第九話

 気が付くと、翔気はベッドの上で寝ていた。ベッドは初めて見るもので、知らない空間だ。腕には点滴の管が刺さっている。

「ここは、どこだ? 俺はあの後、どうなったんだ?」

 腹に手をやる。少し押すと痛みを感じる。

 扉が開いて、警官二人と姉が入って来た。

「おや、気が付いたようだね、翔気君。傷ならもう大丈夫だよ」

「ここは、どこですか?」

「大学病院よ」

 姉が答えた。

「あの男は?」

「伊藤なら、全て自供したよ。尾形麻理子のことや、他の事件のことも。あの男は裁かれる。詳しい捜査はこれからだが、全て事実なら間違いなく極刑だろうな」

「はあ…」

 そうか、逮捕されたのか。

「でも、何で、あの場所がわかったんです?」

「君のご家族が通報してくれたんだ。帰りが遅いし、携帯も連絡がつかないって」

「それだけじゃ、あそこには…」

「私が仕込んでいたのよ。あんたが図書館で勉強なんて信じられなくて」

 姉が答えた。

「は?」

 姉は翔気のカバンを持ってくると、中から携帯を取り出した。

「おい、それ! 姉貴の防犯用の携帯じゃねえか!」

 なるほど話が読めてきた。

「つーことは、何だ? 姉貴は俺の言うことを信じてなかったと? 自分の携帯を俺のカバンの中に入れて、行動を探ってたと?」

 翔気は拳を握りしめた。

「で、でも、それがあったからあんたを発見できたわけで…。一概に私が完全に悪いとは言えないでしょう?」

 まあ確かに、姉がそうしていなかったら今頃はマリコの仲間入りだっただろう。

 そのあと翔気は警官と少し話をした。終えると警官は帰って行った。

「…姉貴は、まだ帰んねえのか?」

 姉は翔気の寝ているベッドの隣で椅子に座っている。

「ねえ。本当のことを話して。何でもいいから、知ってること全部。どうしてあんたが警察署に行ったり、未解決の行方不明者を検索したりしてるの?」

「…」

 話して良いものか。姉は自分がオカルトの類を嫌っていることを良く知っている。そんな姉に、信じてもらえるだろうか。

「いいぜ。姉貴、ゴールデンウィークのこと、覚えてるか?」

 翔気は姉に、あの日以来幽霊が見えるようになったこと、マリコと出会ったこと、マリコが成仏するために犯人を捜していたことを教えた。最初は全く信じられないという顔をしていたが、実際に翔気が犯人に誘拐されたことや、独り言が多かったことなどを考えると、筋が通っていると理解してくれた。

「それならそれで、早く言いなさいよ。じゃないとわかんないじゃない。私ならいくらでも協力したのに」

「いやしねえだろ、姉貴は。まず絶対に信じねえ。俺の頭が狂ったって、そう言うに決まってる。今だって、事件になったから信じてるんだろ?」

「何言ってんのよ? 何年あんたの姉やってると思ってんの?」

「十六年。姉貴は俺より三年多く生きてるだけじゃないか」

「その三年が重要なの! あんたの言いたいことは手に取るようにわかるわ」

「じゃあ、今、俺が何て思っているか当ててみろよ!」

「ありがとうお姉ちゃん、でしょ?」

 翔気はその答えを聞くと笑った。

「んなわけねえだろ!」

 笑うと、腹が痛くなった。

「いてててって」

 腹をさする。

「傷はそんなに深くなかったみたいだけど、まだ塞がってないから。あまり暴れたりしないことね」

「笑わせたのは誰だよ?」

「あんたが勝手に笑ったんでしょ? 私は関係ない」

 姉貴…。俺は被害者だってのに、いつも通りだな。でもそんな日々はいつが最後だっただろうか。


 姉が帰ると入れ替わるように両親、そして高校の友達、宮野が見舞いにやって来た。みんな言うことはほとんど同じで、傷の具合はどうかとか、良く頑張ったとか、である。普通は見舞いに来るときには果物とか持ってくるんじゃないのか? 誰も持ってきてくれなかったぞ…。


 動けるようになると、翔気は病室を出て、廊下を歩いた。

「やっぱ病院とかとなると、多いなあ。たまげるぜ…」

 廊下にはたくさんの幽霊がいる。子供も大人も、男も女も。自分と同じくらいの年齢の奴もいる。でもこれが見えるのは、自分だけ。すれ違ったナースさんや医者には何も見えていない。まずロビーに置かれている新聞を取りに行った。

