第二章 寛解

寛解①

 車は道なりに走った後、四車線の大通りに出た。エンジンが加速し、他の車と並ぶ。

 響は機嫌よくハンドルを操作する。こなれた手つきで軽自動車を走らせる姿が、知っている幼馴染とは違うものに思えてしまい、与鷹は直視できなかった。遠い道の先をぼんやり眺める。


「ねぇ、どこに行くの?」


 ガソリンスタンドやフランチャイズのレストラン、コンビニなんかを見送りながら聞く。すると、響はビシッとまっすぐ前方を指差した。


「学校だよ」

「学校? ってことは大学? ねーちゃんの?」

「そう! 今から向かうのは我が母校、大学だ」


 見当もつかなかった。車に乗せられた以上はどこか遠い場所へ行くのだと漠然に思っていたが、まさか大学だとは。

 確かに昨夜、響が「先輩」という人物に電話を入れていたから、学校関連の施設であることは納得できる。


「美の里大学って、どこにあるの?」

遠戸南とおどみなみだよ。こっから車で三十分だね。いやぁ、これが意外と遠いんだわ」


 同じ遠戸地区にあるのだが、地区の最南端に位置している。近いようで遠いと感じるのは大学が山の中にあるからだろう。バスも通っているが、今すぐに飛び出すなら車で行く方がいい。

 ウインカーを出し、右折すれば一気に道がさびれていく。シャッターが下りた居酒屋やホームセンターが見えるだけで、思ったよりも殺風景だ。


「コンビニとか、ファミレスもあるんだよ。おいしいナポリタンがある喫茶店も」


 響は楽しげに話しかけてくる。まるでドライブのようだ。


「だから、ご飯には困らないね」

「でも、お金がない」

「そこは、あたしたちがなんとかするよ」

「たち?」


 不可解な言葉が出てきた。

 思わず響を見やると、彼女は得意げに笑う。


「あたしの先輩と友達がね、協力してくれるんだ。言ったでしょ、手配するって。だから、安心してね」


 ちらっとこちらを見る彼女の目に、どきっと胸が鳴る。安心できるかどうかは分からないが、響のことだけは信じよう。


 それから車はぐんぐん山道を上った。ときおりスクーターとすれ違い、そのどれもが若い学生のようだった。実は美の里大学をきちんと見たことがない。大学に行く用事がないから当然だが、隔離かくりされたように町から切り離されていることは、なんとなく知っている。バスの停留所を通過する程度の不確かな記憶しかない。

 次第に山が開き、平たい場所へ出る。道路も歩道も整備されており、新しい町といった空気を感じとった。

 響の言うとおり、コンビニやファストフード店、ファミリーレストランがあった。居酒屋もスーパーも、アパートもマンションもあり、生活環境は整っている。


 平べったい道路を走ると、やがて徐行をはじめる。響は三階建てのアパート前で車を停めた。クリーム色で真四角のおしゃれな外観が新鮮に感じる。

 響はすぐには車から降りず、スマートフォンでどこかに連絡を入れていた。トークアプリなのか、画面を縦横無尽にスライドさせている。


「ここは?」


 聞いてみると、彼女はすぐさま「あたしん家」と短く答えた。

 大学生になって学校の近くに引っ越したとは聞いていたが、今は帰省中なのだろうか。そう言えば、彼女の自転車は実家に置き去りだった。


「あのロードバイクだけでも、ここまでたどり着けるんだけどね。やっぱ学校から近いほうがいいし、友達と一緒に住んでるの。その友達に手伝ってもらうからさ、着いたよーって連絡をね」

