第七話 見てないところで
秋学期が始まった。学生も実験室に残っているのが当たり前のようになって来た。四年生は、昭島君以外は大学院に進む予定だ。成績も悪くないので推薦で大丈夫。昭島君の就活も順調のようだ。
心配事がないのかと言うと、違う。一つだけある。
それは、合成生物の実験だ。つい先日、水陸両用カマキリは全滅してしまった。二つのパターンは最後まで生き残るだろうと思っていた矢先の出来事である。元々相性が悪いのかもしれない。
しかしそれならトンボの方がより悪いだろう。堀北自身そう思った。
「こっちは…」
まだヤゴだが、ここ数か月では一匹も死んでいない。かなり強靭だ。そろそろ羽化のはずだ。水槽に、ヤゴが登れるように木の枝を数本垂直に入れた。後、飛んで逃げないように蚊帳で覆った。これでいつ成虫になる時が来ても大丈夫。ちゃんと成虫になれば、であるが…。
この日の講義を終え、自室に戻る。そして本棚の向こう側を確認する。死んでいなければいいが…。そんな考えが終始よぎる。
「おおお!」
三匹、成虫になっていた。しっかり翅が生えており、ハサミも尻尾の針も完璧だ。
「実験成功、だ!」
論文でも一つ書きたいぐらい嬉しいことだ。この生物を世に発表できずにいるのが悔しい。
もっと良く観察しようと思い、蚊帳の中に入ろうとした。その時足元を見た。本が散らばっている。しかしそっちに堀北が気付くことはなかった。蚊帳の入り口の方に、バラバラになったトンボの死骸が落ちていたのだ。
「そう言えば、成虫用の餌を用意していなかったな。共食いしてしまうのは当たり前か?」
元より強力なアゴを持っている。さらに加えてサソリのハサミと針。その死闘は想像に難くないが、酷いものだっただろう。
ハサミと針に気を付けて、一匹だけ捕まえた。そして針から毒液を抽出。それを、本来の持ち主であるデザートヘアリースコーピオンの毒液と照らし合わせてみる。
毒を作る遺伝子は操作しなかったので、成虫になった場合これを最初に行うことに決めていた。
毒は同じものだった。DNA操作の過程で変わってしまうのではと疑問を抱いていたが、いらぬ心配だった。
その一匹を蚊帳の中に放つ。足元に散らばる本を片付けながら堀北は新たな疑問を抱いた。
このトンボは、交尾ができないのでは? 尻尾が針になっているので、雄と雌は連結ができないのではないか?
十年前に観た映画ではどうだった…。いや確かあの映画では、繁殖する様は描かれていなかったはず。
「…まあ、下手に子孫を残されるよりマシか…。一代限りの生物でいいか。どうせ実験が終わったら後は死ぬだけなのだから…」
独り言を言った後、すぐに新たな実験のことを考えた。自分の技術は完璧だから、次の実験も成功させるつもりだ。
堀北の実験はその後も続いた。誰にも話さず、ただ一人で淡々と行われていたので、全てを知っているのは堀北ただ一人だ。本来ならこのまま、合成生物を作り続ける予定だった。
この日も堀北は気分転換のためにコンビニに行った。
「…准教授、いますか?」
堀北の部屋の扉を開けたのは甲斐君と金田さんだ。
「いないみたいだね。サンプルだけ冷蔵庫から取り出そう」
二人は冷蔵庫を開けた。
「おや?」
甲斐君があるものを手に取る。
「これは…蚕の卵じゃん。四年生の実験の練習用に使えるな」
「そう言ってあんたはいっつも私たちに任せっきりでしょう? 今度は自分でやれよ!」
「少しはやるよ。この蚕、実験室で育てれば孵化するかな? 新しく終齢幼虫買うのもいいけど、蚕の世話ぐらい四年生にできるようになってもらわないと」
そう言って甲斐君は卵を金田さんに渡した。
「また私がやるの? ったく、口先ばっかだなぁおい!」
二人は必要なサンプルと蚕の卵を持ち出した。
堀北が戻ってくると、二人がいた痕跡はなかった。
「さて。続きを始めるとするか」
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