六月中旬 その一

「おめでとう、和哉」

 大宙が拍手を送る。

「いやいや、みんなのおかげだぜ!」

 和哉は照れながらそう答えた。

「柔道部が県大会に出場するのは、十年ぶりらしい。頑張ってくれ…」

 勇刀も和哉の背中を押す。

「これで夏休みは潰れたようなモンだな。東京オリンピックはテレビで観るしかなさそうだ」

「そんなこと言っちゃって。本当はチケット、申し込みもしなかったくせに…。県大会に行けなかった時は、どんな言い訳するつもりだったんだか」

 批判的な意見を言う純心だったが、内心ではクラスメイトの活躍を喜んでいるのか、笑顔である。

「目指せ未来のアスリート!」

「亜呼、いくら何でもオーバーだそりゃあ」

 今日の給食での会話内容は中総体で決まりだ。だが話題は和哉の市大会優勝のみ。それもそのはずで、大宙は生徒会のため忙しくて部活は途中で辞め、濃子、亜呼、純心、勇刀にいたっては一年生の時から帰宅部。話せる内容が何もない。

 だがついこの間の中総体での和哉の活躍を聞くだけで十分だ。全く退屈しないが、どこまで本当なのだろうか。

 給食を食べ終わると、濃子は麻林の机に向かった。

「麻林ちゃん、今日の放課後に時間ない?」

「濃子様、今日は無理ですけれど…。明日はどうでしょう?」

 麻林と話すことができるなら、いつでもいい。濃子は明日の放課後、麻林に学校に残ってくれと伝えた。


 中総体が終わったとは言っても運動部の活動だけが終了したようなもので、楸中学校は文化部の方に力を入れているため、まだ放課後に活動する生徒も多い。麻林もその内の一人である。十月の頭にある文化祭に向け、手芸部も本腰を入れている。本来なら忙しいはずなのに、麻林は自分の話のために欠席してくれた。

 教室に残る生徒は、他にもいた。勉強のために机に着いたままの生徒もいるが、そのほとんどはただ単に雑談をするためだけに帰らない。

「ここじゃちょっと、話し難いかな」

「それほど深刻な内容ですの?」

 何を話すのかは、麻林には伝えていない。

「ううん、気にしないで。それよりいい所があるから、そっちに行こう」

 二人で学校を出て駅で電車に乗り、渡良瀬遊水地近くの喫茶店に来た。

「ここは、瑠瀬様のご両親のお店ですわよね?」

 その通りだ。でも別に、瑠瀬に会わせたくて連れて来たわけではない。そもそも生物部に所属している瑠瀬は今、理科室で活動中だ。

 二人は入店する。この喫茶店には、人目につきにくい席が一つだけある。店員の目もなかなか届かないので、あまり人気がない席だ。今日もちょうど空いているので、そこに座った。店内を堂々と進んだのに、お水すら来ない。

「で、話ってなんです?」

「麻林ちゃん、謝られるのは好きじゃないんだよね?」

 その点については、既に瑠瀬から聞いている。でも濃子としては、自分も謝るべきだと思っていた。

「でも私の話、聞いてくれない?」

「いいですわ。濃子様の気が済むまで、付き合ってあげますわよ。その前に、注文ぐらい、いいかしら?」

 メニュー表を開いて、お互いに何を注文するか考えた。濃子は緑茶を、麻林は紅茶を頼むことにした。

「すみません!」

 ちょっと声を出して、大きく手を振る。そうでもしなければこの席では、何も飲めない。店員は気がつくと、すぐに飛んできてくれた。

「あ、濃子ちゃんじゃない、久しぶり」

 瑠瀬の母だった。自分のことを小さい時から見ているためか、憶えていてくれた。

「そっちの子は? お友達?」

「藤枝麻林といいますの。よろしくお願いいたしますわ」

 麻林が瑠瀬の母に自己紹介をした。

「あらそう! よろしくね。注文、決まった?」

「私が緑茶で、麻林ちゃんが紅茶です」

 伝票を書くと、厨房に向かった。そしてすぐにお茶を持って来てくれた。小さな饅頭もおまけについてきた。

「それで話に戻るんだけど、先週瑠瀬が麻林ちゃんの家に行ったのは、本当なの?」

「確かに来ましたわ。それにはわたくしも驚きました。瑠瀬様、何度も何度も謝りましたけれど、わたくしは悪いことをされたとは思っていませんわ」

 瑠瀬から聞いたのと、同じ返事で麻林は濃子の問いかけに対して答えた。

「でも私が変なことを瑠瀬に言わなければ、瑠瀬はきっと麻林ちゃんを選んでた。それは私の責任。私がいたばっかりに…」

 自分を責める濃子に対し、麻林は、

「…」

 一瞬だけ表情を曇らせた。その曇りを濃子は見逃さなかった。

「麻林ちゃん。何か、あるんでしょう? 言ってよ。言ってくれなきゃわからないし、本音を言う権利は麻林ちゃんにもあるんだよ?」

「なら、言わせていただきますわ…」

 麻林は重い口をやっと開いた。濃子はゴクリと唾を飲んだ。

「わたくしだって瑠瀬様と一緒に、観に行きたいですわ。欲を言わせていただくのなら、濃子様に諦めて欲しいぐらいですもの。瑠瀬様と共に歩むことを、何度夢見たことでしょうか?」

 濃子は黙って聞いた。人を好きになる権利は、麻林にだってある。それを叩き落とす権利は自分にはない。

「ですが…」

 その一言から、麻林の主張は百八十度変わった。

「ですが、だからと言って瑠瀬様にわたくしの側に、無理矢理居座らせるのは間違っていますわ。それでは瑠瀬様は、絶対に笑ってくれません」

 濃子は気がついた。今のも、瑠瀬から聞いたのと同じことだ。麻林は強がっている。他の誰かを悲しませることはできないという考えが麻林の頭の中に確かに存在するとしても、これは彼女の本心ではない。

「麻林ちゃん」

 濃子は話を遮ると、

「ちょっとだけ、遊水地の方を見て行かない?」

 強引に誘った。すぐにレジを済ませると、喫茶店から青空の下に飛び出した。

 恐らくここのように誰かが見ているところでは、麻林は心を見せてくれない。濃子はそう判断すると、喫茶店よりも遊水地の方が話に適していると考え、実際に麻林を連れ出した。

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