「あの、ぼく、そんなにいろんなひとの世話になるのは、ちょっと嫌なんだけど」


 おずおずと本音を言うが、響はその言葉に対しては無反応だった。


「お、既読きどくになった。んじゃあ、行こっか」


 彼女は元気よく言うと、スマートフォンをポケットに押し込んで車から降りた。仕方なく与鷹も響のあとをついていく。


 外は穏やかなものだった。セミの声も、町のうるささに比べるとのんびりしている。それに、いくら開発都市とは言え、山間の中だからか鬱陶しいほどの熱気はない。


 響は階段を駆け上がっていった。三階。一番奥の三〇三号室が彼女の部屋らしい。

 与鷹は荷物を抱え直し、肩を上げた。鍵がガチャンと大きな音を立て、響がすぐに入っていく。外で突っ立っているのも複雑なので、与鷹も恐る恐る玄関に入った。その場でたたずむ。すぐに鼻を突き抜けたのは、ふわふわと甘い柔軟剤の香りだった。


「町田ぁー、ただいまぁ」


 先に響が部屋の奥へ入っていき、友達を呼びに行く。


「おー、おかえりー」


 伸びやかな女性の声が近づいてき、玄関に現れた。ポニーテールと眠たそうな顔が与鷹を見る。


「あらまぁ。本当に連れてきたんだ」


 どうやら半信半疑だったらしく、意外そうに言った。それに対し、響は「疑り深いなぁ」と呆れた口調で返す。そして、与鷹に紹介した。


「こちらは町田まちだ結子ゆいこちゃん。私の友達で、ルームシェアしてる人」

「はじめましてー、町田ですー。よろしくねー」


 のんびりと町田は言い、ぺこんと頭を下げた。


「んで、こちらは私の幼馴染の有馬与鷹くん。ヨダって呼んでる」

「どうも……」


 紹介に預かり、慌ててこちらも頭を低くする。町田は興味津々に顔をのぞき込んできた。至近距離に思わず飛び退く。それを町田は愉快そうにからかった。


「やだぁー、面白い反応してくれるー。響から聞いてはいたけども、ほんとに中学生かー。若いなぁ」


 何やら感慨深げに頷いている。

 なんとも返せずにいると、町田は響を見た。


「て言うか、荷物たくさんあるって聞いたんだけど。これだけなのー?」

「そう。いやぁ、申し訳ない」

「なんだよー。こっちは張り切って待ってたのに。ぶぅー」


 町田はふくれっ面を見せ、残念そうに言った。

 そんな町田を押しのけて、響は部屋の中へ潜っていく。それから彼女は水色の大きなパーカーを引っ張ってきた。


「ヨダ、これを着て。そんで、外に出るよ」


 ぽーんと放り投げられたパーカーは、やはりふんわりと柔軟剤の香りがした。置き去りにした自分のパーカーとは似ても似つかない色なのに、不思議と懐かしさを覚えた。しかし、響はこれから何をしようとしているんだろう。

 言われるまま、ポロシャツの上からパーカーを着込んだ。すると、町田からフードをかぶせられる。


「よし。これでいいんじゃない? とりあえず、門は突破できるでしょ」

「念には念をって、輝先輩も言ってたしねぇ。町田、もしもの場合のひとばらいは頼んだよ」

「ガッテン!」

「ちょっと待って」


 堪らず、与鷹は笑い合う二人の間に割って入った。


「ぼくは今からどこに連れてかれるの?」

「んえぇ? ちょっとちょっと、響さんよ、説明もなしにこの子を連れてきたの?」


 すかさず町田が呆れる。響は両目をぱちくり開いた。


「そりゃ、この計画は迂闊うかつに喋れないって。輝先輩が言ってたし」


 その輝先輩とやらは何者なのだろうか。響は絶大な信頼を寄せているようだが、当事者にも話せない計画を立てているのは不審でしかない。

 響は得意げに笑って言った。


「今から、天文部の部室に行くんだよ。しばらくそこで生活することになるの」


 天文部の部室――すべてが初耳で、どこからつっこめばいいか分からない。

 与鷹は目のやり場に困り、パーカーのフードを目深にかぶった。


「さすがに中学生男子がなんの用事もなしに学校に入ったら目立つでしょ。もしもの場合があるからね。だから、これに隠れて部室まで行く。気休めだけど、ないよりいいし。あたしのパーカーじゃないとダメなんだって。ひとまずはそういう計画」

