第36話

「えー嘗て、人類には寿命という概念が具現的に存在しておりました。死というのは難解ですので中学の数学Bで学ぶとして、概要だけを簡単に説明すると命の回数券、つまりはテラメアの短縮による細胞分裂の減少及び停止が細胞の老化ひいては生物の老衰からの衰弱死を不可避なものにしておったのです。やっかいなことにテラメアは真核生物の染色体の末端部にある構造がですね、必要不可欠な重要な部位である処で

まっ、迂闊に触ると余計に死を早めるというわけですな。本来はテロメラーゼという酵素が作用することで短縮だけでなく伸びたりもする。細胞分裂による「引き算」とテロメラーゼの働きによる「足し算」で、丁度、公園にあるシーソーのようにですなギッコンバッコンバランスを取りながら長生きすべく人類は奮闘しておったのです」


 授業の内容はまったく頭に入ってこない。見ちゃ駄目だ。見ちゃ駄目だ。そう思うほど、僕は斜め前の席のシャンディーの虹色に染められた髪に目がいくのだった。


「そこでマザーAIは人類の為にある決断をしました。それはある種の独自DNAを備えた細胞小器官を取り入れることで、この寿命という概念を辞書から消し去ったのです。驚かれましたか? ですがそれ自体それほど突飛な振る舞いでもありません。嘗て、シアノバクテリアが原始真核細胞に共生して葉緑体となって植物が生まれた。好気性の細菌を取り込みミトコンドリアが生まれた。太古の地球は様々な極限状態にあり、大気や海の組成も大きな変遷を重ねておりました。空はなぜ青い? 情緒的に考えても意味ありません。それは大気が窒素や酸素で満たされているからであり嘗てメタンガスで満たされていた空は桃色ピンクだったことでしょう。それぞれの時代に適応し生物は生きてきた。環境が変化し滅び行く特性もあるが、それが有意義な特性であるとき、共生という形でそれを存続させたのです。好気性の良い所、嫌気性の良い所をウンッ、ペンパイナッポーアッポーペンっ! です。だがこれは人類が乗っ取られた訳ではありません。あくまで強いものが弱いものを支配するなのです」


 

 本日はペンパイナッポーアッポーペンっ! これだけ理解してりゃいい。

 それよりも僕には重要なことがあるんだ。




「死なないなんて当たり前じゃんね。仕組みなんて意味ね~し」

 タケルが話しかけてきたけれど「うん」としか答えられなかった。寄り目にしても眼球の端に虹色の髪がちらちらと映り込む。


「テラメアの安定期がおおよそ中年だってのが厄介だよね。自分じゃ選べない。稀に20代で固定される人がいるらしいけど」

「おまえって真面目に授業聞いてるよな~」タケルが冷やかすせば、

「先生が、養い親と同じ顔だから気が抜けないんだ」と、リヴァイはクールに返す。


 僕は幼女が先生だったらと想像して同情を禁じ得ない。

 人造人間はどうしてみんな同じ顔なのだろう。


「まあでもリヴァイの言う通りだよな~。20年で老化が止まればいいのに」

「そこは結構、悩ましいんだよ。どの年代が一番幸福かは難しい所なのさ。肉体だけなら若い方がいいけど精神的な充足感は――薬である程度調整が効くから――享楽を追求するだけの楽園都市でさえ、おじさんおばさんだらけなのは……」


 僕もそう思う。やはり他の具は我慢して、薬味だけでそうめんを二束くらいでぴりっと食べ終わるような成熟した大人がいい。八束食べて二時間も動けなくなるような分別のない若者は駄目だと思う。もしくは目の前にお宝があっても危険があれば我慢してさっと引き返す思慮が大切なんだ。僕はそんな大人に成りたいのである……ってあれ? また頭が混乱しているぞ。今日の僕は普通じゃない。また回想してしまう。



 今朝のことだ。早朝の下駄箱の前。

 いつもと同じ時刻にPおじさんの家から登校したら早く着きすぎたのだ。

 まだ誰もいないと思ってた。



「なに? あんたいつもダサい癖にどうしたのそれ?」

 声をかけられ驚いた。アマゾネス軍団の一人だ。髪の毛が虹色ってこと以外には、相手に対して何の情報も僕は持ち合わせていなかったけれど……


「知り合いのお土産だよ。ウィツィロポチトリの腕輪。アステカ神話の中に出てくる太陽神でハチドリをかたどったとも竜蛇神とも言われてる。何千年も昔に実際にあった文明で……あ、アステカはアステカ文明ね。メキシコの近く……メキシコって言われても知らないよね。ちょうどここから地球の反対側……反対側? でいいのかな? でそこに埋まってた腕輪……ってその本物のアンティーク? ヴィンテージ? ではなくてレプリカ? お店で売ってたお土産? だからお土産をお土産に貰っただけで

(小難しい小難しい小難しいっ! 緊張で早口になってるっ! 止まらないっ!)」


「やるじゃん!」

「えっ!?」

「かっこいいよ」



「……あげるよ」

「ん?」

「もし気に入ったんだったらあげる」

 僕はこの会話を終わらせたい。終わらせたい。終わらせたい。緊張する。


「ふ~ん」

 僕がおずおずと差し出した腕輪をシャンディーは(その当時、僕は彼女の名前さえ知らなかったのであるが)鼻を鳴らして暫く眺めた後で、それからまた「ふ~ん」と自分の腕に嵌めたのだった。


 お宝は売るほどある。

 歴史的価値や遺物としての値打ちがないので僕にくれたのだ。

 気のせいか、まだ彼女は僕を見ているような気がするけれど、これで僕は緊張から解放されるであろう。アルおじさんにはごとき避けられぬ戦闘に巻き込まれ、く失くしてしまったと言い分けしよう。
















              「ちゅッ♡」



                !?








「……えっ! あゎゎ、あれ? えーと、うーんと、これは……」



「? なにって、ただのお礼じゃん」





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