第80話 

「ふむ。ロブスターとその裾野だけで、100万の住宅、150の学校、50ヶ所の病院、公園、ショッピングモール、大学、F1のサーキット? ふ~む。ふむ。ふむ。だがどれだけ素晴らしいロブスターも降雹と風に吹かれ今は跡形もないのぅ」

 仰るとおり。すこしばかり熱く語りすぎたかもしれない。説明が前後した。本命はそっちじゃない。猫ちゃんも退屈させてしまった。


 他人からは泰然たいぜんとして掴み所のない人物に映るようでも、ここ数年、ただ大海に羅針盤もなく漂う小舟のように、おどおどと意識を徘徊するだけの存在であった気がする。あの夏の日から俺は子供の姿のままのリヴァイとは真逆の合わせ鏡。心は成長しておらず、図体ばかりが意味もなくでかくなっただけのような、そんな気がする。

 でもだからこそ、ロブスターの存在に熱くなる。それは本来の自分に立ち返った証なのかもしれなかった。俺は何者なのか? 答えは遠く彼方だろうけれど。


 外界ではカスピ海から吹き上がる冷たい強風が吹きすさんでいるはず。桃色の塔の内部は至って静かで、二人と一匹の息づかいだけが、今も歴史に刻まれている。

 教授は乱雑に散ったガラクタを整理し始めた。


「7の付く日はゴミの日よ~と。VRカプセルの中で眠っているわけではなかろう? 信じられん。それほどの規模のハイパービルディングが存在していたとはのぅ」

 だけど興味がないわけじゃない。それが研究者のさがと言うものだ。


「交通渋滞も一切なかったそうだよ。会社勤めの女性事務員がエレベーター来るのが遅い~昼休憩がなくなっちゃうなんて、お財布を揺らし溜息をつくこともなかった」

「ふむ」

「ましてや共通言語がない時代。自動翻訳機なんて物もあったが、それじゃぁ字幕を読むのに精一杯で、ハンフリー・ボガートの粋な仕草を見逃しちまう。なのに住人のコミュニケーションは円滑に行われていた。言語系統の根っこから違う存在の人種も価値観も雑多な者同士が、タイムロスもなく精緻な意思疎通で低級なジョークに腹を抱えた。人は絶えずなだれ込む。米国やヨーロッパ、ロシアやイスラムだけじゃない。人口が増え続けるインドと中国からは、将来のエネルギー不足を予見してアゼルバイジャンと対岸のトルクメニスタンに、インドライオンとパンダが送られた」

「絶滅してしまったがのぅ。しかしそんな調整能力は人間には不可能じゃろうな」

「そう。過密な空間に人間を閉じ込めて、ストレスなく快適に過ごさせるのは至難の技さ。ヒッチコックの裏窓のように左足を骨折したカメラマンの疑いは増大し、恋が引き金となってウエストサイド物語のジェット団とシャーク団みたいに最後は悲劇で終わる。だから当時の最先端の技術が導入された。―nənəナナ。極東のうら若き美色の天才科学者が開発した汎用型AI。正式名称は忘れたが一般にはそう呼ばれていた」


「興奮しなさんな。半分以上意味不明。じゃが、探しているのはそれ……かのぅ?」

 









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