運命の日 その三

 いつ起きるかわからないテロへの不安をよそに競泳は始まる。源治と平祁は、少し離れた別の場所にいた。

「こっちも大勢だな。景気がいいぜ」

 夢の島公園では、アーチェリーが行われている。観客席の階段で、二人はそれを立ち見する。源治はラジオにイヤホンを付けている。

「そう言えば、まだ聞いていなかったな。平祁、アナタの未来を」

「オレも聞きたい。オマエの未来では、何がどうなっているのかを、な」

 片方のイヤホンを、平祁は受け取って自分の耳に入れる。もう片方は源治が既に装着している。

「オレの推測が正しいのなら、オマエの未来では濃子は、二〇三〇年一二月二日に亡くなっている。違うか?」

「…あっている。ならば逆に問うが、アナタの未来では、本当に今日が命日なのか?」

 無言で頷く平祁。

「何故、認識できないであろうアナタがワタシの未来での命日を知っている?」

「それはデータ上の命日が、どんどんずれていったからだ。最終的にその日で止まったが」

「ほう。ではワタシの未来での逆が、そっちで起きていたということか」

 源治の未来では、濃子の命日は十年遡ったらしい。

「オマエの未来は、幸せなのか?」

 少しためて、源治は答えた。

「世間一般から見れば、恐らくそうではない。だがワタシは瑠瀬と濃子の間に生まれてこれて良かったと思っている。父の精神面こそまだ不安定だが、二人三脚でやっていく分には何も困らない。それが家族と認識させてもらっている」

「それは、羨ましい点だ」

「アナタは違うのか?」

 源治が聞くと、平祁がため息を吐きながら答える。

「オレの未来では、父は多忙過ぎで全くと言っていいほど家に帰って来ない。オレが成果を出しても、連絡の一つも寄越さない」

「となるとアナタの不満は、それだけか?」

「そうだな」

 源治は源治の、平祁は平祁の未来をそれぞれ語った。

「そんな大金持ちになっているのか…。ワタシは借金しかしたことがない。とても羨ましい。それこそ、アナタにとって代わりたいぐらいに」

「それを言うなら、オレもオマエと代わりたいぐらいだ。父と一緒にいれるなら、それ以上の幸せはないだろう?」

 奇妙なことに、お互いに一方の持っていないものを持っていた。だからこそ、どちらかしか存在を許されないのだが。

「ところで、本名はやはり…」

「ああ。斬堵だ。毒島斬堵。オマエもそうか? 誕生日は?」

「そうだ。十月十日だ。もちろんこの時代から十年後のな」

 ここで会話をしている二人の男は、母親が違うだけで名前が同じだった。誕生日も同じ。最初に東京でオリンピックが開催されたのと同じ日に、テロで人生の歯車が狂った瑠瀬を父に二人は生まれてくる。

「こんなことを聞いては不謹慎極まりないのは百も承知なのだが、答えてくれるか? アナタの未来では、濃子は何で死んでしまうのだ?」

「スマホボム」

 平祁は答えた。

「正式名称は、スマートフォン型爆弾だ。同じ重さのダイナマイトと同等の威力があるらしい」

 平祁は、この爆弾について、源治に解説した。

 威力はさることながら、スマホボム最大の特徴は持ち運びがとても簡単であること。それは爆弾の形状がスマートフォンと瓜二つという理由もあるが、実際にスマートフォンとして使用することができる点が一番厄介なのだ。

 だから手に持っていても、ポケットに入っていても、誰もそれが爆弾と気付けない。実際に通話することも、アプリで遊ぶことも可能だ。そして地面に落ちていても、誰かの落とし物としか思われない。起爆装置をスマートフォンのコンピュータに、爆薬をバッテリーに似せて作れば、X線検査でも見つかりにくくなる。

 おまけに、コンピュータに接続されている関係上、かなり遠隔からの操作で爆破ができる。時間を設定していてもいい。ボタンを押したら爆発、でも十分。爆発に巻き込まれたくないなら、適当な誰かのカバンの中に入れて、自分は逃げる。実際に平祁の未来で、これを行ったテロリストがいた。

「電子機器であるなら、応用の幅がとても広い。ゲーム機、パソコン、デジタルカメラ…。全部実際に使われたよ。本来の機能を使えるから、爆発の直前まで本当に見分けることができない。濃子はそれがわからず、スマホボムを落とし物として届け出ようと拾ってしまうんだ」

