第一章 第三節 無主の兵士

  アレイナが侯爵と戦ってから、投降するまでの軌跡 第一章 第三節 無主の兵士


 困惑する侯爵軍の兵士の間を抜けながら侯爵の館を辞する。

 「神の平和が解ける前に、出来るだけ遠くに」

 ジリアスは言うが、無理な話だった。

 兄は深手を負い、ジリアスとタダイルに肩を借りて歩いている。止血はしたが、魔法刀は、内臓に損傷を与えていた。


 「ジリアス、後どれだけ持つ」

 「シオメンですか、八分の一日ですね」

 兄の余命の話だ。裁定の神の使いガオカンが告げたように、兄はもう助からない。神の奇跡である故にガオカンは現在と未来をあまり区別しない。

 侯爵領に兄の遺体を放置しないためには、兄が歩けるうちに最大限モラリア領に近づかなければならない。国境付近にはまだ侵攻部隊の殿しんがりが居るはずだ。


 「峠越えで行こう。峠越えなら八分の一日で国境に行ける」

 私は決断する。普通の旅人が歩いて八分の一日だ、結局間に合わない可能性の方が高い。それでも出来るだけ国境には近づきたい。


 今回の侯爵領侵攻作戦では、二つの侵攻ルートが使われた。川沿いの街道を行く主方面と、ロタ峠を越える副方面だ。峠越えのルートは侯爵領の後背を突くが、侯爵軍に阻止された。したがって敵がまだ居る。


 「簡単には進ませてくれないでしょう」

 ジリアスは峠道の方角を見遣みやる。

 「アイナ、駄目だったら、置いていけよ」

 「お兄さん、分かりました」

 兄が喋ると包帯に血が滲みむ。


 我々は無主の兵士だ。

 経験豊富な一部の無主の兵士は、その戦闘力の高さから重宝される。侯爵領侵攻作戦も王の兵士は全て陽動で、かなめは無主の兵士が担っている。


 だが無主の兵士にとって、死とは容易いものだ。実際兄も死に瀕している。

 どれだけ強力な力を持とうが、墓に入る事の出来る無主の兵士は数割だ。それでも仲間が生き残れば、埋葬の努力は払われる。結局の所、それが不可能な事の方が多いのだ。


 水色の霧が消えていく。私は魔法刀シグナルを抜いた。

 「先行する。兄を頼む」

 小高い丘の向こう、木の下に誰か居る。


 読んだとおり、落ち武者狩りだ。三人の農兵達が、襲いかかってくる。一人目の首をシグナルで落とす。二人目は片足を切り、後ろから胸を突いた。三人目は逃げた。氷の刃の魔法を行使するまでも無いだろう。


 「大丈夫か、アレイナ。肋骨がいってるんだろう」

 ジリアスが後ろから声をかける。

 「死にはしないが、体力を消耗する」

 「時間はかかるが休み休み行こう。俺達もシオメンも持たない」

 ジリアスとタダイルは兄を横たえると、座り込んで水筒から水を絞り出す。


 「ジリアス、燭台落としは悪手だった」

 私は立ったまま、水筒から水を飲む。

 「済まなかった。そうだアレイナ、最後侯爵から何か言われていただろう」

 「心が揺らいだ」

 「おい、寝返るのか」

 

 小休止を挟み、再び峠への道を歩む。

 「寝返るなら、せめてモラリア王から褒賞金をせしめた後にしてくれよ。今はあんたが無主の兵士の指揮官だ」


 無主の兵士の寝返りは珍しく無い。

 しかし侯爵が求めたのは寝返りでは無い。私は全てを差し出すのだ。忠誠を求められたら残らず応じる事になる。その代わりに得るのは名誉と恩恵だ。


 *


 山陰やまかげ隘路あいろに百名ほどの侯爵軍の兵士が居た。三人横に拡がって隙間が無いほど狭い道だ。この道を避けるのは厄介だ。道の無い沢を歩くか、切り立った尾根を登るしかない。幸い隘路の片方は谷になっている。


 「ジリアス魔力は」

 「俺は、少し回復してきた」

 「闇の時間が長引いたら止めてくれ」

 「えっ、おいアレイナ」

 

