第71話

 ――子供の頃、アルフェスおじさんが持ち帰った写真集に魅せられて、断片的ではあるけれど細々と調べてたんだ。およそ-*-それは西暦2000年頃に撮影されたかなり古い写真集だった。

 『火の国』アゼルバイジャン。

 黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方のカスピ海の沿岸に面した-*-

 あ~、カスピ海とは書くけれども、-*-実際には大陸移動で550万年前に海が陸地に封じ込まれた塩湖で、当時の水量は世界の湖水の44%もあって湖底の地形がかなりユニークなんだ。三つに分けて、北カスピ海は水深5~6メートルの大陸棚、中カスピ海は水深190~200メートル、南カスピ海は水深が1000メートルもあって塩分濃度も濃い。だから永久凍土にはあるけれど、南の方は凍ってはいない。

 そしてアゼルバイジャンの国としての成り立ちも歪な湖底と同じく相当ユニーク。

 太古の地球上の他の地域がそうであったように昨日までその地に住んでいた人種・民族が、翌日ごっそり入れ替わっていたなんてことがよくあったそうで、そこが誰の土地だったかなんて今を生きる俺たちには解釈が難しい。実際、一説には白人の起源とも謂われているけれど、その人々は歴史上のどこかで移動してしまったし、幾多の強国からの支配を受けて、使用言語は流転し、ゾロアスター教発祥の地なのに宗教はキリスト教になったりイスラム教になったり、領土は他国に飛び地が存在してたり、自国の中に独立を求める地域が存在していたりと、その様相は、まさに複雑怪奇ふくざつかいき

 宗教以外の文化経済では、古くはシルクロードのキャラバン隊(隊商)の中継地として栄え、東西の十字路としてアジアと西洋の、はたまた中東の文化が混じり合い、多種多様な民族が渾然一体となって独自の文化を形成してきた。加えて、これは悲劇でもあるのだけれども-*-カスピ海から産出される石油と天然ガスの利権を求め、独立してからも様々な国の思惑に翻弄され手を入れられ、国内の貧富の差は激しく、経済はまさにジェットコースターのように…………もしかして疲れた?


 あは。ごめんごめん。しかめっ面が目に浮かぶようだよ。

 ついつい、学校の授業みたいな文章になってしまったね。

 けれど俺が小難しいってことは、子供の頃からよく知っているはずさ。


 そうだ! プレゼントがある。引き出しを開けてごらんよ。Pおじさんに頼んで、ここにあるのとそっくりそのまま写真集を立体コピーしてもらった。漠なる大地では禁止されてる行為だから内緒だよ。どっちが本物か判らない出来映えになってる。

 だから……二人は今、同じ景色を見ている。


 1ページ目を捲ってみて。それが今回の目的地、カスピ海に突き出した半島にあるアゼルバイジャンの首都バクー。-*- バクーとは『風の街』と言う意味だよ。

『火の国』の首都が『風の街』なのはなんだか不思議だけれど、寒冷化前のこの地はカスピ海から吹き上げる風も凄まじく、寒さが名物でもあったようなんだ。

 どう驚いた? まるでアルフェスおじさんが凱旋した日に宴会でやったごった煮の闇鍋みたいな街でしょ?

 ヨーロッパ調で情緒ある石造りの市街、ロシア風の建物、崩壊した社会主義による計画的構造物。教会があり、モスクとミナレット(イスラム教施設の尖塔)が聳え、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)に人が集まっている。そしてなにより……


 歴史経過をそのまま転写したみたいな気取らない昔ながらの街並みを残しながら、-*-すぐ側の丘の上には空想科学小説(SF)を髣髴ほうふつとさせる巨大なガラス張りの超高層ビルが立ち並んでいる。説明文によるとそのビルは夜になれば消防士が火事と見間違えるほどの光量の、炎を模した灯りを周囲に放っていたそうだよ。


 夢中になった気持ちが少し伝わっただろうか?


 実在と過去。様々な宗教。大金持ちと貧乏人。多様な文化。数え切れない民族。


 すべてが混在して交わり合い、アンバランスで非科学的で、だからこそ人間臭く、かと言って所帯じみてもない不可思議で未知なる世界観がそこに写ってる。けれどもやはりそこに住む人々はエネルギッシュに懸命に生きていて、しかもその写真の頃は実質的には独裁国家で隣国との戦争の真っ只中だった。バルーンに似た無人兵器まで使用されていた。社会主義国家に支配された経緯から、他のイスラム圏の国々よりも宗教色は薄く心の制約が少なくて自由で豊かで、政教分離、信教の自由が認められたイスラム世界初の共和国。なのに敵対する隣国には常に罵声を浴びせかけている。

 どう? ステキだと思わない? 

 蠱惑的で幻想的。そこには魅力が溢れてる。

 けれど魅力的すぎて、今を生きる俺には、想像がまったく追いつかない。


 で、25ページ目。どうやらそれはリヴァイに言わせれば計画中の建物の完成予想図らしいのだけれども――あ、今日リヴァイと地下空間で会ったんだ。覚えてるだろ? そう。よく家に遊びに来てた俺よりも小難しい少年――なので残念ながらそれだけは本物じゃない。おまけにその頃からデジタル化で書物そのものが生産されなくなってその後どうなったかは定かではないのだけれど、解説文ではカスピ海の上に人工島を作り、凡そ100万人が暮らせる街を作って、高さ1050メートルのハイタワーを建設する予定になってる。信じられるかい? ピンクタワーの2倍の高さなんだ。

 うん。わかってるよ。

 ……もちろんスマートグラスを使えば現物を見られるのだろうし、仮想現実ならば触ることも可能なんだろうけれど、そんなのは必要ないと俺は考えている。

 実際に楽園地帯で仮想現実を一度体験したんだ。完全なるVRってやつさ。

 あんなモノに誤魔化されるくらいなら、永遠に眠っていた方がましだと思う。

 俺は漠なる大地育ちでスチームパンクシティーの嘘のない流儀で生きていきたい。

 確かに目的地に着いてたとしても降雹でそこにはなにも残っていないだろうけど。

 大切なのは、そこに何が有ったかなんだ。



 勝手に家出してごめんね。

 あなたがいる優しい世界から離れたのは、それが生きていく上でのエートスで……

 ……俺は口下手で、それについては青い鳥がもっと上手に説明してくれたと思うので……割愛。また手紙をだすね。



    親愛なる母さんへ。


         あなたの息子、アルフェス・フィガロ・ナミフル・セレンJr.――


 









 便箋びんせんの最後の一枚を書き終える。

 リニアまでの退屈な移動時間を俺はそうやって過ごした。

 偉そうには言ったけれど、知識がないので結局は、-*-スマートグラスで色々と調べながら、しかも最後のほうの文面は、到着時刻に焦ってかなり尻切れ蜻蛉とんぼになってしまった。だけど仕方が無い。トレジャーハントは単なる方便なのだから……

 

 リニアに到着すると、郵便ポスト代わりの人造人間に俺は手紙を託したのだった。






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