第一章

第一話

 四月も半ばが過ぎた。相変わらずメディアは被災地の話をしているが、正直言うともう興味がない。一か月前自分が高校一年生だった時は、テレビに映る津波の映像が恐ろしかったが、もう慣れた。そして地震のことよりも、原発の方が心配だ。あの原発は、ここ広島がかつて体験した原爆のように爆発するのだろうか? あの惨劇は繰り返されてはいけないことぐらい、馬鹿な自分でもわかる。

「小野寺」

 小野寺おのでら翔気しょうきは先生に指名されたのにもかかわらず、窓の外を眺めていた。校庭で今体育をしているのは一年生だろうか? ボールの投げ方がなっていない。あんなへなちょこなボールじゃすぐにホームランを打たれちまうぞ。

「小野寺!」

 先生が大きな声を出した。流石に翔気はそれに反応した。

「あ、はい」

「はい、じゃないだろお前。授業中によそ見をするな」

「すみません」

「ついでだ。ここの問題を解いてみろ」

 教科書ワークの指示されたページは開いていた。言われた問題もどれかわかる。だが、答えはわからない。

「え、え~とですね、これは」

 不味い。日本史の伊藤いとうは説教が長い。それを喰らいたくない。でもわからないものはわからない。

「徳川慶喜だ」

 隣の席の熊谷くまがいが小声で教えてくれた。

「はい、徳川慶喜です!」

「うむ。正解だ」

 何とか窮地を切り抜けた。熊谷はいつも頼りになる。一年生の頃から信頼しているクラスメイトだ。

「さっきボケーっとしているように見えたが、まあ当たってるんだからいいだろう。徳川慶喜というのは江戸幕府最後の将軍で…」

 先生の話を聞かずに、熊谷に礼を言う。

「サンキューな、熊谷」

「そんなことしてるとまた指名されるぞ。少しは授業に集中しろ」

「そしたらまた、お前に答えを聞くだけだぜ」

「次は教えないからな」

 去年から熊谷がそれを言うのを何度も聞いたが、教えてくれない時はなかった。だからこれは嘘だとわかる。でもまた指名されるのは面倒なので、言われた通りに授業に集中する。

 集中すると言っても、ただシャーペンを握って教科書に目を通すだけだ。翔気は自分がいかに馬鹿であるか自覚している。だから授業なんて受けるだけ無駄とも思っている。試験前に赤点を取らない程度に勉強すればいい。

 授業が終わり、昼休みになった。

「今日の飯は何かな?」

 子供みたいにワクワクしながら弁当箱を開ける。

「お、ハンバーグ!」

 ハンバーグが二つ入っている。翔気の大好物だ。これを入れてくれるとは母はわかってるぜ。

「一つは私がもらうぞ。」

 そう言って熊谷がフォークでハンバーグを刺し、口元に運んだ。

「何すんだよ熊谷!」

 熊谷は目を瞑ってモグモグしている。そして食べ終わると、

「なかなかいい味だな」

 と言った。

「そんなの聞いてねえよ! 勝手に人の飯食ってんじゃねえ!」

 熊谷は報酬を要求するような女ではない。それに授業中の助け舟の礼は口だけで済ませているし、熊谷もそれに納得している。

「お前、一昨日、したらしいな?」

「え?」

 一昨日何かあったか? 普通の木曜日だった気がするが…。

「二時間目の化学、小テストだっただろう?」

 あーそう言えば。元素記号を二十番目まで覚えろとかなんとか。

「先生は誤魔化せても私はスルーできないぞ?」

「な、何の話だよ?」

 一応茶化してみるが、通用するわけがなかった。

「窓際一番後ろを利用して、カンニングとはな。黒田くろだ先生に報告してもいいんだぞ? そしたらただでさえ少ないお前の成績の貯金がなくなってしまうと思わないか?」

「ぐっ…」

 要するに口止め料ってことか…。

「もう一個、食べるか?」

 大好物だが、カンニングがばれることを考えると熊谷に与えた方がいい気がする。

「いやいい。美味かったし、今回はこれで勘弁してやろう」

「ふう…。」

 しかし熊谷も酷い奴だ。カンニングをネタに、俺を強請ってくるなんて。だが、悪いことをしたのは自分だ。だから抗議できない。

「私が好きな食べ物は卵焼きだ」

 いきなり熊谷が言い出した。

「なんの話だよ?」

「次またカンニングするのなら、卵焼きを持って来れば見なかったことにしてやるぞ」

 コイツ…。だが卵焼きで黙っててくれるならいい方か。中学時代はもっとうるさい奴もいたからな。

 土曜日は午後に授業はない。残りは帰りの会だけだ。担任の黒田が小テストを持って教室にやって来た。そして返却し始めた。

「小野寺君も満点。合格だね」

 黒田先生はそう言って小テストを返却してくれたが、これはカンニングの結果だ。素直に喜べない。

 席に戻ると熊谷が小テストの結果を見せろと言ってきた。そして見せると、

「元素記号ぐらい覚えられるようにしないと、また赤点補習になるぞ」

 そんなことは言われなくてもわかっている。だがこうでもしないと生き残れないのだ。弱者の気持ちを少しは理解してもらいたいものだ

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