第79話

 紺碧の空を背景に 群青の水面に浮かぶ  High castle高き城  醜いはずがない。



 人類は滑稽だ。母親の目を盗みくすねて飲んだカリン酒がもはや誤魔化し切れない量まで減って、慌てて言い訳を探した昔の俺のように、気づけば、怖くなったのだ。

 僅か二百年ばかり、地球が数億年もの間、蓄積してきた炭素が地中から掘り出され地上に放出された。二酸化炭素濃度は上昇し地球温暖化が、海の酸性化が、進んだ。

 こうして遅ればせながら地球が暖まるのを(これに関しては現在の感覚では理解し難く疑問が残る。それほど問題か? 寒冷化して地球の大部分が永久凍土に覆われるほうがよほど深刻だと俺は考えるけれども)人類は二酸化炭素の排出を抑えることで阻止しようと考えた。持続可能なエネルギー消費を、至上命題とするに至った。


 まぁ、太陽の輝きが届かぬ夜でさえ宇宙から確認しうる煌々たるまばゆいアメーバの神経の網目あみめが如き光を放ち続けていたのだから、やり過ぎ感は否めない。その頃――時間を空間に置き換えることもできず、海水の循環と氷河の関係性すら解明されてはいなかった――脆弱な科学力しか人類は持ち合わせていなかった。



「ほうっ! そんな計画がのぅ」



『世界最大のカーボンニュートラル海洋都市計画』

(※カーボンニュートラルとは 温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させること)

 その範囲はアゼルバイジャン沿岸部。もしくは半島。もしくは人工島に。

 嘗て、石油採掘で汚染された『黒い街(Black city)』と揶揄された首都バクーを『白い街(White city)』へ。晴天の多い『風の街』で太陽光発電と風力発電を。

『火の国』の天然ガスで、カスピ海の塩水を真水に。まるっきり夢のような……



「ごちゃごちゃと忙しいのぅ。それになにか矛盾しておる」



 超高層ビルや巨大ショッピングモールを備えた中東屈指の観光都市ドバイと世界で最も人口密度が高く世界で最も裕福なモナコをも凌駕する近未来都市。

 なにせ条件が整いすぎている。独裁国家ならではのスピード感。共和国だからこその柔軟性。社会主義国家に支配された経緯から宗教色は薄く、政教分離、信教の自由が認められ、インフレと失業率に喘ぐ国民には爆発寸前のエネルギーが満ちている。

 コロコロと入れ替わったのは国教だけじゃない。支配する強国が変われば使用言語さえ流転した。古くはシルクロードの中継地として、東西の文明が交錯する十字路。アジアと西洋の、はたまた中東の文化を受け入れ多種多様な民族が渾然一体となって独自の文化を形成し、カスピ海から産出される石油と天然ガスを求め独立してからも様々な国の思惑に翻弄され手を入れられた。それが純粋な投資に変わったとしても、それをこばみ濾過する為のフィルターの抵抗係数に何らかの変化があるだろうか。



「相変わらず小難しいのぅ。つまり何でも吸収するスポンジみたいなものじゃな」



 資金が舞い込むには根拠がある。核融合炉が生まれる以前はエネルギーの奪い合いこそが世界の真実だった。カスピ海の豊富な資源がある。資源の裏打ちがなければ、いつまでも換金されない金本位制度と同じく、それは単なる共同幻想に過ぎない。


 ……矛盾。そうだな。教授の言うとおり。

 サステナビリティ(持続可能な発展)を志向しカーボンニュートラルを目指すのに石油資源の埋蔵量が前提になるなんておかしな話さ。けど世界は矛盾でできている。

 矛盾してたって構わない。ともかく条件が整いすぎている。

 スペースが足りなくなれば、カスピ海を埋め立てればいい。

 


「いつになく熱く語るのぅ。それで……高さ1050メートルのハイタワー?」



 それは数あるプロジェクトの象徴的建造物。そのランドマークはロブスター。

 そうそれはまるで、前代未聞の近未来海洋都市を見守る、巨大なロブスター。



「あたいはロブスターは食べないね」

 猫が退屈そうにつまらない冗談を言った。


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