第五話 新しい家族
行き場のない感情が彼を覆う。今まで兄弟や親を失った時以上に彼は怒った。
ふと目をやると岸にライオンがいる。彼はライオンにしてやられたことを嫌でも思い出した。あの時ライオンが邪魔さえしなければ共食いせずに済んだのだ。また怒りが爆発した。
彼は陸に上がると物凄い勢いでライオンに向かって行った。賢い判断でも冷静な行動でもない。逆上していて自分を見失っていた。
無謀な攻撃。しかし怒りに満ちた彼をライオンは止めることができなかった。一番偉そうにしていた、首に毛が多く生えた一頭に狙いを定め突進する。ライオンも雄叫びを上げる。だが彼の耳には入らなかった。
ライオンが足で攻撃してきた。爪が皮に食い込み血が出る。ライオンはその一撃で彼を撃退できたと思っていた。しかし彼は引かなかった。寧ろ勢いを増してライオンに噛みつく。そしてライオンに抵抗する暇も与えずすぐに川に引きずり込んだ。
この一部始終をたまたま現地の人間が目撃していた。そして彼は、今度は人食いワニとしてではなく百獣の王をも下すナイルの帝王と呼ばれるようになった。これは思った以上に反響が強かったのか、それとも人食いワニはもう仕留めたからか、人々は彼を追うことはしなくなった。彼も極力人間の前に姿を出すことはしなくなった。
それからしばらくの間、彼はまた孤独だった。
川を泳いでいると、ワニに遭遇した。また雌だ。自分よりも若い個体。パートナーを失うことの辛さを覚えた彼はあえて無視した。
すると今度はカバと出会った。カバも強く、アフリカで毎年かなりの人が犠牲になっている。
お互いに睨み合う。彼もカバも、戦うことのリスクを考えていた。やり合うには危険すぎる。そう判断するとお互いに何もしないですれ違う。
だがカバはさっきの雌のワニには勝てると判断し、襲い掛かった。
弱肉強食の世界。敗者は勝者の糧となる。当たり前のことだ。
カバの攻撃が増していく。雌のワニは抵抗するもカバの方が大きい。
彼は我慢した。見て見ぬふりをすると決め込んだ。だが、彼の心が揺らいだ。今まで仲間を失うことしかしてこなかった。仲間を救うことをしてみてはどうだろうか? かつてパートナーがしてくれたように。
彼は反転し、カバに襲い掛かった。いきなりの攻撃にカバは怯んだ。その一瞬に雌のワニはその場から逃げ出すことに成功した。
カバは怒っている。お互いに手出しをしないことにしたばかりなのに彼が攻撃したからだ。こうなってはもう引けない。生きるか死ぬかの戦い。
カバが大きく口を開けた。数こそ少ないが桁違いの大きさの牙。あれを喰らえば一撃でお終いだ。
彼は冷静にカバの体を見た。脚は短くて太い。脚に噛みつくのが失敗したら強烈な一撃が待っているだろう。なら胴体はどうか? 大きくて噛みつけるかどうか怪しい。
カバは動き出そうとしない。こちらが動き出すのを待っているのだ。水の中に潜って逃げるか? ワニはカバよりも長く潜っていられる。潜水すれば絶対逃げられる。だが彼はそうはしなかった。今までの経験が彼にそうさせなかったのだ。
ここで相手を負かせないと絶対に復讐しにやってくる。
彼は潜った。するとカバも潜った。時間が過ぎていく。カバは音を上げた。限界だ。水面から鼻を出して息継ぎをしようとする。
その瞬間。彼はカバの足に噛みつくと川の底へと引っ張った。
息継ぎに失敗したカバ。滅茶苦茶に暴れ出す。だが彼は脚を決して放さなかった。
カバが動かなくなった。死んだか。彼は脚を放した。カバの体が浮いていく。水面に顔が出たその時、カバは動き出して彼に襲い掛かって来た。カバは死んだフリをしていたのだ。これには彼も予想外だった。
カバは完全にキレている。雄叫びを上げ、口を開いて突進してくる。
