「美波、お腹空いてない?」


 僕はキッチンに立って、居間にいる美波に声を掛ける。

 彼女は相変わらず、切り絵に没頭していた。


「おじさん、簡単な物しか作れないけど。姉さん……じゃなかった、お母さん、まだ帰って来れないみたいだからさ。代わりに僕が作るよ」

 

 美波は手を止め、顔を上げる。

 つぶらな瞳が僕を数秒見つめてまた手元の作業を再開した。


「焼きそばでいいかな? ねえ、美波」


 以前、姉の家を訪れた時、美波は姉が作った焼きそばを食べていた。子供用のフォークでスパゲッティのように器用に茶色の麺を絡め取りながら、小さな口に頬張っていた。

 美波はきっと焼きそばが好物だろう。僕は美波の了解を得ることなく、冷蔵庫から焼きそば用の生麺を取り出し、ざるに上げる。水で軽くすすぎ、油分を洗い流してから、熱したフライパンの上に乗せる。じううっと水分を弾く音がして、すかさず蓋をする。こうすることで蒸したようなモチモチとした食感が生まれる。一人暮らしが長いせいで、こういうことにはすっかり慣れていた。

 その間にニンジンとキャベツを切り、トレイに入れたままの牛肉に塩コショウを振る。美波が食べやすいように、いつもより小さめに切り、いつもより薄味の味付けを心掛けた。


「ペタペタ」


 美波の〝作品〟は遠目に見ても、完璧な仕上がりだった。赤、黄、青、白、様々な色で切り取られた花が紙面を彩っている。


「ペタペタ!」


 美波は仕上げと言わんばかりに乱暴に手で机上を打つと、


「でけた!」


 と言って、僕の方を見た。

 出来栄えを確認するべく、すぐにでも彼女の元に駆けよってあげたかったが、フライパンを火に掛けている最中だったので、キッチンから顔を覗かせて感心したような表情をしてみせた。


「上手く出来てるね! それ、何?」


 僕はてっきり〝お花畑〟という回答が来ると予想していたが、彼女が口にしたのは僕の予想のはるか斜め上をいった。


!」

「おはか?」

「うん!」


 ……お墓?

 彼女がどうしてそんな言葉を知っているのかどうかも気になるところだが、それより、咲き乱れん花々を〝お墓〟と形容するのは常人の考えじゃあない。彼女のその感性を生来のものと判断するには少々度が過ぎている。


「どうしてお墓なの?」

「どうして?」

「美波、お墓って何か知ってる?」

「知ってる! の!」


 彼女は、昨年の夏、姉夫婦と一緒に行った(僕と姉の)祖父母の墓参りに行ったことを覚えていた。僕たちから見た祖父母、つまり、美波から見れば〝曾祖父母〟ということになるが、まだその違いを認識するには至っていないのだろう。


「美波よく覚えてたね! でも美波が作ったのってお花さんだよね? どうしてお墓なの?」

「これ、おはか……、おはかにお花がいっぱい……」


 美波は困ったように花を指でなぞっていく。


「ああ、そっか。お墓にお花がたくさん供えられてたもんね」


 なるほど。美波の眼には、お墓の本体が石碑じゃなく供えられた花に見えていたんだ。街中の花壇と同じような感覚で〝じいじ〟と〝ばあば〟のお墓を見ていたんだろう。


「でも、お墓なら緑の葉っぱもあるね」


 昨年の墓参りの時には確かシキミも一緒に供えられていたはずだ。というより、僕にはそれ以外に何が供えられていたのかが思い出せない。緑々と漲る樒の葉しか覚えていない。だから、赤色も青色も白色も、お墓の色と結びついたりしないのだ。僕の中では、灰色と緑色、それがお墓だ。


「うん……」


 美波は寂しげに頷いた。


「美波、もうすぐご飯ができるよ。お片付けして」


 彼女は黙って僕の言う通りに机の上を片付け始める。

 僕は火に掛けた野菜と麺の炒め物にソースを掛け、フライパンの上でそれらをひっくり返し、ごったまぜにする。油にまみれた野菜と焼けた麺の香ばしい匂いがソースの芳醇な香りに変わり、芳しい匂いが室内に充満する。これぞ焼きそばって感じだ。


「ランチョンマット敷いてくれる?」


 僕は美波にランチョンマットを手渡す。

 彼女はそれを向かい合わせになるよう二つの席にそれを敷いた。


「ほら、叔父さん特製の焼きそばだよ」


 皿に盛りつけた焼きそばをランチョンマットの上に置いた。

 美波は鼻をふくらませ、ソースの匂いを嗅ぐ。椅子に飛び乗り、足をブラブラさせると、『いただきます』が待ちきれないとでも言うように目を爛々と輝かせた。


「姉さんの味には負けるかもしれないけどね」

「やきそば!」

「はいはい、それじゃ食べよっか」

「うん!」

「いただきます」

「いただきます!」


 よほどお腹が空いていたのか彼女は僕が引くぐらい美味しそうに焼きそばを貪った。一瞬、飼い犬に餌付けしたものと錯覚するぐらいに。今の彼女は、僕が以前に見たフォークで焼きそばを絡めとる器用な食べ方をしていなかった。麺がフォークの隙間に完全に絡まる前に、それらがホロホロと下に零れようとも、彼女は気にすることなく、フォークを口の中に突っ込んだ。


「美波、ゆっくり食べなさい。誰も取ったりしないから」

「―――――!」


 彼女は無心で焼きそばをほおばった。


「お母さん、厳しいの?」


 僕の頭の中にある考えが浮かんだ。

 姉さんは彼女の食事マナーを正すために敢えてあのような食べ方を教えていたのではないだろうか。別に焼きそばに正しい食べ方なんてないけど、今の食べ方よりあの時の食べ方の方がずっと行儀よく見えた。焼きそばだけでなく、フォークを使って麺類を食べる時はそう教えつけていたのかもしれない。

 でも、姉さんのその教えは結局姉さん自身の満足のためでしかなかったみたいだ。美波は他所で教えた食べ方をしていなかった。僕と同じように箸を使うような食べ方で次々に焼きそばを頬張っている。


「厳しい」

「そっか」

「……」

「どうしたの? 美波?」


「―――――おかあさん、どこ?」


 美波はそこで初めて姉さんの居所を気にし始めた。



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