第2話

 ブルーバードの遠ざかる行方ゆくえを目で追いつつ、少女はくるりと踊るように一周して改めて街を見渡した。恋に落ちたような気分になった。


 赤道直下のごく限られた『楽園地帯』には、世界人口の5%が未だ暮らしている。

 けれどそこから外れ、永久凍土までの端境はざかいにある『ばくなる大地』は人間が生活しうる極限だと言っていい。だからそこに人の営みがあることは奇蹟だと言っていい。


「言っていい。言っていい。ここは奇蹟と言っていい」

 改めて少女は、両手を広げその場をくるくると回った。欠陥品であろうと思われる老人が、一瞥をくれて通り過ぎていく。


「おんぎゃぁ」


「おぉ、すまない」


 少女は、着ぐるみのまま地面に放置していた赤ん坊を拾い上げた。


「君は運がいいぞ、少年。楽園地帯では誰も子供なんか産まないから生乳も貰えないのだ。これは奇蹟だ。だから君は運がいい。さぁ、生乳だ」







 甘い香りの中に、鉄分の臭気が混じるようななんと表現すればいいのか。……血の匂い? よくよく考えれば、生乳とは血液と同じようなものではないのかと、少女は小首をかしげた。


 鼓動と同じリズムで、コクッ・コクッ・ピコンと、赤ん坊が喉を鳴らしている。


 少女は興味津々で、長いまつげを上下して目をパチクリとさせ、顔を近づける。



「珍しいですか?」

「はいっ!」

 生乳をあげている女性は照れ隠しで言ったのであるが、少女はいたってまじめな顔で即答した。またも大きな目をパチクリとさせる。赤ん坊だけは我関せず、ほっぺを薔薇のように紅潮させ、コクッ・コクッ・ピコンと飲んでいる。


 毎日連れてくるのは面倒だと思ったが、授乳というものに少女は感激していた。

 自らが子供を産むことはないだろうが、自身もまた親から産まれた存在だった。

 試験管から産まれたわけではないのだ。



 ギルド内にある女のそのは非常に無駄なモノであふれている。

 机上きじょうは作りかけのアクセサリーだとか、デコアートだとか、パッチワークキルトで埋め尽くされている。床にはカーペットのうえに、クッションだとか座布団などがそこら中にばらまかれてある。そして窓辺にもどこにでも、隙間があればヌイグルミが飾られてあるのだった。


「あそこのステージみたいなものはなんですか?」

「ステージだよ。カラオケ。あんたは歌わないのかい?」

「好きですよ。VR(Virtualバーチャル Realityリアリティー)でよく歌います」

「まあ、そうだろうね。だけど実際に声帯を震わせることはとっても気持ちのいいものなんだ。もう一つの地球(VR)でやれることをなんでわざわざって思うだろうけれど…………」

 そこでギルドの婦人部をとり纏める女性は話すのをやめた。

 授乳を終え、おしめを取り替えられている赤ん坊の元気なおちんちんに少女の目が釘付けになっていたからである。


「ふふ。しっかりと手順を覚えておくんだよ。ふーん、しかしリビドーもないのに、おちんちんには興味があるんだねぇ。ふふ」


(ほう。やはりこれがおちんちんか!)





 

 

 なんだかんだと少女は8時間以上もギルドに居た。

 その間に3回も生乳をもらい、色々な話をした。あのごてごてした空間は、少女にとって、なぜか非常に居心地のいい場所であった。


 建物の外に出るともう雨はやんでいて、空にうねうねとオーロラが揺れていた。


 遠くにある地平線にけぶる雪煙ゆきけむりに、夕映えが反射している。



「ぶるぶるぶるっ! 寒っ!!! 夏でもこの時間になると寒いね」


「あばぁぶ」


「あんたの体は温かいね。さぁ、宿屋に戻ろう」

 少女は赤ん坊を抱えるようにしてそそくさと歩き出したのだった。








 

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