第I部 不思議の始まり
プロローグ 横倒しになった列車
一九九×年……
*
電車は地震で横倒しになった。
怪我をして動けない人もいた。動かない人もいた。何人かはもう上側になった窓ガラスを割って(大部分は既に割れていたのだが)外へ這い出していた。
電車は急行電車。三両目の一番後ろ二列の片側は、トイレのスペースになっていた。僕が乗っていたのはその一番後ろの列だった。隣に人もいなくて、倒れた時にトイレのスペースの壁が足場になったおかげで、怪我もほとんどなかった。割れたガラスの切り傷だけだ。一つ前の席の人も大した怪我じゃないみたい。一つ前も、一人だけで、女の人が座っていた。ただ怪我はないけどこの小ぎれいでしっかりしていそうな人――多分普段ならそうなのだろうけど――は、相当いわゆるパニックになっていた。
車両には、ほとんどの人が座席に座っていて立っていた人はほとんどいなかった。後ろ二席から乗降口を挟んで前は、両側二席ずつの座席に人がほぼ満席で座っていたけど、横倒しになったことで両側の席の人が入り交じって混乱は大きかった。下側の方が状況は悪い。しばらく時間が経つと、元々下側にいて人や荷物に押し潰されたためか、下側に落ちて打ちどころが悪かったか、とにかくぐったりして動かない老人や、泣いたり呻いたりする子どもが、倒れた列車の底部に目立った。
なんで僕はそうして「しばらく時間が経つ」まで残っていたかと言うと、前の席にいた女性を、まあ助けようとして声をかけていたので。助けると言っても、車両の下側で血みどろになっている人達を助けるのは僕には無理だ。先ず倒壊した列車の外に出て、救急車を呼ぶしかなかろう。(だけどさっきの地震、この様子じゃ外もどうなっていることか……。)この女性は全然怪我は大したことない。最初パニックになっていたこの人に声をかけるとすぐに落ち着いたのだけど、それから女性は今度は俯いてしまい、動かなくなっていた。
「まだ余震が来るかも知れません。ここにいるのも危ないし、救助隊が来るでしょうけど、彼らが助けるべき人達はもっとひどい怪我を負っています。僕らは、大丈夫。むしろ救助隊を呼ぶのが僕らの役目というくらいです」
女性は、顔を上げた。顔は無傷、というよりも肩や腕に擦り傷を負った僕なんかより全然全身無傷に近い。
「それで……」
僕は割れた上部の窓ガラスから車両の上に飛び出た。それから思い付いたんだけど……
「もし余裕があればそこの僕のカバン、先ず上に放り投げてもらっていいですか……?」
僕は最初からどうも落ち着いていた。人を落ち着かせて、余計に落ち着きが出てしまったみたいだ。
女性は手を伸ばし、丁寧にカバンを手渡ししてくれた。彼女も僕が手を引いて上ってきた時には呼吸までほとんど落ち着いていた。
日はまだ薄青い空高くにあり、初秋の風が頬を撫でる。
横倒しの列車の上は意外に高い。
ここはどのへんだろう? 名古屋を発ち、さっき弥富を出てしばらくというところだ。まだ愛知県か、三重県との県境手前くらいだろう。周りは草が茫々とした丘や田んぼばかりだが、その向こうに街が見え、煙が上がっている(煙は四方あちこちに見える)。
東の方が海だ。ここらは波が危ない距離ではないだろうが、とにかく西へ、街の方へ行くしかないだろう。
田んぼが延々続く先に民家の連なりが見えているが、だいぶ距離があって(もう列車からそっちの方へ歩いて行っている人達がたくさん見える)、畦道や幾らか広い小道が田畑を縫っている。街の方ではサイレンが小さく聴こえている。
東海大地震が起きた、ということか……。
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