「そのために、私たちであんたを護衛するの。分かった?」


 町田が付け加えて言う。与鷹は考えることをやめて頷いた。

 ともかく、頭に叩き込んでいる。ここはもう響に任せよう。不安は尽きないが、無知な自分がああだこうだと言っては余計に迷惑がかかる。


「おっと、電話だ……」


 響がポケットからスマートフォンを出した。そして、そのまま電話に出る。


「もしもーし。輝先輩? そっちはどんな様子?」


 先程から輝先輩という名前が出てくるが、例の「先輩」だろうか。


「あ、輝先輩ってのはね、響の先輩だよ。六年生なの。万年留年の天文部部長さ」


 町田がさらりと教えてくれたが、情報が多すぎるので曖昧に笑うしかできない。


「はーい、オーケイです。りょーかいしました。んじゃ、ヨダを連れて行きますね」


 響は高らかに宣言すると、おもむろに通話を切った。サンダルを引っかけて外に出る。キョロキョロと辺りを見回し、町田と与鷹に合図した。


「レッツゴー」

「れっつごー!」


 町田も意気揚々とスニーカーを履き、玄関を出ていく。そんな二人の後ろを、与鷹はおどおどと挙動不審に追いかけた。


 ***


 正門は大きく立派な看板がある。太い筆文字で「美の里大学」と書かれていた。中学校とは比べ物にならない規模の大きさに唖然あぜんとする。

 美の里大学は、響の住まうアパートから一段登った山の中に構えたキャンパスだ。

 徒歩五分圏内だが、急な坂道の先にあるので体感だと倍に思えるほど体力を使う。正門の向こうには、ガラス張りの建物がドンと面を構えていた。その奥には団地のような真四角の箱が連なっている。建物はいくつも分かれており、中にはカフェテラスや円形の図書館、コンビニまである。

 初めて大学の中を見た与鷹は、その広さはさることながら学校とは思えない自由度の高い環境に、忍ぶのも忘れてフードの中からあちこちを見回した。


「学校の中は広いからねー。ほら、スクーターで移動してる人もいるでしょ」


 何故か響までもはしゃいでいる。与鷹の驚く顔が堪らなく楽しいらしい。この反応には町田も呆れつつ笑っていた。彼女は「ひと払い」という使命を担っており、浮き足立つ二人を引っ張っていく。


「ほらほら、さっさと行かないと。先輩に怒られるじゃん」

「そうだった……これも見られてるんだと思うと、あの先輩に双眼鏡そうがんきょうを与えちゃダメだったわ」

「与えなくても作るでしょ、あの人は」


 町田がケラケラと笑う。どうやら輝先輩というのはタダモノではないらしい。情報は入っているが実態が謎なので、与鷹はついに聞いてみた。


「その、輝先輩って何者?」

「何者……って言われたら、なんて言えばいいのやら」


 町田は答えに詰まった。一方で、響は「そうだねぇ」と逡巡する。


「ザ・謎! って感じ?」


 答えになっていない。しかし、これには町田も「あーね」と納得している。


「ま、会えば分かるさ」

「なんか、めちゃくちゃ怖いんですけど……」

「大丈夫だって! そんな固く構えなくていいから!」


 響が背中をポーンと軽く叩いた。やはり不安だ。しかし、ここまできた高揚もあり、心地の悪さと好奇心で頭がぼうっとしてしまう。


 足早に棟の合間を縫って、たまに学生たちとすれ違いながら、三人は庭園を突っ切った。学校の中に人工芝生が敷いてある。しかも、おしゃれな街灯やベンチまで。本当に不思議な場所だった。

