第73話
俺は、忌まわしき叫びの果てに、辿り着いた。
母さんが、本当の母ではないという、現実に。
星の
でも……その答えを導きだした時、寧ろほっとしたのだった。
母親に劣情を覚えた、あの夏の日の、忌まわしさに比べれば。
だが幸いなことに
エロスはどこか果てのない場所から波のように寄せてはくるけれども。いやそれがリビドーの振る舞いなら有りもしないどこかからでなく、己の内側から生まれるものなのだろうけれど、その対象が母であるような喜劇はその後、二度と訪れなかった。
なのに……その一度きりのことに、俺は、恐れ、
母が母ではない。その現実が、残酷で悲しいことであっても受け入れられたのは、そこにある種の恐怖と抑圧からの解放があったからだろう。普通なら耐えられない。
毒が毒を制すように。中和し、相殺し、
幼い頃、グラディエーターの特性を知っていたはずのリヴァイは、もっと以前からそのことに気付いていたことだろう。グラディエーターに子供などいるはずがない。
黙っていた。幼いながらに。彼はそのことに一度として触れることはなかった。
匂わせることさえしなかった。今日、彼と再会した。やはり彼はいい奴だった。
なぜ語らなかったのか。挽歌。恐らくは俺の本当の両親は、彼女がその手で……
「眠れないのかのぅ?」
起きてたのか。
「どうしたんです、教授。ずっと糸の切れたマリオネットみたいだった」
「脳の容量が一杯で不必要なことは入れないことにしておる。時間は早送り、情報の郵便配達人への印鑑もサインも拒絶して、スイッチを一旦、切るようなものじゃな」
「器用ですね。郵便配達人? スイッチ? 脳の?????????」
「なに。インドの山奥で千年も修行すれば誰でも習得できる。永久凍土の景色なぞ、退屈なだけじゃからのぅ。インドの山奥 でんでんかたつむ リンゴはまっかか~」
「リラックスしてますね。そうですか? 俺にはそれなりに魅力的な景色だけれど」
「バルーンを使えばいつでも来られる場所じゃが、わしらの他に誰もいないじゃろ」
「そういえばそうですね」
「良くて最初だけ。生命のない美しいだけの風景は空しいのじゃて。これが寒冷化の末、地上の王者となったペンギンが群生している沿岸部なら今でも人は時折、観光にゆく。鼻を摘まむフンの悪臭も、イライラさせるよちよち歩きも、人々を魅了する」
「可愛いじゃないですかよちよち歩き。リニアの沿岸部ってそんな状態なんですね。一つ良いことを教えてあげますよ。ペンギンは空を飛ぶように海を泳ぐ」
「そうじゃのぅ。海中を飛ぶ。その姿は壮観じゃ。だが魚なくしてペンギンの繁栄はない。つまり狩られる側からすれば驚異の捕食者。マザーAIは海底に太陽を作り、プランクトンが光合成することで失われた食物連鎖を復活させた。海は地球の歴史上もっとも豊かでもっとも多様な生態系を維持している。だが残念なことにペンギンを補食するシロクマも海獣も寒冷化以前に絶滅し沿岸部の利権はペンギンの独り占め。食物連鎖の頂点なのに、あえてよちよち歩き……そこが訳もなくむかつくのじゃ」
「腹を立てるポイントと感性が独特ですね」
「ボォァヒューボォァヒューボエー!!!
教授はちょこんと椅子に腰掛け、ただ詰まらなそうに外を見ている。
「退屈ならスイッチ切っていいですよ。折角、千年修行した特技があるのだから」
「気遣いは無用。ぬしは
俺? そういえば他人からはどう映るのだろう。ピンクタワーが人によりその色を変えるように、青い鳥に覗かれなくとも、俺の
一度も確認したことはない。それは確認すべきことなのかもしれない。
だって、俺は誰にも言えない秘密を抱え込んでいる。
あの夏の日。あれからデジタルの海で文献を漁った。
調べてみて、それがより深刻な事態であると悟った。
奇形など特殊な事情ではなく、もっと根本的な何か。
誘蛾灯は直接的に光で虫を引き寄せたのではない。夜行性の昆虫は月の光を基準として飛行の方向を決めていた。誘蛾灯はその基準を狂わせ円を描くように、結果的にその場に引き寄せていたのだ。月を失った地球でどれだけ昆虫の生態系が破壊されたことだろう。そしてその影響は人類においてはもっと深刻だった。月の消失は一切の例外なく人類からリビドーを奪い去った。確かめた、何度もデジタルの海に飛び込み調べ尽くした。研究し検証してみた。そこに一つの例外もなかった。ならばどうして自分だけが、この世界に於いて異質なのか。桃から生まれた? ふふふ。
まるで絶滅寸前、ガラパゴス諸島のピンタ島に、一匹だけ取り残され生き残った、ゾウガメのロンサム・ジョージ。とても滑稽で悲しい実話。裏を返せばそれと同じ。
リビドーを抱える唯一の人類が、俺、ただ独りだなんて……
「ほうぅ~? ピンクタワーで動物たちが越冬してる?」
「ええ」
秘技、論点ずらし。アルフェスおじさん直伝の戦闘時、マル秘テクニック。
陰鬱で複雑で込み入った思考を邪魔されたくはない。それに教授は……俺の秘密を半分知っている。
「永久凍土の冬場に……そんなのは初耳じゃ」
「雹が降る季節は誰も行かないですからね。バルーンは叩き落とされる。でも夏場に生える一年草を求めて昔から動物たちは永久凍土に立ち入っていた。それが越冬しているだけですよ」
「ふむ。だとしても興味深い。脳の容量は一杯なのにこれは是非とも入れておきたい情報じゃ。入れ代わりに飛び出す記憶が重要でないことを祈るのみじゃて」
教授はそれだけ言うと、…………どうやらスイッチを切ったようである。
無数の星が煌き蛍が飛んでるみたい。その下には広漠とした何もない次元。
密やかで静謐で、それは教授の指摘したとおり、無機質なのかもしれない。
けれどもそれが無機質なら人間の汚れた作為が存在しない風景とも言える。
そう。今の俺に必要なのはそんな景色。硝子のように脆くとも美しい選択。
【太陽の石】が、帰る道を示すように。余計なことを排除してシンプルだ。
命題を幾つも抱えれば解決の妨げになることを、子供の頃から知っている。
過去に意味はあるか?
彼女は若返り、記憶は、折り畳まれた。それは限りなく、デジタルデータに近い。
そこには実感さえも、残されてはいないだろう。
俺はグラディエーターに育てられた。殺害がそこにあったのであればそれが正当なジャッジメントの元に行われた行為だと知っている。殺されるには、殺される理由がそこにあったのであろうことも……
真実を掘り起こし、俺を失った母のエートス。母を失った俺のエートス。
明確な愛情がそこに存在するのなら、導き出される答えとはなんだろう。
楽園地帯で経験した仮想現実で得た親子の実感と、母さんと俺にある親子の実感に違いはないのかもしれない。だとしても、優しい別れ。それ以外の選択があるか?
だから俺はこうして旅に出た。やがて彼女は再び若返り、記憶は折り畳まれる。
だとすれば、事実そのまま、風化させて、生きていく上での思い出はそのままに、永遠に生きるしかない。そして、
永遠を生きる俺のパンドラの箱に最後に残されたエートスは……レジスタンス。
誰の不幸も破壊も望んではない。人生との折り合いをつける、時期が来だけさ。
マザーAIが人類に仕掛けたペテンを暴く。
破壊でもなく、殺戮でもなく、それこそ、俺のレジスタンス。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます