第五話 第二の目撃者

 しかし実験は思うように進まない。

「…何故だ!」

 机を叩く。手の痛みを感じる。しかしそれは悔しさによってすぐに打ち消された。

 研究者としていくら優秀でも、乗り越えられない壁があった。実験で作り出したマウスの胚は、発生段階で九割以上が死に、生まれてきた個体もすぐに死んでしまった。計算上、上手くいくはずの実験。だが、失敗。

 しかし一方で、スズメバチの毒針を持つクロオオアリの制作には成功している。マウスの免疫機能も、スズメバチの毒に過剰に反応しなくなってきている。

 この差は一体何なのか? 誰に聞いてもわからない問い。いや、誰にも聞くことは不可能だ。

「アリは成功している。マウスは失敗…。高等な生物を使うことに今は、限界があるのでは?」

 マウスはホ乳類である。これは地球上で最も高等な生物種だ。対してアリを含む虫たちは、下等な生物と言われている。

「この差か!」

 そう言えば堀北の実験は、今まで高等な生物を取り扱ってなかった(蚕やショウジョウバエは昆虫である。トマトも植物で扱いやすい。ニホンヒキガエルは脊椎動物ではあるものの、その中では高等な種ではない)。

 研究者として悔しいが、成功率を上げなければいけないのも事実。

「しばらくは下等な生物で実験を続けるか…」

 マウスの実験は完全に諦めたわけではない(それは堀北のプライドが許さなかった)。いつか、絶対に成功させる。その時のために、今はよりいじりやすい生物をもとに合成生物を作ることに専念する。


 堀北は実験を再開する時、基本からやり直すことを考えた。選んだのは単細胞生物のゾウリムシ。よく試験問題でも目にする単細胞生物だ。これを改造して、新ゾウリムシを作ることを考えた。

 開発コンセプトは、対ヒメゾウリムシ。ゾウリムシとヒメゾウリムシを混同して培養すると、ゾウリムシはヒメゾウリムシに、競争で負けてしまう。だから新ゾウリムシは、そうはならない工夫を加えることにした。

 競争での敗北の原因は、ヒメゾウリムシの増加によるゾウリムシの確保できる餌及び生活空間の減少である。

 では、どう勝つか? ここは今まで成功してきた毒を使う。しかし今回は以前よりも一考を必要とした。自身が分泌する毒に耐性を持たせなければ、分泌した新ゾウリムシも死んでしまう。使う毒はニホンヒキガエルのブフォトキシンに決め、ブフォトキシンに耐性を持つヤマカガシという毒蛇を入手し、その遺伝子を新ゾウリムシの核に、ブフォトキシンの遺伝子と共に組み込む。

 その時、小核は破壊しておく。こうすれば新ゾウリムシは有性生殖が行えず、遺伝子が組み合わさることがなくなる。これは意図しない新たな新ゾウリムシが生まれてしまうのを防ぐためである。ある程度増えると、それ以上細胞分裂で増えることができないので、処分もしやすい。

 実験を始める。PCRで目的の遺伝子を大量に増やし、ゾウリムシに組み込んだ。

 この結果、生まれたのが新ゾウリムシであるかどうかはまだわからない。ヒメゾウリムシと共に生まれたのを培養液に入れた。それをニ~三週間保管する。そして見て見た時に、生き残っているのを確認するのである。実験が成功していれば、ヒメゾウリムシは全滅するはずである。

 一旦休憩にしよう。堀北は近くのコンビニに行き、コーヒーを買って飲んだ。

 十分の外出だったが、その間に思わぬことが起きた。

「橘川さん…? どうして私の部屋にいる?」

 橘川さんが堀北の自室にいたのだ。しかも顕微鏡を覗いていた。

「准教授。遠心分離機の使い方でわからないことがあって、四年生に教えられなかったので准教授に聞こうと思ったんですが…。このシャーレに入っている生物は何ですか?」

 近藤君のように味方になってくれるとは限らない。

「これはね、ちょっとした実験をしているだけだよ。今度一年生の試験に出そうと思ってね…」

「誤魔化さないで下さいよ、准教授。これでも私は生物学を学んでる身です」

 橘川さんに嘘は通じなかった。

「シャーレの中の生物は二種類いますね? 片方はヒメゾウリムシ。でももう片方がわかりません。ゾウリムシに似てはいますけど、違う種です。これは何ですか?」

 仕方なく堀北は話した。

「実験で人工的に作り出した新種だ。毒を分泌することができる。私が遺伝子を組み替えたのだ」

 自分の実験も今日で終わりか…。そんな考えが頭をよぎる。

 橘川さんは少し間をおいて、

「准教授。悪用したりしませんか?」

 と聞いた。

「そんなことはしない。私はバイオテロリストではない。この実験が、生物学の発展に繋がればいいと思っているだけだ」

 そこだけは否定する。マッドサイエンティストだとしても、テロリストでは絶対、ない。

「…ならいいです。私も大事にしたくないので」

 なんと橘川さんは自ら引き下がってくれた。

「私のこの実験のことを報告しない気かね?」

「私がここを卒業するまでは黙りますよ。在学中に問題なんて起きて欲しくないので」

 その言葉が本当なら助かるが…。安心させておいて叩き落とすようなことをするかもしれない。

 ゾウリムシの実験結果と共に自分の元に上司から何かしらの通達が来ることを待っていた。しかし上司は何も言ってこない。橘川さんは本当に自分の実験を黙殺したようだ。

 ゾウリムシの結果が出た。培養液の隅から隅まで確認したが、ヒメゾウリムシの姿は見られなかった。堀北の生み出した新ゾウリムシは、ヒメゾウリムシに勝ったのだ。

 シャーレはオートクレーブで滅菌した。堀北にとって、新ゾウリムシはさほど重要ではない。だが、実験の成功は素直に喜べた。

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