星夜②

 少し息苦しかった新学期も、昼を過ぎれば開放的になる。下校時刻になればすぐさま学校を出た。

 裏門から出て、忍ぶように早足で坂道を下ると、白い軽自動車が荒れた駐車場に停まっているのが見えた。響が運転席に座り、町田が助手席にいる。

 下校する生徒の目をかいくぐって、車の中に乗り込む。その際、溜まっていた息を吐いた。


「お疲れ様ー。どうだった?」


 響が聞いてくる。その声には多少の不安が混じっていた。後席のシートにもたれ、与鷹は苦笑した。


「めんどくさかったけど、親にはバレてないみたいだった。学校にも」

「そっか」


 響が前を向く。町田はなにも言わない。

 珍しく静かな二人に、与鷹はすぐに不審がった。


「どうしたの?」

「いや……なんていうか」


 モゴモゴと言うのは響だった。町田の様子をうかがっている。彼女の顔はこちらからはまったく見えない。


「なんていうか、おかしいよなって、思ってるんだ」

「おかしい?」


 反復して聞き返すと、響の暗い声が唸った。


「朝からひと悶着もんちゃくあるかなって思ってたのよ。でも、平穏に無事終了」

「これのおかしさに気づくべきだよ」


 町田がようやく口を開いた。その声は怒りがこもっていた。

 しかし、二人には申し訳ないが、与鷹はこの平穏をぶち壊したいとは思っていなかった。両親が乗り込んでくるという最悪な状況が起きなくて、心底安心しているのだ。


「おばさんは依存症だよ。ナオとヨダに依存してる。それなのに、新学期に自分の子どもが学校に来てるかくらい確認するものじゃないの? なんでそうしないの?」


 響の質問は難しい。答えが見つからず、与鷹は肩をすくめた。


「単に、今日が新学期だって知らないのかもしれない」

「学校に問い合わせるって考えがないのが異常だって言ってんだよ」


 こちらの呑気さを責めるように町田が鋭く言った。


「言い方悪いけどさー、あんたの親、自分たちがやってることに気づいてるんじゃない? 世間にバレるのが怖いんでしょ。つーか、それくらいの罪悪感は持っててほしいわ」


 車のエンジン音が虚しく鳴り続け、その音がやけにうるさい。いつもは音を感じさせないのに。エアコンの勢いも強かった。


「……逆に考えたらさ」


 しばらくの沈黙後、響が声をうわずらせて言った。


「罪悪感がありまくりだから、ヨダに配慮して手が出せないとかは考えられない?」


 その線もありそうだ。しかし、町田の呆れた声が一刀両断する。


「それはそれでどうかと思うけど。家出されたから放任ほうにんってわけか。警察にも学校にも連絡せずに、無事かどうかも分からないのに」

「ナオの嘘を信じてるんだろうね……」


 響は元気をなくした。ハンドルにもたれる。そして、辛辣に言った。


「なんかもう、おばさんの感情が分からないよ」

「理性がなくて感情のままに生きてる感じ? そういう人はまぁ、どこにでもいるよね。うちのバイト先のおばちゃんもそうだわー。すぐ怒るし、理不尽なことばっかり言う。超うざいわー」


