第七話
「いつもは窓側って言うのに、今日に限って玄関側とはどうしたんだ、翔気? さっきも変なこと言っていたし…」
老婆が気になって、そこで寝られる気がしない。だから今日は場所を変えた。
「まさか、お酒でも飲んだわけじゃないよね」
母も心配しているが、それはない。夕食の時はジュースしか飲まなかったし、それ以外で口にしたのは風呂上がりの水だけ。だから酔っているわけではないのだ。
「のぼせてるんじゃない? 長風呂よ」
姉がそう言う。そうであって欲しい。それで幻覚が見えてるんだ。そうだ。自分に言い聞かせる。
だが風呂から上がって数時間が過ぎても、老婆が翔気の視界から消えることはなかった。
「今日は、多分疲れてるんだぜ、俺。早めに寝るよ」
そう言って布団に潜った。まだ十一時だが、寝ることに、いや考えるのを止めることにした。明日になればきっと消えてる。見えない。そう信じて目を瞑った。
翌朝。雨が降っている。
老婆は…いない。やっぱり昨日は疲れていたんだ。納得する。
四人で朝食の会場に向かう。エレベーターの中の女の子もいなければ、占い師の椅子の前に男もいない。やっぱり幻覚だったんだ。
菊の間に到着した。朝食はバイキング。好きなものだけ食べられるが、朝食はご飯とみそ汁だけで十分だ。
人込みの中、その二品だけを確保し、席に戻った。すると父が言った。
「今日はやけに空いてるな。朝早いからかな?」
え? 空いてる…?
「父さん、混んでるだろ。結構人いるぞ?」
「そうか? いや、全然いないぞ」
母と姉も戻って来た。
「並ばなくてよくて、今日は最高だわ」
「昨日夕食の時いっぱいいたけど、この時間はあまりいないわね」
さっきから何を言っているんだ…? こんなに人がいるのに…。
だが、よく見ると、食べ物をよそっているのは数人程度で、テーブルも半分以上空いている。ほとんど多くの人は、ただ突っ立っているだけ。言われてみれば、何か変だ。
そのうち翔気は食欲を無くした。周りの人のことを考えると、箸が動かない。
俺は、まだ幻覚を見ているのか…?
帰りは昨日言っていたように、姉が運転する。初心者マークを車に付けて出発する。この時、ホテルの従業員が見送りをするのだが、今日は多い気がする。前に来たときは二、三人程度だったのに。
車が動き出す。よく見ると、笑顔で手を振っているのは三人だけで、他の十人くらいはやはり突っ立っているだけ。それに服装が変だ。服がボロボロで、とても従業員とは思えない。
車は高速に乗った。姉は思ったより運転が上手で、雨が降っていても事故は起こりそうになかった。
「そう言えば、こんな雨だったなあ」
急に父が話し出す。
「何がだい父さん?」
「昨日、行きで事故の話をしただろ。その時に降っていたのがこんな感じの雨だったんだよ」
「運転は大丈夫よお父さん。私は絶対事故らないわ!」
姉が自信満々に答える。
「だからと言ってスピード出すなよ」
車が走る。行きで見た、あの花束のところを通りかかった。その時、そこに人が立っていた。
「高速道路に人?」
無意識のうちに声が出ていた。
「どうした翔気?」
「いや、何でもねえ」
だが、さっきの人、気になる。眼鏡に長髪の男だった。
「そう言えばさあ、その事故で死んだ人って、どんな見た目だったの」
さりげなく聞いた。すると、父は答えた。
「確か、眼鏡に長髪だったな。あれは即死だったんだろうな」
眼鏡に長髪…。さっきの男もそうだった。
「ところで翔気、さっき高速道路に人がいるとか言っていたが、それはないぞ?」
「どうして?」
「高速道路に人がいたら、通報されちゃうんだよ。だから、いやしない」
「えっ、じゃあ…」
じゃあ俺がさっき見た人は、何だっていうんだ?
昨日から何か変だ。一体俺はどうなっちまったんだ?
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