 シグナルと魔法短刀に闇の魔法を込める。二つの魔法刀の刀身が黒く染まった。

 背中から影の翼を生やすと飛翔する。闇の魔法は好きだ。これこそがマガルハの人を殺す技術の到達点だ。多くのマガルハが最終的に光と闇の魔法に行き着く。


 私は、敵の真上で二つに分身する。こういう事が少ない魔力で出来るのが闇の魔法の面白い所だ。

 隊列の先頭と最後尾に降り立つ。


 私は先頭の騎兵をシグナルで馬ごと切り刻む。

 私は最後尾の兵士五人をシグナルと魔法短刀でまとめて首を刎ねる。

 私は、次の騎兵の馬の心臓をシグナルで刺し貫く。馬は昏倒し、騎手は谷に落ちていく。

 私は最後尾の兵士をシグナルと魔法短刀で追い立てる。兵士は隘路の崖から谷にこぼれる。


 全て終えるのに二十分はかからなかった。

 シグナルの黒い刀身から血の雫がしたたり落ちる。

 落ちた者を含めて百十二人だ。


 「胸が痛い」

 折れた肋骨がさらに体に食い込んだ気がする。


 「これがマガルハというものか」

 タダイルは呆然と血にまみれた隘路を眺めている。


 「魔法刀を得たからといって、こんな事をするから魔法汚染が進む。アレイナ」

 ジリアスが声を荒らげる。

 私はどうやら、怒られているらしい。不本意だった。

 何故誉めてくれないのだろう。


 「もう三十を超えているだろう。まだ二十に見える。加齢が遅滞するどころか、止まっている。白い髪、金のまなこもそうだ、魔法汚染が進みすぎている」

 ジリアスはあれやこれやとまくし立てる。

 「リリアナは可愛いと誉めてくれる」

 侯爵も私を美しいと言ってくれた。


 「リリアナはそうゆう趣味なの。なんでここであの女の名が出てくるかな」

 「リリアナの事を悪く言わないでくれ」

 リリアナは幼なじみで、腐れ縁で、同好の士で、恋人だ。


 「いやいい」

 ジリアスは頭を抱えた。


 「ジリアス、とにかく道はあいた。進もう」

 私はシグナルと魔法短刀から闇の魔法を抜く。血の味がする魔力が流れ込む。闇の魔法は敵の魔力を盗む。


 「お兄さん」

 兄に声をかける。


 「ああ、アイナ、勉強を頑張りすぎるな」

 兄は意識レベルが低下して錯乱し始めている。

 デノリスの受験勉強の話だ。私が十四・十五歳の頃だ。


 「あまり長くない」

 ジリアスは兄の顔を覗き込む。

 私達は血で濡れた道を進む。


 *


 「尾根を伝って通り抜けられないか」

 私は尾根伝いに線を描く。

 高台から見下ろした向こうの谷では、侯爵軍の追っ手とモラリア王国の殿しんがりが激戦を繰り広げていた。

 「アレイナ、もう無理みたいだ」

 「お兄さん」

 ジリアスとタダイルが岩の上に兄を横たえる。呼吸が途切れがちだ。兄の手を握る。脈もゆっくりだ。


 「埋める事も燃やす事も出来ない」

 私はようやくと涙が出てきた。

 「くそ、放置するしかないのか」

 ジリアスが悔しそうに草を引き抜いては投げつける。


 私は、腰の後ろから魔法短刀を引き抜く。

 「おい、アレイナ、兄妹だろ、俺が」

 無主の兵士が死ぬ時は、誰かが楽にしてやらねばならない。

 「お兄さん、ごめんなさい」

 兄の心臓に魔法短刀を突き立てた。

 ジリアスとタダイルが頭を垂れる。

 祈りを先導する。

 「裁定の神よ、お兄さんに良き裁定を」

 「シオメンに良き裁定を」

 「シオメンに良き裁定を」


 それから、しばらくは谷で行われる侯爵軍と殿しんがりの一進一退を眺めていた。

 「で、本当の所どうなんだ」

 ジリアスは抜いた草で山を築く。


 「兄は迂闊だった。二対一だからって気を抜ける相手では無かった」

 小川で髪を洗いながら答える。服の血は洗いきれなかった。


 「マガルハでなければ勝てない相手だったんじゃないか」

 ジリアスは腰の筒からタクトを取り出すと、魔法刀に見立てて揺らす。先から魔法の光が泡となって漏れ出す。純度は違えど、魔法刀とタクトは同じリコリナから作られている。だからはるかに大きい魔法刀は極めて高価だ。


 「最初から私がシグナルをいて侯爵と戦えば良かったと」

 服から水を払い落とすと、側に置いたシグナルを太刀緒で結ぶ。秋風が水に濡れた体を冷やす。

 魔法刀を使って、自分ら侯爵と戦う事を選んだのは兄だ。


 「俺はそう思う。互角に戦っていた」

 「でも、多分勝てなかった。侯爵は手心を加えていた」

 侯爵は足技をもっと活用していれば、私を倒す事が出来たはずだ。


 「侯爵はお前を欲しがっていたものな、やっぱ行くのか」

 「心が揺れているのは確か。でも兄をここに残したままでは行けない」

 侯爵を仇などとは思っていない。兄は自らこの無謀な作戦を立案して、自ら侯爵と戦う事を望んだ。それで敗れたのなら満足だろう。

 だが侯爵が欲しているのは私の全てだ。身を綺麗にして行かねばならない。


 日が西に傾いてきた。

 「潮時だ、そろそろ出かけよう」

 ジリアスは草抜きをめると立ち上がる。


 「お兄さん、必ず葬ります」

 せめてと、柴を刈って兄を隠した。そのなかに手を差し込み兄の頬に触れる。

 私は立ち上がると、ジリアスとタダイルに続いた。

 これから闇夜に紛れて、侯爵軍の宿営を突破する。



  続く

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