第二章
第一話
おかしい。明らかにおかしい。
翔気は窓の外を見た。電信柱の陰に男がいる。
「あの男は…。確か…」
先週交通事故で死んだ中年男性のはず。間違いない。テレビで観たから確かだ。
ゴールデンウィーク以来、自分にしか見えないものが見えるようになったのだ。
「そんなはずはない…」
姉にも親にも話したが、みんな見えていない。学校の友人たちもだ。
翔気は昨日、学校での熊谷とのやり取りを思い出す。
「それは幽霊というんじゃないのか?」
熊谷はそう言った。だが、
「そんなわけねえ! 幽霊なんているはずがねえ。俺は信じちゃあいねえんだからな」
「でも、ここにいるんだろう? 私には見えないが」
熊谷の指差す先には中学生くらいの男の子がいる。だが、熊谷には見えていない。
「俺が幽霊とか、そういうの信じてねえの知ってるだろう!」
「知ってはいるが。じゃあお前は私に嘘ついているのか? お前はペテン師になったのか?」
「違う!」
翔気の声が教室に響きわたる。振り返る人、無視する人はそれぞれだが、その男の子は声に反応しない。
「でも幽霊が見えるようになるなんて面白くないか?」
「…ちっとも面白くねえ」
翔気は携帯を開いた。そしてメールを見る。宮野からのメールだ。
「この前の土曜日、なんで来なかったんだよ?」
今、あの公園には行けない。戦後六十年以上経つが、まだ成仏できないのか、当時の人が原爆投下時の姿で漂っているからだ。あまりにもおぞましく、宮野を待っている間に近くのコンビニの便所で吐いてしまった。そして耐えきれなくて、無断で家に帰った。
宮野には申し訳ない気もするが、あそこに長居することもできない。いや、近寄ることも難しい。
「とりあえず、まあ。お前の世界観が変わるかもしれないじゃないか。それはそれで面白いな」
「だから面白くねえってば」
結局、自分が見えているものは幽霊と認めざるを得なかった。
「今はそんなこと考えてる場合じゃねえ…」
来週は中間試験が控えている。小テストではないので、カンニングはリスクが大きすぎるためできない。少なすぎる自分の学力で挑むしかないのである。
計算用紙に数学の関数の計算をする。が、すぐに手が止まる。今日授業でやったばかりの式だが、もう躓いた。普通にわからない。
それだけならいつものことだ。熊谷にメールしてノートの写真でも送ってもらえばすぐ解決である。だが、手が進まないのにはもう一つ理由があった。
幽霊たちだ。アレが見えるようになって以降、自分の生活はひどくなった。まず目のやり場に困る。そして見ていると、友達にどこを見ていると指摘される。交差点も困る。青信号になっても動かないのは幽霊で、それに気付けないと思わず声をかけそうになる。
一番困るのが駅のホームや踏切。投身自殺でも過去にあったのか、電車に向かって飛ぶ幽霊を頻繁に目にする。最初は幽霊とわからなくて、止めに入った。でも、体を掴めず周りの人も何の反応もしなかったので、幽霊だとわかった。普通の人からすれば翔気の行動は異常に思えるだろう。だってそこには何もいないはずなのだから。
「ちっ…。まだいやがる。」
もう一度、窓の外を見た。中年男性の幽霊はまだそこにいる。もしかしてずっといるつもりなのだろうか?
数学の教科書の公式を確認する。何とかこの問題の間違えたところは理解でき、答えを修正することはできた。しかし十教科もテストがあるので、数学の一問で躓いている余裕などないのだ。
また幽霊について考えた。
よくテレビで観る、霊媒師なんかは幽霊と交信する。今の自分ならひょっとして同じことができるのではないだろうか? 幽霊とコミュニケーション。普通の人が聞けばバカバカしいと思うだろうが、自分にとっては一大事だ。自分の生活を取り戻したい。
玄関の戸を開き、家を出た。家族にはコンビニに行くと言ったが、本当の目的地はすぐそこの電信柱。歩いてすぐ到着する。
翔気は唾をゴクリと飲んだ。改めて見るとそれは普通の生きている人間と全く変わりない。生気が感じられないだけで、おかしなところはない。
今から行うことはとても簡単だ。でも重要だ。
「あ、あの」
声をかけてみた。しかし幽霊は反応しない。自分を見ていない。
「聞こえてます? おっさん」
もう一度、声をかけた。でも無視される。
困ったな…。どうすればいいのだろう? 意思疎通が図れないとなると考えていることの大半は無駄になる。
「ちょっと、聞こえてますか! こっち向いて下さいよ!」
大声を出してみた。だがこれも無視。数メートル先にいた野良猫の方が反応した。
本当にどうすればいい…。この中年男性の幽霊に恨みなんかないが、なんとかしなくては…。
「あ、そうだ!」
塩だ、塩。確か幽霊って塩に弱いんだろ? 理屈とか原理なんて知らないが、塩を撒いてみるか。近くのコンビニへ行き、塩を買ってきた。
まず袋に入った塩を見せてみる。
「どうですおっさん? 塩ですよ、塩」
また無反応だ。
翔気はその場で袋を開けて塩を少しつまんで、幽霊に向かって撒いた。すると、
「ぎゃあああああああああ!」
うわ、何だ! さっきまで無反応だったくせに、いきなり悲鳴を上げ始めたぞ! しかもよく見ると塩が当たった部分がドロドロに溶けている。
もう一つまみ、撒いてみるか。そう思って袋に指を突っ込んだその瞬間、
「うわあああああああ! 私には妻も子供もおおおおおお!」
幽霊が掴みかかって来た。
「ひえっ」
今まで幽霊に触ることはしなかったし、出来なかったのに、この幽霊は翔気に触れている。服を掴まれる感触がわかる。
ヤバい。このままだと何かされそうだ。道連れか? いやそれ以外で何か、してくるのか…。
考えるより先に行動していた。翔気は袋をひっくり返して幽霊に塩を思いっきり浴びせていた。
「うおおおおおおお…」
断末魔を上げ、幽霊はドロドロ溶けて消えた。
「な、な、何だったんだ今のは…」
自分でやっておいてそんなこと言うのか、と心の中で自分に言った。自分勝手なことだとはわかってはいるが、そうでもしないと正気を保っていられないと翔気は思ったからだ。そのまま四、五分が経過した。
空を見上げた。今日は月が雲にかかっていて見えない。風は無く、空気は湿っていない。
翔気は塩まみれになった服を叩いてできるだけ塩を落とした。母には、転んだと嘘を吐こう。そして、着替えて新しい寝間着に着替えよう。
家に帰って着替え、自分の部屋に行き、ドアを閉めた。そして一旦頭の中を整理した。
塩は有効だ。だがその後が問題だ。幽霊は自分に掴みかかってくるのだ。さっきは塩を振りかけてどうにかなったが、これがもし通用しなかったらどうなる? 奴らの反撃はどんなものなのだろうか?
おまけに塩が当たると溶け出す。その様子も気持ち悪い。さっきはあまり感じなかったが、思い出すと吐き気がしてくるほどグロテスクだった。
「だが、他に使えそうなものなんてわかんねえしなあ…」
普段オカルト番組などを観ないツケがここで回ってくるとは。熊谷にでも聞くか?
勉強もしないで十一時半まで机に向かって考えていたが、何も思い浮かばなかった。仕方ない。武器は塩で行こう。台所に行き、フィルムケースに目いっぱい塩を詰めると、それを制服の胸ポケットの中に入れた。
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