02 人質(+ある男3)
一番街のマンションから1キロメートル離れた場所——。
——五番街、〈クライスラービル〉最上階にて。
「くそっ」
エドワード・イーストンは苛立ちをくちからこぼした。
彼は今朝ここで起きた銃乱射事件に投入されたSWATチームの、6名のうち1名で、仲間の援護を担当するため、最初は後方にいた。しかしさきほど、前方のメンバー数名がトラップに引っかかり天国へと吹っ飛んでいってしまい、ついにエドワード一人になった。
マシンガンをもった男たちはこれだけのことをやっておきながら、何の要求もしなかったし、何の声明も出してはいなかった。何の主張もしなかった。彼らの犯行の動悸がわからないまま、エドワードのチームは戦闘を続けてきた。少しずつ後退する敵を、なんと77階のこの最上階まで追い詰めたはいいが、その途中――つまりはいまから1時間ほどまえに奴らの目的が判明した。
一番街にあるマンション〈マテンロー〉。
そこで〈黒のケース〉をめぐる事件が発生したのだ。
なんというめぐり合わせなのだろう――。
エドワードは自分の息子〈エミル〉がその事件に巻き込まれていることを知った。
そのとき、エドワードたちのチームは現場にもっとも近くにいるにもかかわらず、そこへ向かうことができなかった。
陽動だったのだ。
このクライスラービルで起きているのはかなりの大事件だ。人間がもう十名以上は死んでいる。だが、マンションの方で起きている事件のスケールとは比較にならない。
テロリストたちは計算ずくで、自分たちの部隊を足止めしていたのだ。
「くそっ」
――よりによって、いちばん肝心な、いちばん大切な人を助けることができない。
EODを専門とするグラントだけはここからむこうへ送り出した。しかし、さきほどむこうについた別働隊が全滅したとの報告がはいってきた。
なんとしてでも息子を助け出したい。
とはいえこの現場を放り出すわけにはいかない。
エドワードは廊下のむこうのドアを睨んだ。どこかの会社の社長室らしい。そのなかに残り一人のテロリストが立てこもっている。
もう何分も音沙汰がなくて、じれったい。
――行くか?
エドワードは内心呟いた。――こっちもむこうも残り一人だ。さっさと決着をつけようぜ。――そろそろエミルを助けてやらんと、いかんだろ。
そもそも無事なのか、あいつ。
いや。
愚問だな。
あいつはおれの息子なんだ。――大丈夫にきまってる。
むしろいまごろ、テロリストを返り討ちにしてるんじゃないか?
……さすがにねーか。
「おらっ」
エドワードは最後のドアを蹴破った。
そこにもしトラップがあれば彼は同僚のまつ天国まで吹き飛んでいたが、しかしそうはならなかった。エドワードの装備から閃光弾が尽きているのとおなじく、テロリストの装備も拳銃一丁しか残ってはいなかったのだ。
エドワードは部屋へと踏み込んだ。
ぱっとみたところ、人の姿はない。
だが中央奥に、いかにも社長が座っていそうな豪奢なハイバックの椅子があり、それはむこうを向いていた。
エドワードはそこへ銃口をむける。
椅子が回転した。
クライスラービル内最後のテロリスト――フレドリック・フレッカーがこちらを向いた。
彼も拳銃を握っている。
二人は互いに互いを狙った状態になった。
「よくここまで私を追い詰めてくれたね、エドワード・イーストンくん」
余裕綽々というかんじでフレドリックは言った。
「おれのこと知ってんのか?」
エドワードは彼に狙いを定めたまま言った。
「ああ、もちろん。きみは有名人だからね。こうした形でお会い出来て、嬉しい限りだよ。……一度でいいから殺してみたいと思っていたんだ」
「それはどうも。光栄な話だ。お前には無理だがな」
「さてどうだろうか? エドワード・イーストンくん。きみの全米随一の能力を発揮するには、この距離はちと……近すぎるんじゃないかね? 私にもじゅうぶん、勝ち目はあると考えるのだが」
「ためしてみるか?」
そう言って、エドワードは全神経を指先へと集中させた。
「いいや」
フレドリックは自分の拳銃をテーブルへと投げ出した。「やめておこう」
「…………っ」
――やけに潔いじゃねえか。
どうなってんだ、これ。ここまでの戦いぶりをみたかんじだと、もっとしつこい性格の野郎だと思っていたんだが。
ふいを打つような無抵抗にエドワードはとまどった。
「テレビを観ていたんだ」
フレドリックは出し抜けに言って、視線を部屋の隅へとむけた。
そこにはたしかにテレビが付いてある。
〈マンションの事件〉がリアルタイムで報道されていた。
「私はね、自分のケータイをアイフォンに変えたころから、テレビというものを観なくなったんだ。娯楽はネットフリックスとアップストアでこと足りるし、ニュースもSNSのほうが早いからね。……でも、きょうはなんとなく気になって付けてみたんだよ。まあ、この部屋のテレビがうちのものより遥かに大きくて、ためしてみたいという気持ちも多少はあったのだが……それよりも、第六感というべきものが働いて、そいつに動かされたと言ったほうが正解に近いか」
「世間話は弁護士相手にやるんだな――」
「まあまあ、最後まで聞きたまえ。テレビの報道では、私の仲間である四人のテロリストのほかに、四人の子供があそこにいるらしいじゃないか。それぞれの名前をラスティ・レインウォーター、ヘディ・ハックマン、ダイスケ・ダテミチ……それにエミル・イーストンと言うらしい。聞き覚えはないかね? エドワード・イーストンくん」
「…………」
――反応してはならない。
エドワードはそう自分に言いきかせた。
「おやおや。しらを切るつもりかい?」
「両手を頭のうしろへ回せ!」
「落ち着きたまえ。……電話がきているんだ」
と言って、フレドリックはテーブルのうえのアイフォンに視線をむけた。
「拘置所で好きなだけ話せ」
「きみあてだよ」
「え」
「もうつながっている。その電話の相手はきみを指名しているよ」
――さあどうぞ、と言ってフレドリックはアイフォンに手を差し向けた。
エドワードは警戒を解くことなく、フレドリックに銃口をむけたままそれを取った。
「もしもし」
『パパ……?』
「…………っ!」
それは紛れもなく自分の息子――エミルの声だった。
「その表情だ!」
正面にいるフレドリックが手を打って喜んだ。「私はきみのその表情がみたかった!」
「貴様……ただで済むと思うなよ」
エドワードは頭に血がのぼって、フレドリックを睨みつけた。
「殺してやる」
「『お前には無理だがな』……と、きみがさっきくれた言葉をそのまま返しておこうか。エドワード・イーストンくん。死ぬのはきみのほうだ。もっとも、きみを殺すのに、私の銃は必要ない。きみの銃一つあればそれで済むのだ。……言っている意味がわかるかね? エドワード・イーストンくん。……息子を助けたいかね?」
フレドリックはテーブルに身を乗り出し、自分の顔をエドワードの顔の間近までちかづけて、囁くように言った。
「……きみはいますぐその銃で、自分の頭を撃ち抜くんだ」
***
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