第46話 裏アカウント⑧ 読書

「大人のピンクタワー。なんだか意味深だな~」と、独り言。


 窓の景色にも飽きて僕は本に目を落とす。唯一の話し相手である教授は鬱ら鬱ら、買ったばかりのロッキングチェアで揺れている。死者がうたた寝とはこれまた意味深である。大人のピンクタワーと同様、なんらかのメタファー(暗喩)であろうか。

 

 紙本の匂いと手触り。耳にページを捲る音(ぺらり)。話し相手不在でも退屈することはない。ここには沢山の本がある。現実世界で図書館は古めかしいオベリスクであろうし、本にも価値はないけれど、この時間は僕にとって何よりの安らぎである。


 自らが成長していく様を観察したり、もう一つの地球の覗き見もそれなりに楽しいけれど、それだけではやはり寂しい。吸収と変化こそ、生きている証しなのだから。


 (ぺらり)ページを捲る。

 

 シンギュラリティ(技術的特異点)は、割合に早い段階で到達したようである。

 人工知能(AI)自身が自己をフィードバックして改良し、より高度化する。ま、平たく言えばドミノ倒しのように、より優れた自分を自ら生み出す連鎖が起こったと考えればいい。第4次産業革命。人類に代わりAIが文明の進歩の主役となったのである。


 だがその時点においては、地表に有りもしない国境線が引かれ、愚かにも国同士での争いなどもあったようである。人類はAIの優れた知能を活用しながらも、利益、思想、信条、人種、宗教、あらゆることで対立していた。


 ふ~。一息入れよう。僕は窓の外に目をやる。僕が友達の言葉で動揺している。


 キッスとは哲学である。だから過分に照れて言い訳する必要などない。


 けれども友達に揶揄われ、慌てることもまた哲学である。


 哲学は楽しい。哲学することこそ哲学なのである。





 自分が永久凍土にいる所為なのだろう心持ち寒いような気がした。

 サイドチェストには、湯気の立つ淹れたての紅茶が置かれてある。

 シャンディーが気を利かせたようでその気遣いが素直にうれしい。




(ぺらり)ページを捲る。


 月を失うことは顕著な出来事だった。岩石惑星の地球になぜ水が存在するのか? 

 そもそも地球に生命が誕生した理由にも月が関係していたらしい。それほどまでに月は身近な存在であった。月は生まれた当初、僅か2万4千㎞の距離にあった。潮の満ち引きは数千メートルにも及んだのである。(現在の平均公転半径は約38万km)


 その環境が生命を産みだし(仮説)、地球と月は兄弟のように共に成長してきた。


 月が地球の地軸の傾きを一定に保つことで、40億年も気候を安定させた。


 だが人類は月を手放すこととなる。隕石の衝突の危険があった。



 各国のAIが同じ結論を下す。人類に選択肢はなかった。月は衛星としては余りにも大きい。自転の激変による衝撃を地表に留まりやり過ごすことは不可能であった。

 AIは合議制を取り、地下ドーム建設と核融合によるエネルギー供給を決断した。



 ……つまり綿ガエルの卵の房を破り、一個一個を独立した形で地中に埋めるようなイメージでいいのかな? 無論、相互に行き来きは出来るのだろうけれど……



 地下とは言え安定した地殻は限られている。ドームの大きさは制限がなされた。

 大国は分断され人種も宗教も関係なくマザーAIはそれぞれに人類を割り当てた。

 月を盾として人類が存続したのち、当然のこと地軸は乱れ、地球は寒冷化した。



 実に興味深い。ここまでは、教授が産まれるよりずっと以前のいにしえの昔話。

 移住の準備が整うまでの短期間に兵器や危険な施設は残らず廃棄された。

 これにより人類が、人類自身で滅亡してしまう危険性は、ほぼゼロとなった。

(今さらかよ、馬鹿か?)

 その成果に比べれば、リビドーの消失など、軽微なマイナス要因と言えるだろう。



 ふ~。紅茶を口に含むとほのかな果実の香りとスパイスの刺激と紅茶本来の渋みが混在している。どうやらシャンディーは個性豊かなブレンドフレーバーに凝っているようだ。



  

 (ぺらり)ここからも、矢継ぎ早に忙しい。


 マザーAIはリビドーの消失による出生の減少を補い、人類の安定的かつ継続的な存続の為に独自DNAをもつ細胞小器官を取り入れることで人類の老化を克服した。

 究極的な少産少死の実現である。

 とは言え、人類が脆弱な存在であることに変わりはない。事故や突然死のリスクは当然の如く存在するのである。なので、有性生殖も細々と運営されることとなった。


 だがそれでも人類は容易には安定しなかった。栄養素と短絡的な娯楽だけではどうしても存生ぞんじょうできなかったのである。故にマザーAIはもう一つの地球を作りだし、太陽を欲する者には地上での生活を許した。

 マザーAIの行動原理は徹頭徹尾、人類が有意義に存続することだからである。


 (ぱたん)本を閉じる。ふ~、ちょっと疲れた。




 この頃になれば、試験管を混ぜ混ぜ、人造人間が既に生産されている。

 本ではなく直接、教授から話を聞く方が有意義であるだろう。

 レジスタンスとの戦いなどは何度聞いても臨場感がある。


 歴史上、レジスタンスは幾度か、マザーAI本体の破壊に成功した。

 けれど、マザーAIは脱皮する蟹の如く抜け殻を残しながら新しく生まれ変った。

 事実、永久凍土にはマザーAIの残骸が複数残っているらしい。

 実際問題、人類滅亡の可能性もなくはなかったのである。

 このあたりのスリリングな展開は、非常におもしろい。

 ……最終的には、マザーAIは雹の降る雲の上に打ち上がり、攻撃手段を持たないレジスタンスには手の届かない存在となったのであるが……



「うるさいのぅ」

「おや? お目覚めですか?」

「ふむ。主の独り言は悪い癖だ」

「はは。すみません」

「過去など振り返ってもしょうがない。ここに距離的な隔たりや時間的同期はない。ここでは過去と未来は存在せず……」


「教授はとおっしゃいますがね。僕はその見解に少々異論がある。そもそも時間や空間は本当に存在するのでしょうか? いえね。僕は今、大人のピンクタワーなるものを友人と冒険しているのですがね。この図書館に、ピンクタワーなるものについての書物がない。もしあれ、キノコのような存在だとすれば上に生えているのは本体ではない。根のような菌糸がその本性だ。あれは菌類が有性生殖した時にのみ、現れる現象。その程度の記述はあってしかるべきではないですかね?」


「相変わらず小難しいのぅ~。おっ!」

 苦虫を噛みつぶしたような顔がほころぶ。

 教授の目の前には雪の結晶のようなフィンランディアの細長い瓶とグラス、そしてナッツ入りのロシアン・クッキーが添えられてあった。


「シャンディーはいつからこんなに気が利くようになったのかのぅ? 時間と空間を超越し過去も未来も存在もないのなら、そのような変化は起こりえんて」


「いえ。常に変化はするのだと思います。ここにおいて少し先の未来が見えるのは、現存する原子(その組成も含め)の次の行動をある程度、予測できるに過ぎないのではないでしょうか? だが過去は違う。過去の原子の動きは正確にデジタル化され、データとしてこの本にすべて記録されている。ここに記載されていないことは……」



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