第六話 さらなる狂気実験

「誰だ?」

 夜、道で急に振り返って叫ぶ。

 誰もいない。静まり返っている。

「…気のせいか?」

 最近、誰かに見られている気がする。視線を感じる。公にできない実験をしているから、無意識のうちに過剰に身構えているだけかもしれないが。

 少し自宅に帰るルートを変えた。もし本当にいるのなら、追っ手はまけたかもしれない。いや、相手は自分のことを徹底的に調べ尽くしており、今更わざとらしく変えても無駄か?

 色々考えたが意味ないので、深く考えることはやめにした。


 単細胞生物での実験は成功した。すると今度はもっと複雑な生物で実験してみたくなるのが研究者の性。堀北なら尚更だ。手頃なのはやはり昆虫か。

 自室にある昆虫図鑑を本棚から取り、パラパラとめくる。

 …こうなってくると全部ごちゃ混ぜにしてみたい気もする…。

 流石にそれはマズイ。出来上がる生物を想像することすらしたくない、それぐらい酷い姿になりそうだ。

 図鑑を机に置いた。だが、立ち上がった拍子に床に落としてしまった。

「トンボか…」

 図鑑はトンボのページを開いていた。

 そう言えば十年ぐらい前、自分がまだ博士課程の時に見た映画にトンボの怪獣が出ていたな。あれは前脚がサソリのようなハサミになっており、さらに腹の先にも針のようなものがあった。

「作ってみるか、あれを」

 もう名前も忘れてしまった怪獣。早速堀北は行動に移した。

 近くの川でヤゴを数匹捕まえてきた。まだ幼虫だが、この状態でも生殖細胞は体の中に作られている。それを解剖して取り出した。そして培養液に入れる。

 次にサソリを用意した。ペットショップで売られている、砂漠に住むデザートヘアリースコーピオン。簡単にDNAが手に入った。そしてDNAから、ハサミと尻尾の針を作らせる領域を特定し、これをまたPCRで複製。元々生殖細胞に存在した核を放射線で破壊し、サソリのDNAを組み込んだ核を入れる。そして出来上がった細胞を培養。

 普通に待っていると、成虫になるまで一年かかってしまう。しかしここは実験室。外とは違い、自由に環境条件を変えることが可能。室温は常に二十五度に設定し、日照時間は六時間とした。これで通常より速く成長させ、成虫にさせることが可能となる。

 また同時に、川ではヤゴと共にミズカマキリも手に入れていた。これをもとにさらなる実験を行う。

 大学内の草むらでオオカマキリを入手。準備は整った。これから作るのは水陸両用カマキリである。

 しかしここに来て問題があった。トンボは、サソリの体の一部を遺伝子に組み込むだけで良かったのだが、カマキリは違う。

 まず、飛翔能力に差がある。ミズカマキリは他の水中カメムシ類の中で最も高い飛翔能力を持っている。対してオオカマキリは飛翔能力は低く、滑空する程度である。しかし、その翅を広げて威嚇することができる。これはミズカマキリでは見られない能力である。そのため、飛翔か威嚇か、翅の使い道を絞らなければいけない。

 さらに、ミズカマキリは獲物に口吻を刺し、消化液を送り込んで溶けた肉液を吸う体外消化である。オオカマキリは吸い付くのではなく、齧って食べる。獲物の捕食方法もどちらか選ばなければいけない。

 堀北は迷った。別に世間に発表するわけでもないのに、真剣に水陸両用カマキリの運営方法を思案した。

 悩んだ挙句、決めかねたので四パターン全て作ってみることにした。そして育ててみて、一番長く生き残れたものを正式な水陸両用カマキリとすることにした。

 順調に育っていく胚。十二月末には全て孵化した。堀北は水槽を五個用意し、外からはわからないように自室の奥に配置。さらに本棚の位置も変えて完全に隠した。

 幼虫を育て始めて二週間。まず、威嚇と齧る組み合わせのパターンが全滅。水中とは相性が悪いようだ。さらに一か月すると今度は飛翔と齧るの組み合わせのパターンも死んでしまった。ヤゴの方は順調だった。

 学生の期末試験の問題を採点しながら、観察を続けた。

「…こいつは、またか…」

 毎年同じ問題なので解答も同じになるのだが、堀北は模範解答を配っていない。そのため学生の内の誰かが作った解答が出回っているのだろう。

「来年は解説した方がいいか…。いやでも誰も真面目に聞いちゃいないだろうし…」

 間違いは直すべきなんだろうが、自分の講義で効果があるのか…? その辺の学生を適当に捕まえて訂正すればすぐ済むだろう。

「まあ、いいか。生物学部でも遺伝学に興味がない学生は少なくない。無関心ならそれはそれで」

 この学生は赤点を免れたようだが、次の学生はどうだろう? 不思議とワクワクしている。

 椅子から立ち上がる時、ペンを落とした。それを拾おうとしてさらに本棚にぶつかり、本を落とした。堀北は今、ソワソワもしている。

 一旦落ち着くことを考えよう。自室を出た。

「おや、島風君じゃないか。どうだい実験の方は?」

「全然ですね…」

 ちょっと元気がない。

「失敗を恐れてはいけないぞ。怖気づいたが最後、一歩も前に進めなくなってしまう」

 励ます。しかし島風君は別のことに悩んでいた。

「実験失敗よりも金田先輩がちょっと怖いです…」

「ああ金田さんだね? しょうがないよ彼女の性格なんだから。私もできるだけ怒らせないようにしている」

「あまり関わらない方がいいですかね…?」

「それは良くないぞ。仮にも同じ研究室の仲間なんだ。上手く対処していくことが一番大切だ。それができなくなるから彼女もキレてしまうんだ」

 今まで保てていたからそう言える。嫌いな他者を仲間外れにするのは一番嫌いなことだ。

「…わかりました。今度はご機嫌取ってみなすよ」

「頑張れよ。ただし、ワザと、と見抜かれたらただでは済まんから、十分注意してくれ」

 コンビニでコーヒーを買って飲み、すぐに自室に戻って来た。また誰かに侵入されたらたまったものではない。普段自室は鍵をかけていない。それなのに何の告知も無しに施錠するようになっては変だ。怪しまれることもしない。

 実験室の方から金田さんの怒鳴り声が聞こえる。島風君が早速しくじったようだ。大きくなる前になだめなくては。

「どうしたのかね?」

 ドアを開けると同時に言った。

「あ、准教授! 甲斐の奴、今日の四時から四年生と実験の予定だったのに仮病でさっさと帰ったんですよ! あームッカつくぅ!」

 確かに四年生の実験に付き合うのは面倒なことではある。現に基礎実験など、堀北は研究室の学生に任せっきりである。

「しょうがないな、いないのなら。それに本当に病気だったら大変だ。人手が足りないのなら私が手伝おう」

 堀北が言うと、金田さんは驚いた様子で、

「へ? 准教授が四年生の実験見てくれるんですか…?」

「私も少しぐらい教えなくてはね」

「なら全部やって下さいよ。私帰りますね」

 おいおい…。

「私は手伝うとしか言ってないぞ?」

「私も風邪気味で」

 嘘吐け。さっきまで怒鳴っていただろう。とても元気じゃないか? 金田さんはさっさと帰ってしまった。

「…仕方がないな。では諸君、始めようか」

 このまま四年生を放っておけない。それに堀北も時間を潰す必要があったので、断る理由はなかった。

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