 町田も投げやりに言い、感情のないかわいた笑いをぽっかり浮かばせた。

 まったく、二人とも散々な言いようだ。与鷹はカバンを膝の上に乗せて、その上にした。


「ヨダ、大丈夫? 具合悪い?」


 響がすぐに反応した。その横で町田が「ありゃ」と頓狂とんきょうな声を出す。


「あー、ごめんごめん。言いすぎた。そうへこむなよー」

「へこんでないし、大丈夫。ただ、ちょっと疲れただけ」


 家族に進路、友達。考えることが急に増えて、頭の中が騒がしい。それを悟ってくれたのか、二人はもうこの話題を持ち上げようとはしなかった。車が発進する。


「あ、そうだ。ヨダ坊よ。晩ご飯はなに食べたいー?」


 町田が機嫌よく聞いてきた。これにはすぐに顔を上げる。


「オムライス」


 即答すると、町田はあっさりと承諾した。


「オムライスね。よーし、頑張って作るぞー」

「卵は半熟がいい。デミグラスソースで、でもケチャップライスのやつ」

「はぁん? やたらと注文が多いなー。半熟だとぉ? そんなのできっこないじゃん、初心者なめるなよ」


 意気込んだ割には面倒そうにあしらってくる。


「ねぇ、町田。みじん切りってできる?」


 響が恐る恐る聞いた。すると、町田はあっけらかんと返した。


「ミキサーでやれば余裕よゆうっしょ」

「あー、その方が安心安全だわ」


 町田の答えに響が笑う。与鷹も安堵した。

 実は、昨夜食べたカレーがまずまずの出来できだったので不安だった。具材が大きくて火が通っていないものもあれば、玉ねぎは煮込みすぎて繊維せんいだけになっていた。しかし、食べられないこともないので判定に困る出来である。


「デミグラスソースは難易度高いからさ、昨日のカレーがあまってるんだし、オムカレーはどう?」


 響の提案に、すかさず町田が指をパチンと鳴らす。


「ナイス! それでいこう! カレーって、大抵うまくできるから楽よねぇ」


 どうやら昨夜のカレーは上出来の部類に入るようだ。


 ***


 プラネタリウムの投影ユニットを作る我竜の横で、与鷹は教師から渡された志望校記入票とにらみ合っていた。

 本当はアルミ板を触っていたかったのだが、こっちを片付けなければ扱わせてもらえなかった。「それが済んだら手伝って」と言われてしまえば諦めるしかない。完成は目前なのに。

 悶々もんもんと悩むこと二時間。暖かい夕食が届いても、紙は白紙のままだった。


「お待ちどう! デリバリー町田ウィズ響でーす」


 ふざけた出前の挨拶が聞こえる。玄関から漂うカレーの匂いに、我竜は「またカレー?」と眉をひそめたが、与鷹はありがたく受け取った。

 大きめなタッパーの中に敷き詰められた卵は半熟ではなく、四隅が焦げて固い。それを隠すようにカレーソースがかかっている。早速、プラスチックのスプーンですくいとる。


「いただきます」


 食欲をそそるカレーの匂いを吸い込んで一口頬張る。その横で、我竜がじっと様子を見ていた。


「えっと、僕の分は今日もないの?」

「我竜先輩、図々しいですよ。なんで私が先輩の分の飯まで用意しなきゃいけないんだ」


 町田が踏ん反り返って言えば、横で響が身を乗り出してきた。


「あ、じゃあじゃあ、あたしが先輩のご飯作ります!」

「……僕、ひとの手料理は食べられないから」


 急な手のひら返しに、与鷹は口に入れたオムライスを喉に詰まらせた。慌ててお茶を飲む。

 響が不満に肩を落とした。


「なんでよー。じゃあなんで思わせぶりなこと言うのよー」

「なんとなく寂しくなったから言っただけだよ」


 適当にごまかしている。そんな三人から離れて、与鷹は夕飯に集中した。

 昼に給食を食べたはずなのに、妙に食欲旺盛だった。特別美味ではないが、素朴な甘口のカレーが無性にうまい。一晩寝かせたからか、今日のじゃがいもとにんじんは柔らかい。


「あらら、足りなかったかね。おかわりいる?」

「おかわりしていいの?」

「いいよ。ちょっと待ってて」


 町田は嬉しそうに言い、慌てて部室を出ていった。その様子を窓から追いかける。町田のポニーテールが暗がりの中へ消えていった。


「食欲が出てきたようで良かったよ」


 我竜が言った。それを響もニコニコ笑って頷いている。なんだか恥ずかしいので目をそらした。



 夕飯を終えて風呂に入る。そんな日常もいつの間にか当たり前になっている。

 行きの空はまだ明るかったのに、風呂から上がれば辺りはよい明星みょうじょうが美しく映える紺色こんいろだった。

 差し迫る受験から目をそらすと、話題が出てこない。我竜はマイペースに前を歩いて行く。

 与鷹はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。


「……あの、先輩ってさ」

「ん?」

「なんで響ねーちゃんと付き合わないの?」


 その問いに、彼は目をしばたたかせた。


「えぇ? 君、そういう話に疎いと思ってたんだけど。大体、付き合うってどういう意味か分かってるの?」


 どうやらあまり聞かれたくないらしい。質問返しにあい、与鷹は押し黙った。

 実際、恋人関係なんてものはよくわからない。ただ漠然と「付き合う」という関係を思い描いているだけで、自身ではこれまでにも浮ついたものをまだ抱いたことはなく、周囲に堂々と交際を宣言している同級生たちを遠巻きに眺めているのが現状だ。

