3.なりたい自分
「未来塾へようこそ!皆さん、いやお二人さん、数多くの進学塾が存在するなか、当塾に来ていただいて、ありがとうございます。とてもうれしいです。まず始めに、当塾の進め方をさらっと説明しましょう!」
入塾初日、まずは前説らしき講座が始まった。受講生は、自分以外にあと一人、別の高校の制服を着ている女子だけしかいない。メガネをかけたショートカット、おとなしそうな子に見えた。先生らしき人は、蒸し暑い梅雨どきにもかかわらず、地味な紺色のスーツに少し疲れのみえる革靴。パリッとした襟の白いYシャツに無地のネクタイ。上着とYシャツの隙間から、緑色のネックホルダーの紐がちらりと見えた。満員電車にひしめくサラリーマンのような人だった。
「神乃(かみの)と申します。未来塾の広報担当と職業はFP、ファイナンシャルプランナーを兼務しております。当塾はまず第一に……」
な、なんだ?この人。『FP……』?先生じゃないのか?一機は、今日から同塾生となった右側に座る女子も同じことを感じたに違いない。そう思って目を向けると、女子は軽くうなずきながら、話される一語一語を納得するように『何ちゃらプランナー』を見ていた。
「第一に、将来の方向性を定めること。できる限り具体的な方向性です。近い将来のあなたの姿、なりたい自分、目指すもの、職種、職業。つまり、大学生の自分ではなく、社会に出て実現したい自分の姿を定めることです。一機さん、遥さん、大学受験をどうこうするか……なんて今はどうでもいいんです。なぜなら……」
受験はどうでもいい?まじか?この人。この塾ほんとに、まじでヤバくない?俺、受験のために塾にと……。度肝を抜かれた一機は、負けた引退試合よりも惨めな敗北感に包まれた。チラシに書かれていた、うさんくさい言葉と母さんの顔を思い出し、自分自身を気の毒に、いとおしくさえ思うのだった。女子の名前が遥だということなど、何ちゃらプランナーが言う大学受験のように、この時はどうでもよかった。
「……なぜなら、社会に出て実現したい自分の姿こそが目標だからです。将来どんな自分になるのか?それをまず第一に定めるのです。明確な目標を定めるのが先決です。未来塾は、社会に出て実現したい自分を見つけるための塾と言ってもいいかもしれません。大学は、単なる一つの通過点にすぎないのです。難関だろうが二流、三流だろうが、大学に合格することが目標ではないのですよ。これが、多くの人が勘違いしてるんですね。残念ながら…。世の中には、偏差値、学歴、地位、名誉など、他人の評価ばかりを重要視する風評があって、一所懸命になんとかそれらを勝ち取ることを目標にしてしまう人がたくさんいるんですね。これが違うんです。いざ我にかえったら時すでに遅し、自分自身の心の充実感や幸せが得られていないなんてことになっちゃうんです。世間の風評に騙されちゃうんです。だから……」
騙されるって?自分ではなく?一機は、この人の話が、騙そうとしている自分に対して話す人の言葉なのか?なんだかよくわからなくなってきた。気づけば、横にいる…遥ちゃん?と同じように、自然に軽くうなずきながら、なんちゃらプランナー神乃さん?の言葉を心と体に吸収していた。
「だから、あそこに未来塾のキャチフレーズがありますね、あれなんです」
人差し指が示す先、教室の後ろの壁には、
『~進学はなりたい自分を決めてから~』
と達筆な筆で書かれた標語が額縁に納められていた。
「ここまでで、何か質問などありますか?」
5秒ほど沈黙のあと、チラッと遥ちゃんを見やってから、軽く手のひらを立てた。
「でも、実際、どうやって将来の自分の姿、なりたい自分を見つけるのですか?」
「そうですよね一機さん。それですね。それはですよ……これです………」
と神乃さんは言いながら、クルっと背を向けて、白板に赤いペンで書きはじめた。
『あなたは、“ドラえもん”です。“のび太”のために、自分のポケットから何を出してあげたいですか?』
「……これを考えるだけでいいんですよ。何も難しくないですよね」
隣の遥ちゃんは、頭の中で斜めになったクエスチョンマークに同意を求めるようにチラッと自分の方を見た。
「この、“ドラえもん”はあなた、まさに主人公です。“のび太”は世の中、多くの人々のこと。ポケットは引き出し、自分のスキル、能力のこと。出してあげるとは、提供する、貢献する、奉仕すること。つまり、あなたが世のため人のために働くこと。その“ドラえもん”が将来の自分の姿であり、なりたい自分です」
「“ドラえもん”……」
「一機さん、遥さん。二人には、未来塾の頼れる講師陣がいます。しっかりサポートしてくれます。必ず、なりたい自分が見つかります。実際の活きた仕事の中身、やりがい、達成感。なるための進路や勉強方法、裏側の苦労や実態まで教えてくれます。実際のリアルな話ができるのです。なぜなら、講師は全員、社会人だからです。私もファイナンシャルプランナーと未来塾と二足のわらじでやっています。講師たちは、私と同じようにそれぞれの職場から未来塾に来て、教えているのです……」
前説の講座を終えた二人は、塾を出てから、考え事をするように、お互い無言で同じ方向に歩いていた。神乃さんから聞いた言葉を巻き戻して、頭の中でリプレイ検証をしていたのに違いない。
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