第78話

 ……禅問答? ……禅問答? とは、禅僧が悟りを開くために行う問答。転じて、真意をとらえにくい会話。


「ねぇ教授。あまりにも巨大な物体を隠すにはどうすりゃいいだろ?」

 おもしろそうなので仕掛けてみた。禅僧が何かはよく知らないけれど。


「はぁ~?」

 教授は修理に夢中でうわの空だ。


「いや。そう。たとえば。月をこの広大な宇宙に隠すとしたらいったいどんな方法があったのかな~なんて」

「ふむ。過酷な発掘作業で相当量の疲労物質が溜まってるようですな」

 教授は振り向きもせずに答えた。


「……なんだい? 本当に禅問答を始めたのかい」

 呆れてそっぽを向き、猫は石のように丸くなる。エジプトのおばさん。ワインでも飲んでるの?


「いや。マザーAIってのは全知全能だろ? それが隕石を破壊する程度のことで月を犠牲にする必要が本当にあったのかな~なんて」

 それを聞いて、教授は修理の手を休め、陽気に歌い出した。


「見上げてごらん~♪ 夜の月を~♪ 大きな月の~♪ 大きな光が~♪」

「いや歌は知ってる。今だと詐欺罪だよな。見上げても月はないんだから」

「あんな物体を隠す方法があるなら、マジックショーで大儲けでしょうな」

「実物を見たことがないから……そんなに大きかったの? 繰り返すけど、全知全能なら、月なんか犠牲にしなくてもビームでガシャーンと破壊できたんじゃないかと」

「……不可能だったでしょうな。破壊だけなら『反物質兵器』でも容易い。だが破壊だけでは意味がない。なぜなら砕けた数百万の破片は数時間後にはくっつき再び元の姿に復元してしまう。隕石の破片そのものの重力によってです。徐々に軌道を変えて月にぶつけるしか方法は……」

「そもそも隕石の到来は本当だろうか? ……地球に近づき地表まで落下する隕石は年間、精々10数個。大抵は木星の巨大な引力に引き寄せられる。その内、5㎞級が来る確率は一千万年に一度。ましてや大量絶滅を引き起こすと言われる10㎞級ともなれば一億年に……」

「ふむ」教授はこちらに向き直った。


「お話の肝がようやっと見えてきました。否、隕石の到来は嘘っぱち。マジシャンが美女の太ももを消すようにマザーAIが月をどこかに隠した、と仰りたいのかな?」

「そんな感じ」

「妄想に取り憑かれたレジスタンスみたいなことを言いますのぅ。古代。あの脆弱な科学力で1969年にアポロが本当に月に人を送り込み無事帰還したなんておとぎ話が真実かと問われたら断言はできませんがの、こと月を犠牲にして隕石衝突を回避した事実だけは……断言できる」



 ……ならどうして、人類の中で唯一、俺にリビドーが存在する?


 

「そんな方法があるのならぜひ知りたいものですな。とりあえずこのガラクタの山を片付けたい」

「たとえば……俺は古い映画が好きなんだけどさ。地球はとうに消滅していて人間が暮らすために基本組成が同じ月を代用してるなんてどうかな? 上空を流れてるのは見せかけの太陽で、丁度ここの真下を掘り進んだ先にある地下空間のモニターに映る太陽のようにね。つまり俺たちが暮らしてるのが実は本物の月で地球の1/6の重力で水が蒸発するのを防ぐ為にわざわざ寒冷化させてると考えるとロジカルだ。月だから核融合に使うヘリウム3は取り放題で使い放題……なんてね」

「その映画は、ブルース・ブラザースの続編以上につまらないでしょうな」


 ……悪かったな。


「ふむ。どうしても月を隠した前提で話し進めたいようですな。さよう物事は視点を変えれば見え方も違う。天動説など最初からデタラメなんてこともありますから疑うことは大切だ。“信じたい心”と“懐疑の精神”ですな。確かに我々は太陽を中心にその周囲を地球を含む惑星が回っていると認識している。しかしもっと広い視野に立てば太陽系自身が銀河の中心に高速で移動しているとも言えましょう。俯瞰してみれば、太陽も地球も他の惑星も互いに区別なく絡み合いながら超大質量のブラックホールに向かいかっ飛んでいるとも言える。だがそこには少なくとも互いの相対的な関係性が存在する。地球の代わりを月が行うことはできない。そんなことは重力が許さない」


 教授は「真実はいつもひとつっ!」と俺を指さし

 さらに、「ですが何のために?」と締めくくった。



 ……何のために? そんなのわかりきってるじゃないか。



「戦争が消えた。戦争まではいかなくとも是非はさて置き、お中元とお歳暮の時期に終始、革命があっても人は落ち着いて生活できない。パンタレイ(万物は流転する)(何ものも絶えず変転してやまない)有り様の変化そのものが人類を苦しめてきた。寒冷化と同時にその流れは止まった。なんのためになんて愚問さ。逆なのさ。あまりにもメリット大きすぎるから、月を隠したなんて荒唐無稽なことを俺は考えたのさ」


「ふむ」教授の視線は中空を彷徨う。


「寒冷後に生まれた人間に真実はわからんじゃろうが、確かにそこに地獄はあった。うつろな倦怠は抜きにして悲しみや苦しみは今の比ではなかったと歴史を学べば理解できる。大それたことでなくとも、些細なことで人は人を傷つけ憎しみあっていた。

人が人と関わればそこに凶行が生まれ禍根を残す。リビドーを失い人類が得たことは計り知れない。それはとても良いことではないですかのぅ」


 ……その通り


だけど日々掘り返される、保存状態もよろしく発掘される、人類の遺物に俺は何かを見いだしてる。地球が寒冷化してなければ植物や微生物によってすべて無に帰したであろう、特別じゃない市井しせいの日常に感じるシンパシー。俺と同質のものが、流れるそこには、ともすれば激情に囚われ人をあやめてしまうような実感がある。どうしようもない滾りが……そこには本物の人生がある。真実の生がそこにある。だとしたら……


 リヴァイの優しさは偽物だろうか? 母が俺を想う気持ちは見せかけだろうか?


「多分、あなたは何かを探しに火の国に来たのですな」

 教授は静かにそう言った。












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