 でも、響のアプローチになびかない我竜の本音が気になるところではある。幼馴染の何が悪いのか、モヤモヤと渦巻く思いは彼女を心配する気持ちなのかもしれない。


「……響はね、かわいい後輩なんだよ」


 やがて、彼は観念したように言った。


なついてくれてるし、頼られてもいる。初めて会ったときは暗い感じの子だったんだけどさ、悩みを聞いてるうちに明るくなっていって、気が合うかもしれないなーとは思ったよ」


 ゆっくりと語られるのは、幼馴染の過去を掘り起こすような話だった。


「でも、だんだんとあんな風になっていって、ちょっと失敗したなーって思った」

「失敗?」

「うん。優しくしすぎたんだよね。ばったり出くわしただけの僕がそこまで彼女に深入りすることじゃなかったんだ。軽い気持ちで相談に乗ってて、まさかあそこまで好かれるとは思ってなくて。うーん……なんか、最低なこと言ってるなぁ」


 自嘲を込めて笑いだす。その声が夜空にフワンと浮かんでいき、与鷹も呆れの息を浮かばせた。

 なんだろう。急にむなしくなった。彼に勝手に抱いていた憧れが急に冷めていく。それを察したか、彼は「あはは」とからかった。


「僕、昔から好きな子には好かれないのに、好きじゃない子には好かれるんだよね」

「うわ、最低発言……」

「まぁまぁ。僕はダメ人間なんだよ。いまごろ気づいた?」


 こちらが勝手にイメージを膨らませすぎていたのかもしれない。だらしない一面を知り、与鷹は落胆した。


「それにね、好きじゃない子とそういう関係になってしまうのは良くないからさ」


 我竜はわずかに言葉をにごらせた。顔を見ると、彼は苦々しく目を細めている。嫌なことを思い出しているようだ。


「え……先輩、何したの?」

「うーん。どこまで言っていいんだろ。なんというか、簡単に言えば段階間違えて、思わせぶりなことしちゃってさ。流れに任せただけで、その気がないって言ったら、ずーっと恨まれちゃって。彼女が卒業するまで逃げてた」


 早口に軽く言われるも、その中身がとんでもない劇物げきぶつだった。これは笑えない。しかし、当の本人は照れくさそうに笑っている。


「あはは。まぁ、流血沙汰ざたにならなかったからいいんだけどさー」

「何してんだよ、先輩……」


 距離を空けてみると、我竜はまたも「あはは」と笑った。今度の笑いは虚しく渇いていた。


「まぁ、そんな感じで。どうにも女の子にだらしないから、自重じちょうしてるんだよ」

「そんなやつと響ねーちゃんが付き合うのはダメだな。なんか、嫌だ」

「大丈夫、大丈夫。絶対に手は出さないから」


 現に彼は響の強引なアプローチを冷たく断っている。芽生えかけた信頼はまだ残っていた。


「このこと、響ねーちゃんは知ってるの?」

「知らない。こんな最低なとこ、教えたくもない」

「そこは嘘をつくんだ」

「嘘じゃないよ。ただ、かっこ悪いからさ。だって、僕らはかっこつけたくて、いちいちくだらない虚勢きょせいを張る。そういうものでしょ」


 その気持ちはなんとなく分かるので、与鷹も「あはは」と軽い笑いを返した。

 すると、突然に我竜が空を見上げて立ち止まる。学校はすぐそばだ。怪訝に思っていると、彼はにこやかな笑みを向けてきた。


「今日はいい日和ひよりだから、天体観測をしようか」


 そう言って彼は懐中電灯を消す。

 街灯もない真っ暗な道は、山の中を彷彿ほうふつとさせた。こちらの承諾もなしに明かりを消してしまったので、与鷹は立ち止まった。夜闇よやみに目を慣らそうと、まばたきをする。


