガルハだから誘ったのだろうか。

 帝国領主は常に強力なマガルハを求めている。

 それだけでは無く、私を肯定して欲しい。肯定した上で、それを受け止めて欲しい。わがままだろうか。そのためにはもう一度戦ってみたい。今度は仕合として。


 そのためには侯爵が手加減した足技と、デノリスを卒業して以来、しばらく使っていなかった魔法刀の扱い、これを集中的に訓練しなければならない。そのためには、出来るだけ早く体を治そう。


 リリアナと足を絡ませると眠りに就いた。

 結局次の日の朝にもう一度した。だるい体を引きずって、服を着る。

 「リリアナ、癒された」


 「アレイナとするのは心地良い」

 リリアナは全裸で朝食を作っている。

 「そうだ、よりを戻さない?」

 よりと言っても、私が侯爵領侵攻の戦争準備で忙しかっただけだ。喧嘩したわけでは無い。


 「いいけど、またリリアナの親に迷惑をかける」

 「今さら、もう諦めているよ」

 それにリリアナと同棲すると、ちょっと面倒な仕事があるのだが、それもいいかもしれない。私もその仕事は気に入っている。

 


  続く

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