第四話 見られたが…

「今日からこの研究室に配属になった、昭島あきしまです」

「同じく、中根なかねです」

島風しまかぜです」

 今日から一緒に研究する学生たち。心地よく迎え入れる。三人はこれからの研究に期待しており、ニコニコしている。

「そう簡単に実験は上手くいかないんだぜ…。俺なんて何回失敗したことか…」

「そんなこと言わないの、近藤君。四年生が落胆しちゃうでしょ!」

「でも現実は知っておいた方が…」

「甲斐君もそんなこと言うの? 全く黙れよこのクソガキがぁあ!」

 学生たちは仲良さそうに話している。

「では、まず基礎実験を。橘川さん、指導できるかな?」

「任せて下さいよ、准教授!」

 新人の指導は橘川さんに任せ、堀北は自室に戻った。新しい実験の続きをしなければならない。

 今行っている実験は三つ。一つは、免疫力を高めたマウスの飼育。このマウスの作り出すB細胞は通常よりも早く抗体を作り出せる。そのように遺伝子を操作したからだ。既に感染し得る感染症への免疫を持っている。さらに免疫を持たせたいのは、スズメバチの毒だ。そのための二つ目の実験は、スズメバチの毒針を誘導するDNAを導入したクロオオアリ。通常アリは毒針を持たず、クロオオアリもそうだが、今回はスズメバチを飼育するよりは手軽であるクロオオアリを用いて毒液を大量に生産させる。

 この二つの実験は将来、人間にも応用できると堀北は信じている。スズメバチによる被害の多くは毒の危険性ではなく、アナフィラキシーショック等のアレルギー反応である。免疫が過剰に反応してしまい、結果として死に至ってしまう。そこで堀北は、この毒に対して過剰に反応しない免疫細胞を作り出すことを考えた。その細胞さえ作ることができれば、それを人間にも応用し、スズメバチに刺されても過剰反応しない免疫システムを作ることができる(もっとも、臨床試験という壁をクリアする必要はある)。

 三つ目の実験は、簡単に言ってしまえば合成生物、キメラの制作である。計画では、コウモリとマウスを合体させ、体はマウス、手足はコウモリという人工生物を作り出すことになっている。コウモリのDNAは既に入手しており、これをまずPCRで増やす。そして十分増やしたところで、マウスに導入する。具体的には、まずマウスの手足を作る遺伝子をノックアウトし、そこにコウモリの手足を作る遺伝子を導入する。堀北にとってはこちらの実験がより重要だった。

 マウスの子宮から卵子を取り出す。その卵子の核を放射線で破壊し、そこに人工的に合成した核を入れる。堀北の技術力なら難しいことではなかった。

「誰だ!」

 窓の外に気配を感じた。急いで窓を開けるが、もう誰もいない。

 気のせいか…。最近睡眠時間を削ってまで実験を行っているから寝不足か…。

「准教授、アガロース切れちゃったんですけど…。何だこりゃあ?」

 その声で振り返る。そこには近藤君の姿が。

「こ、これ。アリですよね…? でも何で毒針が腹にあるんですか? 准教授、一体これどうやって…」

 堀北の実験がバレた瞬間だった。窓の外の人物に気を取られてしまい、学生が自室に入ってくるのに気が付けなかったのだ。

「近藤君、こ、これは違うんだ」

 説明しても無駄だろう。堀北はそう思った。しかし近藤君は、

「准教授の真の実験ですか? これは面白そうですね」

 と言う。

「何だ君は。私のことを非難しないのか?」

 聞き返す。

「どうして? 僕は准教授のことを尊敬してるんですよ? 准教授の実験の先が見てみたい。僕はそう思います」

 堀北は近藤君に対し、実験のことを説明した。

 近藤君の目は輝いている。

「それは面白い! 是非僕にも手伝わせてください!」

 近藤君の熱意は本物だろう。そうでなければ堀北の実験の説明なんて途中で聞くのをやめる。

 しかし堀北は万が一のことを考えており、

「駄目だ。この実験は私一人で行う。もし君が関わってしまったら、きっと世間から冷たい目で見られる。近藤君、君はまだ若い。それなのに科学者として失格の烙印を押されてしまうぞ。君の将来を私の研究で奪いたくない。君は君自身の研究をするべきだ」

 そう言うと近藤君は諦めたようで、

「…わかりました。ならせめて、結果だけでも教えてもらえますか? 僕は誰にも話しませんし、いいでしょう?」

「わかった。誰にも話さないという条件でなら、教えてあげよう」

 堀北の部屋を出る時、近藤君は、

「でも一体何が、准教授にそんな実験をさせるんですか?」

 そんな疑問を投げかけてきた。

「そうだね。私は、人類のためになる研究に人生を捧げるつもりだ。それに加え、科学者として己の限界に挑戦するつもりでもある。狂っていると笑ってくれていい」

 堀北は客観的に見ても自分のことを変わっていると思っている。だが変わっているならそれでいい。長所を伸ばすことは悪いことではないのだから。理解されなくてもいい。

「そんなことないですよ、准教授。結果、楽しみにしてますよ」

 近藤君は堀北のことを笑わず、応援してくれた。

 堀北は実験に戻った。近藤君は味方になり得る人だ。

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