バクン。あと少し逃げるのが遅れていたら彼の体は真っ二つにされていただろう。紙一重でかわした。
再び睨み合う。が、カバは反転した。急に逃げ出したのだ。何故だろう。彼は自分が勝っている要素はないと思っていた。
答えは自分の後ろにあった。助けた雌のワニが近くの仲間を集めて応援をよこしてくれたのだ。カバは彼が強いと判断したのではなく、数で押されては勝ち目がないとわかったのだ。
ワニの大群。結構いる。この雌のワニの家族だろうか? 彼らは彼を囲い、助けてくれたお礼をした。彼もカバを追い払ってくれたお礼をした。
ここにいれば狩りは成功率が高いだろう。長年仲間といれば連携した動きが可能になるからだ。
だが彼はそこから立ち去った。彼らの仲間になる気はない。自分たちの時のようにいづれこの群れも消失するかもしれない。それに巻き込まれたくないと思ったからだ。
だが助けた雌のワニが彼に付いて行った。
彼は新たなパートナーを得た。最初のパートナーとは違い、このパートナーは狩りが下手だった。だから狩りは彼が中心となって行った。
新しいパートナーは空腹によく耐えてくれた。だから彼も獲物を捕らえることができなくても落ち込まなかった。
一緒にいると絶対に交尾の時期が来る。彼は前回人間のせいで悔しい思いをした。だから今度こそ成功させたいと思っていた。だが同時に、失うことの辛さを感じたため、避けたいとも思っていた。
最終的に人間が立ち寄らなさそうな場所を選ぶことを条件に彼は交尾をした。生まれた卵を土の中に隠す。そして孵化の時が来るまで外敵を追い払う。彼はずっと耐えた。
土の中から鳴き声が聞こえた。そして一週間もすると土を掘り返した。もう頃合いだろう。卵を少し強く噛んで割った。
中から赤ん坊が出てきた。この小さな姿。自分もこんな時があったんだなと思う。軽くくわえて安全なところに持って行ってやる。
二、三個は卵の中で死んでしまっていた。でも十七匹の新たな家族が増えた。悲しみよりも喜びの方が大きい。彼はすぐに狩りに出かけた。腹いっぱい食わせてやるのだ。
川岸にシマウマがいた。こちらには気付いていない鈍い個体だ。容易く水の中に引きずり込めた。そして息の根を止める。すると一度陸に上がり、仲間がいないかどうか確認する。どうやらコイツは群れからはぐれたようだ。
捕えた獲物を巣に持ち帰る。子供たちに食べさせる。彼自身はその辺の小さな魚で我慢した。
外敵もさすがに親のワニが一緒では子供のワニには手が出せなかった。少しでも外敵の姿が見えれば、危険を避けるために彼らは背中に子供を乗せてあちらこちらに移動した。
子共が成長し少し大きくなった。狩りを教えるにはいい時期だろう。まず魚の捕え方を教えた。新しいパートナーが狩りが苦手なので心配だったが、みんな一度の練習でできるようになった。
やがて陸地の大物の狩り方も教える。危険を承知で彼はヌーを捕えた。子供たちには、大人のヌーは絶対に狙わないよう教えた。
彼の子育ては徹底していた。本来なら教えなくてもいいようなどうでもいいことでも何でも教えた。
ある時彼は、わざと子供を連れてある場所に来た。最初に人間を食った場所。ここで数日待った。
人間が来た。ワニがいることを知れば、駆除しに来ることは容易く想像できた。
彼は人間を見せたかったのではない。彼が子供に見せたかったものはあの、悪魔の枝。原理は不明だがあれはこちらの命を一撃で仕留める力がある。そのことを子供に念入りに教え、絶対に人間に近づいてはいけないことを伝えた。子供もそれを理解した。
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