第37話 裏アカウント⑦(教授の独り言)

|不思議だ。頬が熱い。新種のウィルスに抵抗する免疫機能のように頬は熱い|

|タケルとリヴァイの声は教室の外。僕は今朝の下駄箱をまた回想してしまう|

|どきどきしている。どうしてだろう教授。キスされたのは僕じゃない僕か?|

|シャンディーの唇が僕の頬と、ウンッ、ペンパイナッポーアッポーペンっ!|



 ふむ。混乱しておるのぅ。現実と無意識下がごちゃ混ぜになっておる。

 冷静で小難しいこの部屋の主。それが慌てておる。可愛いもんじゃて。

  少年と同期して動揺して……まあ、元から二人の人間は存在してない。

  


|僕たちはリビドーを失い。そこから生まれる芸術も手放した。人生はゲーム|

|新しいものは生まれない。既にある電子化された偉大な芸術を楽しめばいい|

|異性にモテる必要はない。ロックンロールも投石も口紅もSNSもいらない|

|なのにどうして。キスの意味とは? キスの意義とは? キスの進化とは?|



 相変わらず小難しいのぅ。問題を昇華して理屈をこねてみても答えはない。

 デジタルの世界は本人にとっては立体的だが、わしから見れば平面に映る。

 それが魂なのかは定かではないが、それはまるで飛び交う流星のようじゃ。



 雪の結晶のようなフィンランディアの細長い瓶のキャップを開ける。

 きゅぅぽん。グラスに注いだ。ここでは望めばなんでも与えられる。

 飲めばきちんと現実の味がする。わしはもうこの世にはいないのに。






 精神分析学でリビドーは様々な欲求に変換可能な心的エネルギーと定義される。

 リビドーはイド(無意識)を源泉とし、性(子孫を残すための行為)だけではなく非常にバラエティに富んだものへと向かう本質的な力と考えられている。

 例えば、男根期の露出癖が名誉欲に変わるなど社会適応性を獲得する。支配欲動が自己に向かい厳格な超自我を形成して強い倫理観を獲得することもある。



 それはそうなんじゃがのぅ。主は色々と難しく考えすぎておる。

 生命の本質はリビドーだけではない。もっと奥が深そうである。

 愛も友情も欲望も芸術も葛藤も人間の中からは消えてはいない。







 わしは主になにを伝えるべきなのじゃろうか?

 今の一瞬をその今を大切にして欲しい。

 自分の中のスイッチをぴかぴかに磨いておくのじゃ!

 薄っぺらいかのぅ?




 しかしまぁ、……死んでから生命とはなにかを考えさせられるとは思わなんだ。

 主の目にわしは老人として映っている。けれどもわしは本当に老人だろうか?

 ここに時間的概念はない。常に今。有機体である生物の無意識下に広がる何か。

 わしを構成する原子さえ完全にデジタル化する恐ろしく巨大なデータの集合体。





  

 ……だとしても、どうして死んだわしが自由に思考することができる?






 主のために用意された鸚鵡返しに返答するロボットのような存在ならわかる。

 だがどうしてわし自身が思考することが可能なのか? ウォッカを楽しめる?

 わしはもう一つの地球の真の存在を知っていた。知ってはいたが何だこれは?

 一体全体どういった構造なのか。この空間が何なのかわしには特定できない。


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