第二話 人間との遭遇
今から八十年前の一九三二年に彼は生まれた。卵の殻は自分の力では開けられず、母親に開けてもらった。そして子育ての時期。他のワニと同様、彼は母親の世話を受けた。
彼の血筋は子育てにちょっとだけ熱心だった。彼の母親は父親と共に、彼とその兄弟たちのために狩りに出かけた。そして獲物を捕まえては彼らに与えた。
おいしそうに御馳走を食べる彼ら。しかし彼らは知らなかった。これから待ち受ける運命を。
親離れの時期はまだだ。だからまだ親が世話をするのだが、この年は餌となる獲物の数が少なく、親は餌を得るのに苦労した。餌を取って来ないで帰ってきて、彼らをがっかりさせることが多くなった。
彼らが眠っている間、親はあることを決めた。自分たちの最低限の餌すら確保できないこの状況、彼らをこれ以上育てるのは不可能だ。そう判断した。そしてそれを実行したのだ。
彼らには、いつものように狩りに出かけるように見えただろう。しかしそれは違った。親たちは出かけたまま、帰ってくることが無かった。
いつまで経っても帰ってこない親。彼らも待つことをやめた。
小さな虫や魚を食べる日々。彼らは狩りが下手だった。親が教えてくれなかったからだ。だから小さな動く生き物を口にくわえては食べた。
彼らはまだ小さい。水辺で最強と言われるナイルワニだが、小さな彼らを狙う動物たちは多い。だからできるだけまとまって行動していた。
それが仇だった。まとまっている分、必要となる餌の量は多くなる。狩りを満足に行えない彼らに群れを維持するための餌を確保する術はなかった。
敵が彼らの仲間を襲う。たいして大きくもないワニの威嚇など恐れるに値しない。次々と狙われた。
脱落者も多かった。一匹、また一匹と飢えで死んでいく兄弟。流石に血を分けた兄弟の死体には手を出さなかった。出さなくてもナイルオオトカゲが勝手に食べて行った。
結局十分な大きさになるまで数は減っていき、最後に残ったのは彼を含めてたったの四匹。最初の大勢が嘘みたいだ。
他の縄張りにいるワニを見て習い、彼らは狩りができるようになってきた。水辺に近づいた猿や鹿を、一瞬でくわえて水の中に引きずり込み、デスロールで解体して食べる。時にはくわえた獲物を水の中に長時間入れ、窒息させたこともあった。餌にありつければ、方法なんてどうでもよかった。
彼と兄弟の狩りは次第に鍛錬されていった。一匹がわざと目立っておとりになり獲物の気を引き、他の三匹が違う方向から襲いかかる。この方法は成功率が最も高かった。
彼らはある日、出会ってはいけない動物に出会ってしまった。人間である。初めて見た時、彼らは油断していた。人間に対して無知だったからだ。無防備な獲物。確実に行ける。そう思った時だ。
バン、という大きな音がした。
それが何か理解できなかった。どうやら人間は、枝のような道具をおとりに向けている。
それからもう一度、バンと音が鳴った。人間の持っている、枝のようなものから聞こえた。
おとりが動くのをやめる。腹から血を流している。そのおとりに人間は近づいていく。
何故逃げない? 三匹はそう思った。おとりは逃げないのではなく、逃げられないのだ。二発目が致命的だった。即死だ。おとりはたった一人の人間に殺された。
人間が三匹の存在に気付く。まずい。本能が警告する。逃げなければおとりのように殺されてしまう。そう直感した三匹は川に潜り、全力で泳いでその場から離れた。
この時、彼は人間がいかに危険か、そして憎い相手かを知った。
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