第四話 幼馴染の繭子

 五十嵐いがらし繭子まゆこの家はすぐ近く。まだ小さなころから頻繁に遊びに行ったからこの道を忘れることはほとんどない。

 来るのが少し早かったかな? 玄関で待とう。

 コツ、コツ、という音がした。繭子が帰って来た。

「やあ繭子」

 話しかけると繭子は反応してこちらを向く。

「その声は…陽一。どうしたの私の家の前で?」

 繭子は美人だ。肌は綺麗だし髪も良く手入れがしてある。背は平均より高く、体重は平均より軽い。だからと言ってやせ過ぎというわけでもない。透き通った声も聴いていると心が落ち着く。

 でも天は人に二物を与えず、という。繭子に与えられなかったのは視力――つまり繭子は全盲なのだ。故に今は県立の視覚支援学校に通っている。いつも赤い杖を持っておりこれがなければ生きていけないという。

「暇だったから寄ってみたんだよ。高校生活は慣れた? これから散歩にでも行かないか?」

「今日は高松の池に行こうと思ってたけど、奇遇だね。一緒に行こう!」

 本当は暇というわけじゃない。繭子の母に頼まれたんだ。今日髙松の池に行こうとしてるから一緒に行ってやってくれと。繭子自身はこの周辺ぐらい他人の力がなくてもうろつくことができるが、幼い頃あの池に落ちたことがあるため母親としてはどうしても心配らしい。

 繭子は一度家に帰りそして準備をすると出てきた。そして一緒に池に向かう。コツ、コツ、と杖を地面に当てる音がする。

「陽一は今度の休みにどこか旅行したりするの?」

「いいや。いとこが来るからどこにも行かないってよ。全く何であのクソガキどものために家でジッとしてなきゃいけないんだか」

 本当につまらないぞ今度のゴールデンウィークは。全然金色じゃない。

「まあそんなこと言わないで。きっといとこたちもどこかいいところがあるって。人間悪いところだけがあるわけじゃないでしょう?」

「そうかな…。俺からすれば若菜も進武も弥生もいたずらしかしない品がない奴らだ。妹の雪子の方がよっぽどかわいいぜ」

「雪子は今、どうしてるの?」

「今度が小学校で最後の運動会だからな。一生懸命頑張ってるよ。去年と一昨年は大雨で中止になっちまったからな」

「今年は徒競走で一位になれるといいね」

「繭子の方は? どこか旅行とかするのかい?」

「私の家もどこにもいかないって。去年広島に行ったから今年はいいって」

 そんな会話をしていると目の前に歩道橋が現れた。

「今から登るよ? 歩道橋だ。足元気を付けて」

 陽一は繭子に手を差し伸べた。

「そんな心配しなくていいよ。これぐらい私一人で渡れるから」

 そう言うと繭子の方が先に歩道橋を登って行く。陽一はいつ繭子が転んでも大丈夫なように後ろから追いかける。

 やがて坂を登って池に着く。桜の見ごろはもう終わっているが夕方の景色は綺麗だ。でもその話はしない。繭子は目が見えないから、景色とか見た目とかそういう話は絶対にしない。

 まず池を一周する。この池には何度も来た。繭子も来たことがあるようで、曲がるべきところを完璧に把握している。

 池には鯉やカモがいる。そして餌としてパンの耳を販売している。といってもただパンの耳が袋詰めされたものが置いてあって、横に料金箱があるだけなのだが。

「繭子も餌やりする?」

「うん。確か五十円でしょう?」

「俺が繭子の分も払うよ。たったの五十円だ」

「それは陽一に悪いよ。私の分は私が出す」

 繭子はカバンから小銭入れを取り出した。

「これは違う。これでもない。あっこれだ」

 小銭入れをごそごそとあさって五十円玉を取り出した。硬貨には点字は書かれていないが触った感触で判別ができるらしい。でもお札の方は無理みたいで、繭子は小銭入れを財布として活用している。

 さすがに料金箱の位置はわからないみたいなので、

「それ、よこしなよ。俺がいれる」

 と言って五十円玉を受け取る。そして自分のと合わせて百円分入れた。

「はいこれ。ビニール破れる?」

「それはお願いする。頼むよ陽一」

 ビニールの口はきつく縛ってあるので横に穴を開け、そこからパンの耳を取り出す。

「じゃあ行くよ」

 ちゃんと杖でコツコツと足場を確かめて池に落ちないことを確認すると繭子は餌を撒きはじめた。餌に反応して鯉が群がる。そして必死になって食べつく。それをたまにカモが横取りする。陽一はそれを見ているが繭子は音で感じる。

 餌の量は多くはないのですぐになくなる。

「もう一回、する?」

「いいや、一回でいいよ。俺たちは餌付けに来たんじゃない」

「じゃあ帰る? 他にすることないし…」

 俺的にはもう一周してもいい気はする。だが、帰りが遅いと繭子の母が心配する。

「帰ろうか。ここにはいつでも来れるんだし」

 帰ることにした。

 帰り道、歩道橋を渡り終えたところで陽一は繭子の手を引っ張った。

「どこに行くの?」

「もうすぐそこに新しいコンビニができたんだ。立ち読みできるかどうか確かめたい。すぐに終わるからいいだろ?」

「わかった。帯がついてないといいね」

 陽一は風除室に繭子を待機させ、本のコーナーに向かった。そしてすぐに戻って来た。

「どうだった?」

「駄目だった…」

 報告すると繭子は笑う。立ち読みはできなかったが繭子の笑顔が見れたことは嬉しいことだ。

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