第七話 家族との別れ

 彼の家族は大きくなった。独り立ちしたはずの子供たちは、パートナーを見つけ子供をもうけては彼の元に帰ってくる。五匹が五匹とも、だ。

 彼は嬉しく思った。自分の親は自分が巣に帰って来た時、親は自分を食べようとした。だが子供たちは、繁栄のために自分の元に帰って来た。こんなことがあるのか。もし最初のパートナーが健在で、子供も孵化していればもっと早くこの喜びを感じることができたかもしれない。

 だが喜んでいたために、彼はある問題を忘れてしまっていた。群れればそれだけ、必要となる餌が多くなる。

 飢えがまたやって来たのだ。ヌーの川渡りはまだまだ先だ。最悪なことに餌が少ない。獲物も警戒心が強く、狩りの成功率はガクッと落ちた。

 本来なら多方面に散らばり、少しでも餌を確保する機会を設けた方がいい。それでも彼はそうはせず、群れの存続を考えた。長い年月をかけてやっと手に入れた家族だ、手放せるはずがない。

 彼らはちまちまと小さな虫や猿、魚を食べた。それでも満足しなかった。だが耐えるしかなかった。

 そんな中、彼を真っ青にしてしまう出来事が起きた。最初に言っておくと、また彼の家族が殺されたのではない。逆だ。彼の家族の内、若い個体(おそらく彼の孫)が人間を殺してしまったのだ。飢えに耐え切れず、ふと人間を見かけた時に本能でしてしまったのだ。

 若い個体は後悔した。あれだけ人間には手を出すなと言い聞かせたのに、やってしまったからだ。

 だが彼は怒らなかった。いつ共食いが起きてもおかしくなく、いつ死ぬかもわからず、餌も満足に確保できないこの状況、容易に捕えることができる人間に、手を出すなと言う方が無理だ。自分だって同じ状況ならやった。

 彼の群れはすぐにその場から出発した。人食いワニがいると知られたこの場所ではもう暮らせない。もっと遠いところに逃げなければならない。

 彼は、人間は陸地で暮らす生き物だから、川に隠れる自分たちはそう簡単に見つけ出せないだろうと考えていた。

 だが違った。人間は科学を進化させていたのだ。見たこともない船。より強力になったであろう悪魔の枝。音を立てて空を飛ぶ鉄の塊。彼らはすぐに追い詰められた。

 もう群れを解散させるしかない。人間は自分たちを一網打尽にしようとしているに違いない。

 だがそうすると、仲間が人間に遭遇する確率が上がってしまう。

 彼はこの時わかった。もっと早く、飢えがやって来た最初の段階で群れを解散させるべきだったのだ。今頃してももう手遅れなのだ。

 こうなってはもう選択肢がない。

 人間と徹底的に戦うのだ。悪魔の枝があるからと言って、必ずしも人間が勝利するとは限らない。こちらも数が多い。恐怖心を植え付ければ人間は諦めるかもしれない。

 もう引くことは許されない。群れを集め、戦うことを告げようとした時、若い個体があることを提案した。

 若い個体は、自分がわざと人間に捕まると言うのだ。そうすれば人間は満足して去っていく。

 これは良いアイデアかもしれない。若い個体は、自分が人間を殺したせいでこうなってしまったことに未だに責任を感じており、だから思いついたのだ。わざと捕まれば、殺されるのを承知で。

 だが人間が満足するという保証はない。ワニ狩りをやめないかもしれない。

危険な賭け。決断を下さなければいけない。

 彼は決めた。若い個体が言い出した、そのアイデアに乗ることを。

 だが彼はそのアイデアを少し修正した。わざと人間に捕まるのは自分にすることにした。

 群れはこれに反対した。群れにとって彼は一番頼りになる存在。言わばボスだ。そんな彼を失うのは、群れにとって大ダメージである。

 だが彼は引かなかった。群れの中で一番大きいのは彼だ。対象が大きければそれだけ危険と人間は判断するだろう。それに若い個体に人間を殺させたのは自分のせいでもあるのだ。

 結局群れの方が折れた。彼の発言に逆らう理由が他に見つからなかったからだ。

 彼はパートナーに群れを任せた。パートナーは悲しんでいる。生涯を共にすると決めた彼と二度と会えなくなるからだ。彼だって本当は泣きたい。でも涙は見せられなかった。別れが辛くなるからだ。

 決まったのなら、実行は早い方がいい。夜明けとともに彼は人間の前に姿を現すことにした。群れに最後の挨拶をする。そして出発する。

 十分に深い川をわざと背中を水面に出しながら泳いだ。その方が発見されやすいだろう。彼も辺りを見回し、人間を探す。

 ふと後ろを振り返る。群れの仲間が数匹後を付けている。パートナーもその中に混じっている。

 彼は前を向いた。そしてもう振り返らないと決めた。後を付ける仲間はあえて帰さなかった。自分が最後まで生きていたことを、仲間に見せるのだ。そして仲間に、二度と過ちを繰り返さないと決意させるのだ。

 出発して数時間。もう昼だ。人間が中々見つからない。その時彼はあることを考えていた。

 いつだったか、最近の気はする。悪魔の枝を持っている人間に殺されなかった時があった。ひょっとしたら人間は、自分を殺さないで生け捕りにしたりしないだろうか? 死にたくないからそんなことを考えるのではない。人間という生き物は摩訶不思議であり、ほんの少し先すら予想できないのだ。いややはり、見つけ次第悪魔の枝で自分を殺すだろうか。それは人間に遭遇しなければわからないことだ。

 彼は人間について考え直していた。


「いたぞ! あそこだ!」

 人間の声がする。そっちにあえて向かう。陸地に数人いた。

「こっちに来たぞ! 用意しろ!」

 悪魔の枝は持っている。やはり撃ち殺す気か。だが撃ってこない。なら撃たせて見せよう。彼は口を大きく開け、陸に上がり、人間たちに向かって行った。彼の決死の行動に驚く人間。彼は威嚇したまま動かない。これも悪魔の枝を使わせるためだ。動かない方が命中しやすいだろう。

「準備いいぞ!」

「撃て!」

 彼に悪魔の枝が向けられる。バン。音がした。

 腹に弾が当たったようだ。痛みを感じる。

 だが変だ。痛いだけで、致命傷ではない。何故だ? 自分の革が厚くて貫けないから? いや違う。出血はしている。じゃあ何故死なない? 人間も、自分はまだ生きているのに何故二発目を撃ってこない?

 そんなことを考えていると急に眠たくなってきた。ああ、これが死か…。

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