 この庭園を越えると、正門前にあった建物よりは古めの、ところどころ黄ばんだ外観の四角く硬そうな棟が見えてきた。そこがどうやら部室棟らしい。


「こっちは理系の部活やサークルが使ってるのね。文系はこっから真反対の建物。あっちは建て替えたばかりだから綺麗なんだ。でも、その分セキュリティも高いから、やっぱりこっちが最適なわけ」


 響がサラサラと説明した。


「要するに、部室で生活するわけなので、あんまりセキュリティが高いと面倒なんだって」


 これはおそらく、輝先輩とやらが言ったものだろう。響の言葉の端々に、謎人物の影が見えるようになってきた。響の強い信頼に気圧される。


「ちなみに、輝先輩はほとんど部室に住んでるんだよ」


 部室に住むという感覚がよく分からないが、大学生ならよくあることなのかもしれない。


「いや、普通はありえないけどね。バレたらやばいじゃん」


 すかさず町田が鋭く切り込む。与鷹は目を見開いて、二人を見た。


「えっ? そんな、やばいんなら、このこともやばいんじゃ」

「やばいねー。でも、それくらいしないと、ヨダがやばいじゃん」


 響があっけらかんと言った。正論なので返す言葉が見つからない。


「命がかかってるんだから、これくらいはさせてよ」


 軽々しいのに言葉は重い。与鷹は何も返せず、うつむいた。そんな憂鬱に気づかないのか、響と町田は意気揚々と部室棟の中へ進んでいく。

 四階建て。階段が中央にあり、左右に一部屋ずつ。天文部は最上階だというので、荷物を持ったまま四階もの階段を上るのはいくら中学生でも体力が続かなかった。響も町田も上るペースが落ちていく。

 響、町田、与鷹の順で「輝先輩」が待つ部室へ。

 左側の鉄扉に掛けられているのは、古く欠けたプレート。そこには油性ペンで書かれたと思しき手書きの「MAC(天文部)」という文字がある。


「美の里大学天文部へようこそ」


 そう厳かに言い、響がドアノブを回した。

 まず目に飛び込んできたのは、入口を塞ぐように大きな扇風機。それは部屋の内側へ風を送っていた。轟々ごうごうとモーターの音がやかましい。ファンが古く、かび臭いニオイを巻き起こしている。

 驚きで目を瞬かせていると、響がサンダルを脱いで部屋へ上がっていった。どうやら中は靴を脱がなくてはいけないらしい。

 町田に押されながら与鷹はおずおずと部室に入った。


 見渡すと壁には一面、難しい記号や数式のようなものがある。機械の設計図や、軌道きどうを描いた線などなど。与鷹にも分かったのは星座早見表だけだった。古めかしく、四隅がボロボロに欠けている。

 玄関を抜け、広い部屋に出る。壁をぶち抜いたのか不自然な柱や壁があり、なんだかゴツゴツと角ばっていた。そして何より目を奪ったのは、部屋の中央に鎮座する大きな円形状の機材だった。床には人の腕ほどの太さの筒が転がっている。部屋の隅にはひと一人分くらいはある野太い望遠鏡が立てかけられていた。

 そして、玄関から入った対角線上の窓際に人がぽつんと座っている。置かれた低いロッカーの上に座る男。前髪を上げ、襟足えりあしも無造作に輪ゴムで結んでいる。そして、手のひらサイズの双眼鏡をのぞいてこちらを見ていた。


「こんにちは」


 爽やかに穏やかな声音で彼は言う。


「こ、こんにちは……」


 つい、声が尻すぼみになった。なんとなく関わってはいけない大人の匂いを感じる。

 この奇妙な男は響や町田と同じ人種のようで、ひと懐っこく笑った。


「どうもどうも。僕、我竜がりゅうてるです。響の先輩やってます。よろしく」


 優しく柔らかいが、口調が軽々しく、中学生の自分にですら丁寧に挨拶をしてくる。それがどうにも胡散臭うさんくさく思えた。

 なるほど。確かに一言では言い表せないくらい、この我竜輝という男は第一印象が「謎」だ。

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