第六話 敵ではない人間?
子供の大きさもちょうど良くなり、いよいよ独立という時だ。せっかく増えた家族がいなくなるのは寂しいが、子供は新たな場所へ行き、そこでパートナーとなるワニと出会い、繁殖する。一度は完全に一匹だけになってしまった彼の血筋も、再び復活するのだ。これは嬉しいことである。
だがその時期に、思いもよらぬ事件が起きた。
彼は絶対に人間が来ないと思っていた場所に、パートナーと子供といた。だがそこに踏み込んでくる人間がいたのだ。
人間の事情は彼は知らない。最近人間を殺したこともない。だからこんなところまで来るはずがないのだ。
人間は最初からワニが目的だった。ワニの革は高く売れる。ここにやってきた人間は密猟犯だ。
彼は子供に逃げるよう伝えた。彼はその場を離れなかった。おとりになるのだ。そして少しでも子供が逃げる時間を稼ぐ。そのはずだった。
バン。遠い昔に聞いた音がした。あの悪魔の枝だ。人間が悪魔の枝を使ったのだ。彼ではなく子供に。
撃たれた子供は死んだ。密猟犯はまだ続ける。一匹、また一匹と撃たれ、死んでいく。
何故だ? 何故自分を撃たない? 彼はそれが疑問だった。自分の方が子供よりはるかに大きい。人間にとって自分は邪魔であり、最大の脅威のはずだ。
密猟犯は答えを知っていた。確かに大きなワニを仕留めれば大量の革が手に入る。だが、彼の体は歴戦の傷でいっぱいだった。これでは金にならないのだ。その点子供の方はまだ他の野生動物と戦ったことすらない、綺麗な革。こちらの方が高くなるし、小さいので運びやすい。
そんなこと知る由もなく、彼はパートナー、子供と全力で逃げた。密猟犯はボートで追ってきた。それでも必死になって泳ぐ。
ようやく振り切ることができた。いや正確には違う。密猟犯が十分な量を確保したため、狩りをやめたのだ。
彼とパートナーは無事だった。だが子供を大量にやられた。ここまで逃げて来れた子供は五匹。
彼はまた、怒りを抑えられなかった。パートナーと子供を残し、逃げてきた道を戻る。密猟犯のボートはまだ近くにいた。
彼は距離を測ると潜った。そして川の底を這いながらボートの真下に来る。少し浮き上がるとボートの底が確認できる。ボートの方の動きは無い。口を開けた。そして彼は勢いよくボートに噛みついた。木製のボートの耐久力は決して高くない。ボートは簡単に噛み砕けた。
「何だ! いった…」
まず一人。水の中へ引きずり込む。人間の頭を噛み砕いた。
「おい! そっちになにが…」
二人目。今度は長時間水の中に引きずり込み、窒息させる。
「はあ、はあ」
二人目に時間を割いてしまったためか、最後の一人は陸地に上がっていた。彼も陸に上がる。
「うわああ来るな!」
人間が叫んでいる。だがその手には悪魔の枝はない。ボートと共に沈んだのだろう。悪魔の枝を持っていない人間など恐れるに値しなかった。
最後の一人も川に引きずり込んだ。
この時彼は運が良かった。この人間が密猟犯であること(つまり現地の人ではない)、夜だったために他に目撃者がいなかったこと、密猟犯が少数であり、全員を殺すのに時間がそうかからなかったこと、などが理由で彼のこの行動は人間に知れ渡ることがなかったのだ。
密猟犯の死体は巣に持ち帰り、家族で食ってやった。死体が出るとワニの仕業と思われるからだ。
またこの季節がやって来た。ヌーの川渡りだ。他のワニも集まっている。
彼自身、このイベントにはもう何度も参加した。そして決まって子供のヌーを仕留めた。今日もそのつもりだ。
急に子供が騒いだ。ヌーのいる岸とは反対側を向いている。そっちを向く。また人間だ。
彼はどうして人間がいるのかわからなかった。何やら黒い四角の道具を持っている。
持っているのが悪魔の枝でないなら無視する。そう子供に伝えた。
やがて最初のヌーが川に飛び込んだ。川渡りの始まりだ。密猟犯のお蔭で数こそ減ったが、洗練された狩りのスキルは覆らない。今年も大成功を収めた。
ヌーの川渡りが終わると、子供は捕えた獲物を食べ始めた。彼は食べずに人間の方へ近寄ってみた。
「ご覧ください。ヌーの川渡りが今終わりました。犠牲になったヌーはワニの餌食です。あ、ワニが一匹近づいてきました」
やはり悪魔の枝は持っていない。なら無視していいだろう。下手に人間に手を出せば地獄の底まで追ってくる。
ある時彼は陸に上がって日向ぼっこをしていた。連日の雨で冷えた体を温めるためだ。その時だ。
「ワニだ!」
人間の声がした。ここも人間が立ち寄る場所になってしまったのか、もうここには来れないな。そう思ったが次の瞬間それは頭から飛んで行った。
三人の人間の内、二人は悪魔の枝を持っている。まずい。逃げなければいけない。
二人は構えた。悪魔の枝の先を彼に向ける。
「撃つの、ブラッド?」
一人は悪魔の枝を下げた。
「いや。エール、俺たちは密猟犯でなければ、ワニの保護団体でもない。放っておけ」
「え、でも」
「罪も無いのに無闇に殺すことは無いだろう。ライフルを下げろ。グラディー、他にワニはいるか?」
「レーダーにはあの一匹だけ」
「ならここはワニの巣窟でもない。危険じゃないな。一応オブライエン大佐に、川を渡るなと通達しておけ」
それでも一人は悪魔の枝を構えている。
「…やめろって言っただろう、エール。弾は敵兵に撃ち込め。無駄にするな。ワニ一匹仕留めたところで戦況は変わんないんだぞ!」
「わかったわ…」
三人は去っていく。彼は追おうとしたが、やめた。人間の方から引き下がるのなら、自分が攻撃する必要はない。
この出来事は、彼に人間という生き物について、考え直すきっかけとなった。
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