「なるほど」

 その先は、源治が言わせなかった。

「聞いたからには、ワタシの未来のことを話そう」

「と言うと、スマホボムは使われないのか?」

「そもそもワタシの未来では、物理的な破壊兵器は使用されない。タブレット型催涙地雷…。という名前だった」

「催涙? というと煙か何かを出すのか?」

「察しが良いな。その通りだ」

 今度は源治が解説する番だ。

 踏まなくても効力が発揮できるのに地雷と名前に含まれるのは、その場で人の命を奪うことが目的ではないからである。本来の地雷のようにまずは負傷させて、じわじわと苦しめるため、そう名付けられた。

タブレット型催涙地雷は有毒ガスを発生させる。これを大量に吸えばその場で力尽きるだろうが、実際には空気分散の関係上上手くいくことはなかった。ただ吸った人が倒れ、助けに行こうとした人も倒れ…と負の連鎖を延々と引き起こすのだ。

「中身が爆発物ではなく、有毒ガスに置換されていると言えば、用途はアナタの未来のスマホボムと同じだ。他の電子機器にも応用される。そしてサリンと同じかそれ以上の有毒成分のガスが放出されるのだ」

 平祁は、それも厄介だと言った。

「濃子が吸ってしまうわけか。そして後遺症を負うのだな?」

「…正解だ」

 二人の未来では、テロに使用される兵器が異なっていた。

「この過去では、どちらが使われるのか。既に歪みが生じているから、タブレット地雷が使われてもオマエの未来に向かうということはないだろう」

 源治はある単語に反応した。

「歪み? そう言えば、予知夢がどうのと言っていたな、前に。それが何か、関係あるのか?」

 その問いに、平祁は自分の考えを述べる。

「未来が一つしか存在できないように、過去も一つだけだ。だがどういうわけなのか、オレたちの知っている過去とちょっと違う。瑠瀬の予知夢の話は、濃子から初めて聞いた。その時オレは確信した。未来が二つ存在するせいで、過去にも影響が現れ始めていると」

「だからワタシたちは、この過去に干渉できないのか。他にも探せば見つかるかもしれないが、アナタが真っ先に発見できた歪みの証拠が瑠瀬の予知夢。そしてその歪みが邪魔をしているのだな?」

「オレの仮説が正しければ、そうなる。もしかすると過去は、もうどちらかの未来を既に選んでおり、それなのにオレやオマエが消えないのは運命のいたずらかもな」

「だとしたら、神様は相当いたぶるのが好きらしい」

 そんな会話をしながら、夢の島公園を出る。


 他にも回ったが、どうしても瑠瀬と濃子が気がかりだ。いや、どちらの未来が選ばれるのか、それが二人を見ればわかるからだろう。競泳の会場の方に向かう。

「…実況は私、佐藤さとう周夫ちかおが、解説は前中まえなかつとむでお送りいたします。さあさて、いよいよ平泳ぎ四百メートルの決勝が始まりますね」

「はい。日本は伊丹いたみじん小鳥遊たかなし悠理ゆうりにメダルが期待されますが…。無名のイギリス人選手、リック・タトプロスにも目が離せません」

「さあ、選手が位置について…」

 イヤホンからラジオ中継が聞こえる。どうやら決勝が始まるらしい。

「伊丹選手が新記録で金メダル」

「銀はヴェルナー・ウェゲナーで、銅メダルが小鳥遊」

 二人は顔を合わせた。競技の結果は、同じようだ。

「だとすると、戻る意味はあまりないな。結果がもう既にわかっているのだから」

「表彰式が終わるタイミングで良いだろう。ワタシの未来では、その時ちょっと後にテロが始まる」

 平祁が頷いた。平祁の未来でも、テロのタイミングは同じだからだ。

 二人はゆっくり歩きながら、イヤホンの実況を聞いていた。

「ヴェルナー・ウェゲナー速い! 他の選手を引き離し…。あっ伊丹が追い付く! 小鳥遊も食いつきます! さああと残すところ百メートル、どう戦うのか! おお! 何と、ヴェルナー・ウェゲナーが失速! そこに小鳥遊が前に出る!」

「何?」

 二人は同時に声を出した。

「しかし伊丹が追い付けない! ヴェルナー・ウェゲナー再び加速! 小鳥遊は逃げ切れるか! 逃げ切れるか! 逃げ切った! 小鳥遊悠理、今、一位でゴール! 二位はヴェルナー・ウェゲナー、三位は伊丹仁! 日本勢がメダルを二つ獲得! リック・タトプロスは四位です!」

 そんな馬鹿な…。二人は走り出した。

 平祁と源治の未来では、この競技の結果は同じになっていた。それなのに、この過去では違う…? 言葉で表すには難しい不安が、二人の心の中で生じた。

「急がなければ! もしかすると…」

 アクアティクスセンターの方から、爆発音がした。

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