 階段を登って屋上に来た。案の定、誰もいない。

「さて、ここまで来たぜ。病室でもいいけど、やっぱお前と話すとなると屋上だな」

 翔気は新聞を広げる。

「どれどれ…。逮捕されたのは現職の警察官である伊藤由吉元巡査(三十七)。二十年前の行方不明事件と関連性のある発言をしており、警察は余罪を追及中」

 その新聞を畳むと、今度は違う新聞を広げる。

「二十年にわたり殺人か。連続殺人鬼、ついに逮捕」

 どの新聞も書き方が違うだけで、言っていることは同じだった。ロビーのテレビでも連日事件のことが取り上げられていた。中には被害者遺族がインタビューに応じるものもあった。未だ見つからない被害者の捜索も続いているらしい。

「私は、冷や冷やしましたよ。だって翔気君が本当に殺されてしまうんじゃないかと」

「あれは危なかったぜ。まさか、投げてくるとは誰も思わねえよ。俺も避けられっこねえし」

 投げつけられたナイフは急所を外していたので、自分は死なずに済んだ。

「でも、もし死んでしまったら、それは私の責任です」

 仮にそうだとしても、翔気はそうは思わなかった。

「だから、死後、面倒を見てあげないと、と思いましたよ」

「なんじゃあそりゃあ?」

 翔気は笑い出した。

「死んだ後のことぐらい、自分でどうにかするぜ! それに、俺はお前と違ってすぐ成仏してやるよ。それに、第一、死んでたまるかよ!」

 大声を出すと、腹が痛み出した。

「いいいてて」

「傷口が塞がるまで、安静にした方がいいですよ。大声はうるさいだけですし、もう何度も聞きました。だからもう怒鳴んなくていいです」

 誰のせいで怒鳴ってんだよ、と翔気は腹をさすりながら心の中で突っ込んだ。

 翔気は、フェンス越しに町を見下ろした。

 この町の犯人はもう、捕まった。マリコの体も発見した。町は平和を取り戻したんだ。もう自分がやることはない。

 だがそれは、別れを意味していた。

「…本当に逝っちまうのか?」

「はい。目的は達成しましたし、長居するだけ意味ないですから」

 マリコは、もう成仏する。出会った最初こそさっさと消えてくれよと思ったが、三か月も一緒に過ごした今となると愛着が湧いてしまい、いなくなるのは何だか寂しい。

「せめて、行方不明者の遺体が全員見つかるまで待つとか、は?」

 何とかしてこの世に留まらせる方法を考えていた。

「しませんよ。私の事件は解決したんです。他人の事件は、その人のです」

「じゃあ、さ。見守るってのはどうよ?」

「何をです?」

「俺とか、町のこととか、世界のこととか。お前が死んでる間に東北で大地震があったんだぞ。それで原発が大変なんだ。お前だって幼いころこっちに引っ越して以来、ここで育って暮らしてきたんなら、原発の今後とか気にならないか?」

 マリコは一旦考えた。

「まあ確かに、気にはなりますね。でも、成仏した後なら、関係ない気もします」

 関係ない、か。

 思えば最初はそうだった。幽霊なんていないとずっと思っていた。その手の話は自分には関係ないものとしか受け取っていなかった。

 だが、それがそうではいかなくなった。そして自分はマリコと出会い、成仏するために力を貸すことになった。事件を調べたり、遺体を発見した時は驚くことばかりだったが、全て自分に関係あるものとわかった。

「お前も薄情者だなあ。何でわかってくれないんだよ」

 そう言うとマリコはフフフと笑い、

「わかってますよ。だから、成仏するんです。それが翔気君のためなんです」

 そう言った。

「最初に言いましたよね? 犯人を捜して、殺した理由が知りたいって。それがわかったんですし、私はもう思い残すことはありません」

 そうだよなあ。俺がマリコでもきっとそう言うよ。

「あと、約束もちゃんと守りますよ、翔気君。あなたの霊気、私が成仏する時に吸い取ります。すると翔気君はもう、幽霊が見えなくなります」

「わかってるよ、言われなくても」

 幽霊が見えなくなる。自分の普通の日常が帰ってくるんだ。嬉しいことのはずなのに、素直に喜べない。

「笑って下さいよ。成仏できるのは喜ばしいことなんですよ?」

「わかったよ」

 マリコが宙に浮き始めた。そしてだんだんと天に上がり、そして薄くなり始めた。

「カンニング、絶対に駄目ですよ」

「もうしねえよ」

 マリコはいつまでも笑顔だった。翔気はマリコが見えなくなるまで、手を振った。

 完全に消えた。マリコは成仏した。

 翔気は自分の病室に戻った。その最中、さっきまで見えていた幽霊たちは一体も見ることはなかった。

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