第二話

 土曜日に学校が終わると、家に帰らず自転車で必ず平和記念公園に行くことにしている。学校から二十分ほどかかるが、それでも必ず行く。流石に雨が降れば行かないが。

 いつものベンチに到着した。今日は翔気の方が早かった。ベンチに荷物を置いて、その中からグローブとボールを取り出した。そしてそれらを一旦置いて、準備運動を始めた。

 準備運動が終わったのと宮野みやのが来たのはほぼ同時だった。

「おっす」

「遅えよ、宮野」

「すまねえな。授業が長引いちまって」

「そんなことより早く始めようぜ」

「ああ!」

 翔気と宮野は手にグローブをはめ、十メートルほど離れるとキャッチボールを始めた。

「去年から思ってたんだけどよ」

「何だ?」

「宮野、お前土曜に部活ないのかよ?」

「あるけど?」

「じゃあ何で俺とキャッチボールできんだよ? サボっていいのかよ?」

「一日ぐらいやらなくたって体が鈍ったりしないさ。それにお前とやってる方が楽しいしな」

 宮野の通う高校は去年甲子園に出場している。それなりに規則が厳しいと思っていたが宮野が言うならそうでもないのかもしれない。

「それより翔気」

「ん?」

「お前こそ何で、野球部に入らなかったんだよ? 中学の時は俺とお前で全国大会まで行ったじゃないか」

 ちょうど宮野が言うタイミングで自分にボールが回って来た。それをキャッチして、一呼吸おいてから、

「あんな弱小部に入ったって、面白くねえ。勝てねえんだから続けたってつまんねえよ」

 翔気の学校の野球部は弱い。去年公式試合で一勝もできなかったほどだ。

 じゃあ何で今の学校に入ったか。それは一年の時のクラスメイトに何回も聞かれた。俺だってできるなら野球を続けたかった。

 高校受験は偏差値で自分に合った学校を受けた。宮野より頭が良かったから、今の学校に合格した。だが、野球部は落ちぶれており自分がいたって勝てるチームではなかった。

 それでも続ければいい。周りはそう言った。でも、負けるのが許せなくて入部しなかった。

「お前はいいよなあ」

 そう言ってボールを宮野に向かって投げた。

 宮野は高校受験にこそ失敗したが、滑り止めで入った高校の野球部は強かった。前の春休みの県大会だって優勝したと聞く。羨ましい限りだ。今年も甲子園に行くかもしれない。

 要するに受験戦争に勝った自分は野球を続けられなくて、負けた宮野はこれから栄光を掴むのだ。

「まあ、な。明日の練習試合も勝てそうだし」

 宮野は明日は部活なのか。自分は模試を受けるのだが。

「羨ましいな本当に。俺なんて明日受けたくもないテストだぜ?」

「ならサボればいいじゃん」

「部活サボってるお前に言われたくはねえよ。それにサボれば親がうるさい」

「だろうな。医学部の姉を持つと親も期待するだろうしな」

 翔気には三つ上の姉がいる。姉は頭が良く、塾や予備校に通わず、独学だけで広島大学の医学部医学科に現役で合格したぐらいだ。それに比べて自分は赤点スレスレの成績。親は自分に期待してるんだか諦めてるんだかわからない。

「一応勉強してることにはなってっからよ、塾とかには行かせられずに済んでるぜ」

「テストの結果はどう誤魔化してんだ?」

「流石にそれはどうしようもねえ。でも心配無用とだけ言ってはいるぜ」

 少し投げ合って、

「もう勉強の話は止めようぜ。面白くねえからな」

「そうだな」

 二人で黙ってキャッチボールを続ける。途中取り損なったり、変な方向に投げてしまったりもしたが、いつも通り続けた。

「ちょっと待て」

 腕に水滴がついた。雨が降って来た。

「傘は持ってきてねえ。今日のところはここまでだな」

「そうだな、びしょ濡れになる前に家に帰るぜ」

 二人は自転車にまたがると雨が強くならないうちに家に帰るために急いでこいだ。


 家に帰ると姉がいた。

「また、遊んでたんでしょ?」

「違えよ。勉強してたんだよ。だから遅くなったんだ!」

 姉はフッと笑って、

「ウソね。あんた、高校に入学してからいい成績取ったことある? 勉強してたら赤点なんて取らないでしょ」

「あ、姉貴にはわかんねえんだよ。今の授業は難しいんだ!」

 そんなこと通用しないのはわかっている。姉は翔気と同じ高校出身なのだ。難しい授業がないことぐらい知っている。

「私の大学の講義の方が百倍難しいわよ? 高校の勉強なんて大したことないのに、そんなんで躓いてたらあんた、大学受からないわよ?」

「うるせえな! 姉貴は口出すんじゃねえ!」

 背負っていたリュックを投げ捨て、姉に殴りかかった。しかし姉はそれをひらりとかわした。

「喧嘩早い性格も直した方がいいわよ。それとも、直せないくらい馬鹿なのかしら?」

「何だと、この…。」

 このタイミングで母が帰って来た。母は状況を把握しただいまとは言わずに、

「何やってるの、由香里ゆかり、翔気!」

 と叫んだ。

「何にもしてないわよお母さん。翔気が殴りかかって来たの」

 姉は嘘は言ってはいないが、これでは悪いのは自分だけになってしまう。翔気は自分だけが怒られるのには納得できず、反論しようとしたが、

「二人とも部屋に入ってなさい!」

 と母が言ったのでやめた。長年姉との喧嘩を見ているからだろうか、ここ数年喧嘩の度に母は姉も翔気も叱る。

「私は何もしてないのに」

 まだ姉がブツブツと呟いている。うるせえと言ってやりたかったが、母が怒りそうなのでやめた。

 自分の部屋に閉じこもると、翔気はベッドの上に横になった。夕食の時間までまだあるが、机に向かう気力はない。本棚の漫画を適当に一冊手に取る。

「はだしのゲンか」

 なかなかヘビーな本を取ったな。でも読んでみるか。適当にページをめくると原爆投下直後のシーンだった。

「福島の原発も、爆発したらこうなるのか…?」

 家族に聞いてもわからないだろう。いや姉なら何かしら答えられるかもしれないが…。

 手に取った一冊を読み終えると本棚に戻した。次の巻は読まなかった。翔気には月曜までにやるべき宿題があったのだが、まだ大丈夫と思いやらず、夕食の時間まで寝ることにした。

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