第75話

 翌日は永久凍土らしい弱々しい快晴かいせいだった。首都バクーのカスピ海沿岸に立ち、長い髪をライオンのたてがみみたいに靡かせている。昔々その昔、振りむけばあの丘に、炎を模したフレイムタワーが聳え立っていたはずである。けれど当然のことながら、他の荒涼たる大地と変わることもなく、今はもうなにも残ってはいない。



「やぁ。君もトレジャーハンティングかい?」

 小太りのおじさんに声をかけられた。


「ええ」

「危険地帯なのに珍しいね」

「ですね。もっと人がいるかと思ったけど、どうやらあなたと俺以外、誰もいない」

「聖女伝を読んだこと……宗教なんか興味ないよね、はは。ここはカスピ海だけど、決して海ではないからさ。旧湖付近はやばいよ。まさかポリスじゃないよね?」

「違いますよ。禁止されて……もう久しいはずです」

「だよね。よかった。彼らは荒っぽくて……なんでもかんでもひっくり返す」

 それは目的が違ったからだ。彼らが世界中を隈無く探し回ったのは宝物じゃなく、レジスタンス。結果、グラディエーターと呼ばれた、母のエートスは失われた。


「改めて忠告するけれど、そんな軽装で危険すぎやしないか」

「いえ仲間もいますし十分な安全マージンも確保しています。あなたもバクー市街で宝探しを?」

「ノン。降雹で城壁の消えた城塞じょうさい都市バクー。言葉にするとロマンチックだけど、ガラクタには興味がないね」

我楽多がらくたですか……じゃあどうしてここに?」

「珍しく天候が安定してるから気分転換に。普段は南西に54㎞ほど隔たった砂漠のゴブスタン遺跡を発掘してる。四千ヘクタールに60万を超える岩壁画がある。ま、二万年ほど遡った人類からの置き手紙さ。小賢しいモンキーが科学に毒されてからの下卑た遺物にはそそられない。そうだね、文字が生まれてから紙が発明されるまでの純粋な時間帯が好きだ。それ以前のウッホウッホは早朝すぎて眠い。産業革命以降のカルチャーは黄昏時たそがれどきのようで物悲しくなる。太陽はてっぺんにあるのがいい」

「売るのですか?」

「売る? あ~貨幣経済はちょっとよくわからないな。集めてるだけだよ」

「なるほど研究の為ですか」

「研究? あはは。変わったことを言う人だね、君は。過去の謎は全てマザーAIが解き明かしてしまった。知りたければローションカプセルに浸かりその時代に行けばいい。ただ集めることに意義がある。だからもう一つの地球では、ナポリ湾に浮かぶイスキア島で平凡に暮らしてる。なにせ太陽がいっぱいだ。太陽が好きなんでね」

 それだけ言うと、おじさんは笑顔で手を振り、俺を独りにした。



「なんか鼻に付くわ~。これだから地下空間の人間は嫌い」

 胸ポケットからモゾモゾと春麗チュンリーが這い出してくる。


「調べたのか? 失礼だろ」

「オープンソースよ。毎日、地下空間から通勤してるらしいわよ。ばっかみたい」

「親切な人じゃないか。忠告を聞いてたら何だか心配になってきたよ。こんな薄着で本当に大丈夫?」

無問題モウマンタイ。テロを続けて数千年。どんな僻地へも逃げ延びたレジスタンス伝統の鎖帷子くさりかたびら&鉄仮面にPちゃんの研究がプラスされたモビルスーツよ、マイダーリン」



 ほのかに潮の香りがする。真昼なのに幻想的な夜光雲が遠くに漂う。

 現在のアゼルバイジャンに、俺は在りし日のかつての姿を想い描く。

 トレジャーハントは方便でも、この地に魅せられたのは本当だった。


 人は行き交い、笑って泣いて、セレブも貧乏人も人生を享受し、死の恐怖に怯え、宗教と貨幣経済とスポーツと音楽に価値を求めて、抱きしめたり抱きしめられたり、リビドーに裏打ちされた愛や憎しみや真実と偽りと、知る権利と知らぬが故の興奮を味わい、愚かにも温暖化に怯えながら大気を汚して、クラクラとさせる手応え十分の太陽が大地を砂漠化し埃を巻き上げ、雨はそれを叩き落とす、そんな循環を持て余し過剰な施しだとうんざりしながら神に生け贄を捧げ、深海に夢を抱き、遙かな銀河を操っている気になってロケットを飛ばした。絶えず人の目を気にして、現実には目を伏せ、腸内の百兆の細菌に操られ、腹が空けば綿ガエルの卵を茹で、カツ丼に舌鼓を打ち歓喜し、パンを売ってくれないと自分の肌の色を呪っている隣人を蔑み、意味もなく人を殺したり、出会う人を品定めして、人件費を節約する為にロボットに感情を持たせた。素敵な街を作り、巨悪に抗ったり、妥協したり、キリンの首が長い理由を象の鼻が長い意味を推理しては、新しい発見と虚ろな忘却を繰り返し、恵まれてないから嫉妬し、恵まれているのに嫉妬し、相手にされなくて嫉妬し、邪推しては幸せを壊し、気付かぬうちに軒下を貸しては母屋を取られ、神秘の月の満ち欠けを眺めた。




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「ふむ? 石版に置いた供物が消えるとはのぅ」

「ジュニアは里子にだされるはずだった。けれど『わしと赤ん坊は一緒にいることになりそうじゃ。すまぬが、酒と本とできれば食べ物なんかを供えて欲しい』と……」

「死ぬ前に?」

「そう死ぬ前に」

「? ……パラレルワールド。まさかのぅ」


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「感度良好。もう大変だったんだからっ! 盗聴器仕掛けるの」

 テントウ虫は俺の肩の上で腕組みしている。


「情報収集は重要さ」

「そんな必要ある? 道草食ってないで、早いとこ例のブツを探しましょうよ」

 俺には秘密がある。子供だった俺に、おばさんは鳥籠の鍵を託した。つまり自分で判断することを避け、未来の俺に判断を委ねた。それが出生の秘密だとかシリアスな事柄ではなくとも、俺の特殊性について、おばさんは何かを知っているはずだ。


「いや、暫くは宝探しさ。地下鉄を手始めに巨大な建造物から捜索を始めて……でも本当のお宝は一般の民家に偶然あったりするかもね。決して我楽多なんかじゃない」

「それも面白そうだけど……」

「ある程度、地下の入り口をこじ開ける道具とか運搬用機材であるとか、必要な物が万事そろった方が都合がいい」

「それもそうよね。それよりブルーバードは、三回目の説得も空振りしてるわよ」

「もうスチームパンクに着いたのか……母さんは頑固だから簡単にはいかないさ」

「未来の姑が悩んでいる姿は見たくないわ。私もセレンちゃんと離れたくないし」

「何度も言うが、付き合ってはいても婚約をした覚えはない」

「好きよ、マイダーリン」

 俺も好きだよ。掛け替えのない人が俺には沢山いる。

 けれど、俺の好きと君の好きは違うのかもしれない。


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