「与鷹、こっち」


 我竜が与鷹の腕をつかんだ。導くように前へ進んでいく。

 美の里大学の正門が見えてきた。そこにはまばゆい街灯がいくつもあり、夜への不安が解消された。


「どこ行くの?」


 聞くと我竜は「うーん」とごまかす。彼の声が思ったよりも浮かれているので、与鷹も早足でついていった。

 しかし、彼はまっすぐに部室へ向かった。それならわざわざ正門から行かずとも、いつもの裏道を使えばいいのに。そんな疑問を持ちながら玄関で待つ。

 彼は自分の腕よりもはるかに太い望遠鏡と丸めたレジャーシートをかついで現れた。そして、玄関のドアに立てかける。踊り場の壁には小さなつまみがあり、それを引くと、折りたたみ式の脚立きゃたつが現れた。脚立を固定し、登って天井の扉を開ける。

 まさか、天井から屋上に出られるとは思わなかった。先に飛び上がって屋上へ行く我竜が、顔をのぞかせて手を伸ばす。


「望遠鏡、上げて」


 言われるままに脚立を登り、望遠鏡を上に持ち上げる。やがて、もう一度彼は顔を出して腕を伸ばしてきた。


「与鷹、飛べ」


 その手をつかむと、強くしっかりした力で上に引っ張ってくれた。天井に手を伸ばして這い上がる。四角く狭い視界が一気に丸く広がる。

 どこまでも遠く、どこまでも深い黒。そして、いく数万もの星々がきらめき、暗闇から浮き上がる。白、赤、青、黄。数えきれない星の群れが近くなった。

 目が暗闇に慣れてくると、星はさらに輝きを放った。増えていく。光の粒があとからあとから。空の高い位置で三日月が笑っている。その黄色の光に照らされ、空は薄い黄色のフィルターがかかっていた。星も負けておらず、あらゆる粒子を含んだ光を輝かせている。

 立ち上がって見れば、空に手が届くような不思議な感覚がした。


「与鷹」


 真四角の屋上にレジャーシートを広げ、望遠鏡を組み立てている我竜の声が弾んでいる。

 近づいてみると、彼はファインダーを調節して言った。


「やっぱり今日はいい日和だね。雲がないし、湿度も低いし、絶好の観測日だ」


 調節が終わったら、彼はその場を空けて与鷹にゆずった。ファインダーをのぞくと、小さな群青の丸の中を光が流線を描いて横切った。

 その光に目を奪われる。あの日見たプラネタリウムを思い出す。これは本物の光だ。遠く彼方で本物の星が流れていく。


「僕にも見せて」


 慌てて飛び退くと、腰が驚くように痛んだ。そんな与鷹に構わず、我竜は口元をゆるめて星空を眺めた。彼の目にはどんな風に見えているのだろう。同じように見えているのだろうか。それとも、もっと違う壮大なものを見ているのだろうか。

 無限の空を眺めていると、彼は静かに言った。


「……僕ね、この天文部に入るまで、そんなに星は好きじゃなかったんだ」


 柔らかにも暗い声が、この高揚こうようにつり合っておらず、与鷹は空から目を離した。


「それまで夏休みの課外活動や、林間学校でしか見たことなかった。普段も、空を見上げようとは思わなかった」


 彼は望遠鏡から目を離さない。好きにピントを合わせて、星へ近づこうとしている。


「僕は平凡で、普通で、ありきたりで、中身のない人間なんだ。それなりに人に優しくして、それなりに楽しんで、それなりに平和だった。女にはだらしないし、バカなこともする。そんなやつだよ」

「でも、自由でうらやましいと思う」


 率直そっちょくに返すと、我竜は相づちの笑いを返してきた。


「普通がうらやましいっていうのは、それだけ経験値が高いってことだよ。僕は適当に生きてたからさ、とくに面白みがない。目標も夢もない。でも、周りはどんどん大人になっていって、気づけば置いていかれてた」


 与鷹は教室でのことを思い出した。

 友人たちは自分の将来を描いている。それなのに自分は立ち止まったまま。置いていかれても、目標が見えないからどうにもできない。

 そんなつらさから逃げようと、ふいに質問を投げてみる。


「そう言えば、先輩っていくつなの?」

「来月で二十四歳。親からは早く卒業してくれって泣きつかれてる。大学院に進むわけでもないし。妹も就職して、先越されちゃったし」


 それは両親が気の毒だと思う。彼はため息をついて望遠鏡から離れた。レジャーシートの上に座る。


「それを分かっていながらも、僕は他人をからかって生きるんだよ。人が怒るギリギリまで調子に乗って楽しんでる。嫌なヤツなんだ、本当に」


 だんだんと自虐的になる言葉に、与鷹は笑っていられなくなってきた。

 彼がどうしてこんな話を始めたのかが分からない。しかし、考える余地よちは与えてくれず、我竜輝の物語は続く。


「そういうことを生きがいにしてたものだから、妙な癖が身についてね。人の心を分析できるようになった。そして、余計なものまで見るようになった。自分自身も俯瞰ふかんできるようになったら、自分の本性ってやつを知った。すると、余計に自分が嫌になってしまって……だから、違うものを見ることにした」

