第八話 マッドサイエンティストの結末

 悲劇は一か月後、夏が明けた時に起きた。

 何やら実験室の方が騒がしい。堀北は様子を見に行った。

「一体どうし…」

 意図せず口が閉じた。実験室銃を飛び回る蚕。

 学生たちには与えていない。というか冷蔵庫にずっと保管してあったはずだ! 何故ここにいる?

「これは、どういうことかね橘川さん?」

「わかりません准教授。育てていた蚕が成虫になった途端、飛び出したんです!」

「それは見ればわかる。この蚕、どこで手に入れた!」

 甲斐君が答える。

「一か月ほど前、金田さんと一緒に准教授の部屋で…。普通の蚕の卵だと思ったんです…」

 何ということか。学生たちが自分の部屋の冷蔵庫に保管してあった卵を勝手に持ち出していた。

「と、とにかく、今は全部捕まえるんだ! みんな手伝ってくれ。一匹も外に逃がしてはいけない!」

 学生たちが蚕を捕まえる。堀北も一緒に捕まえる。

 だいたい捕獲しただろうか。実験室の隅々まで確認する。

 いない。もう大丈夫だろう。

「甲斐君、来たまえ。君は勝手に私の部屋に入って、蚕を取って来て育てたということか?」

「は、はい…」

 これが橘川さんか近藤君なら、堀北の実験の一部を知っているからやりやすいのだが…。甲斐君には何も見せたことがない。叱るべきか。だが報復として外に漏らされたら厄介だ。

「それと金田さんも」

 金田さんを呼ぶ。が、返事がない。

「おい、さっきまでいたよな? どこに行ったんだ金田さんは?」

 学生の数を数える。十人しかいない。一人足りない。

 実験室のドアが開いた。金田さんがいる。外に行ったのだ。

 堀北は金田さんの横にいる人を見て驚愕した。

「え、遠藤教授…」

 堀北の上司だ。この人には頭が上がらない。

「堀北准教授、これは一体どういうことかね? 金田さんの言うことが正しければ、この蚕は卵の状態で君の部屋の冷蔵庫にしまわれていたそうだが…。蚕が飛べるはずがない。君が遺伝子を操作したのか?」

 堀北は否定できなかった。言い訳が通じる相手ではないのだ。

「…確かに私が作った蚕です、教授。しかし一か月前のそんなハプニングが無ければこんなことには…」

「君の実験は大学に報告されていない。こんな実験の許可は下りていない。勝手な行動は一切許されない! それに合成生物を作るなんて、君は狂っている!」

 遠藤の言葉が堀北に突き刺さる。

 そうだ、自分は狂っている。

「とにかく、今日は大学に報告する。どんな罰が下っても君の責任だ。それと、まだ何か隠してはいないだろうな?」

 その言葉に一瞬動揺する。しかもそれを見ぬかれた。

「君の自室を調べさせてもらおうか」

 遠藤は堀北の部屋に入った。

「何だこれは!」

 そこにいたのは、自然界には存在しない数々の合成生物。植物も虫もある。何が入っているかわからないシャーレが積み重なっている。ここまで来ると芋づる式に、全てが明らかになってしまう。

「堀北准教授。君は一体何をしていたんだ? 何だこのマウスは? コウモリみたいな腕と脚があるじゃないか!」

 次に遠藤は本棚を探った。

「やはりあったぞ。このファイル、君が作った合成生物の研究レポートだろう? 証拠として押収させてもらう」

 遠藤は部屋から出ていった。今日のところはこれで終わりのようだ。いや、堀北自身の終わりでもある。全てがバレてしまったのだ。

「准教授、こんなことをしていたんですか? 何で黙っていたんです?」

 甲斐君に責められる。さっきとは立場が逆転している。

「これじゃあ、始末書では済みませんよ」

「…とは言ってもどうすれば…」

「何で実験したんですか? バレればヤバいような実験を。准教授の奥さんや娘さんのことを考えて下さいよ。こんな勝手な真似はできなかったはずです!」

 何も言い返せない。

「岩本教授みたいになりたいんだすか?」

 岩本教授。考古学科の教授だ。この夏休み以降連絡が取れていない。行方不明である。どこかの発掘に向かったらしいが、同行した学生は何も言わなかった。一部の学生の噂によれば、何かヤバいものを見つけてしまい、政府に消された…らしい。

「…みんな、今日はもう帰ってくれ」

 堀北は学生たちにそう言った後、自室に閉じこもった。


 何もかもバレてしまった。もう終わりである。大学は自分に重い罰を課すだろう。クビだけで済むとは思えない。

 机をバン、と叩いた。手が痛む。

 ここにいても意味はない。もう帰ることにしよう。堀北は大学を出て家に向かった。

「堀北永実さんですね?」

 何者かが話しかけてきた。ぎこちない日本語で話しているところをみると、外人だろうか?

「…そうだが?」

「今日は災難でしたね。あなたはもう大学には残れないでしょう。そこで一つ提案があります」

「? と言うと?」

「私の母国に来ませんか? あなたの技術力は日本では評価されない。でも私の母国なら認めてくれますよ」

 言っていることの意味がわからない。

「何を意味している? そもそも君は誰だ? 私は知らないぞ?」

「私はあなたのことを全て知ってますよ。調査済みですから」

「調査?」

「ええ。ここ数年、あなたの実験を極秘に拝見させてもらいました。私の研究施設に是非ともお招きしたい。あなたの家族も招待しましょう。何一つ不自由なく生活できますよ」

「しかし…」

「ここで罰せられて、科学者として死ぬんですか? あなたには家族がいるでしょう? どうなるんですか? 事態が大きくならない今の内ですよ」

 この外人が言うのも一理ある。このまま日本にいたら間違いなく自分は罰せられる。だったらこの外人の国に行って、思う存分実験するのも悪くないかもしれない。

「だが、私が裁かれないのはさすがに…」

「そっちの手配は済んでますよ。明日には証拠なんて全てなくなるでしょう。痕跡が無いんですから、裁きようがありません」

 この外人の国はかなりの力を持っているようだ。ここで逆らうと危険かもしれない。

「わかった。まず、どうすればいい?」

「家に帰って、荷物を全てまとめましょう。奥さんと娘さんには、国に着いてから全てを話します。心配することはありません。あなたの家族は賛成してくれますよ。そっちの調査もできてますから」

 堀北はこの外人と共に家に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る