「それが、星?」

「これがなんだか面白くてね。でも、最初は先輩に誘われたからせきだけ置いておこうって思ってたんだ。ここでも適当で、でも、いつの間にかハマってたなぁ。やることがないからやってみただけなのに」


 聞けば単純な理由だった。そこに深みはない。


「きっかけなんて些細ささいなものだよ。明日、自分が何をしているのかは分からない。ある程度の予定は立てられても、気持ちや感情が百八十度変わってしまうかもしれない。熱中しているものから冷めてしまうかもしれない。当然に同じ日常を生きていることはない。それは星も同じで、毎日変化していくんだ。あんなに巨大なものも、小さく地道に変わっていく」


 与鷹はまた空を見上げた。またたく星々は普遍的だと思っていたのに、日ごとに変わっていくなんて知らなかった。ふと、彼から聞いた「よだかの星」を思い出す。


「じゃあ、あの、ティコの星ってやつも、変わっていったからなくなったってこと?」

「そう。超新星っていうのは、星が一生を終える時に起こる大爆発のことなんだ」

「一生を終える……」


 言葉の重さを飲み込むと、計り知れないスケールの大きさに不安がよぎった。これが伝わったのか、我竜も思い当たる節があるように苦笑を漏らす。


「月の満ち欠けが変わるように、星座も変わるし、死んでいく星もある。何億光年と先にある星にも生死のサイクルがあるんだ。膨大で壮大なスケールで、僕らと同じように生まれては死んでいる。それに気が付いたら、僕なんてすごく小さな存在でさ。漠然と本当の自分ってやつも見えてきた。宇宙の偉大さにまんまと飲み込まれてるだけなんだけど、一人で星に向き合っていると、自分の深淵しんえんものぞいているような気分になる」


 それから、彼は少しだけ言葉を迷った。やがて出た声も不確かな音だった。


「……僕は変化を恐れている。こんな何もない僕だから、責任を負う存在になるのが嫌なんだ。だから、大人になりたくない」


 与鷹は目を見張った。

 口では「大人じゃない」と言っていた彼の本音。意味が分かると、どうにもやりきれない気持ちになる。


「卒業していく同期や後輩たちを見送って、彼らが挫折ざせつするのを見てからなおさらに。響や君のことに直面して、ご両親のこととかいろいろと考えてみて、やっぱり思ったよ。僕は大人になりたくない。無責任で無邪気で、自由なままでいたい」

「でも、先輩は誰よりも大人だと思う」

「そうかな? まぁ、僕の視点だけが正しいわけじゃないから、君の言う通りかもしれない。どんなに人間を分析できても、それはデータであって、本物までは知りようがない。結局、本物には勝てないよ」


 彼にしては不安定で弱気な言葉だった。

 もしかして、プラネタリウムに不具合でも起きたのだろうか。あの即席の投影から、彼は作業をないがしろにしている。

 与鷹をも遠ざけているのは、単にこちらの受験を気にしているわけじゃないのかもしれない。それを聞こうと口を開きかけると、我竜が先に言葉を放った。


「こんな僕が偉そうに、与鷹のことを変えようとしているんだから滑稽だよ。無責任でごめん」

「ううん。そんなことない」


 思わず遮るように声を張り上げた。空に投げつけたら、跳ね返って彼に届くだろう。


「響ねーちゃんは、先輩に助けられたって言ってた。先輩のおかげで元気になった。ぼくもそう。先輩と響ねーちゃんと町田さんがいなかったら、ぼくに明日は来なかった」


 熱い感情が爆発した。夜空が感傷的にさせてくるから、明日の自分が後悔しても構わない。彼に素直な気持ちを伝えないといけない。


「……そっか。そう思ってくれるなら、この満天の星を見せた甲斐かいがあったね」


 我竜は照れくさそうに「あはは」と笑った。

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