第二話 加速する実験

 実験に使用する生物は、飼育が簡単であり、扱いやすいことが望ましい。その上、倫理に反するような実験はできない。悩んだ末に思いついたのが今回の実験。対象はショウジョウバエ。生物学の実験において、蚕と同じくらいよく使われてきた。染色体が八本しかなく、生活サイクルも短い。二十五度で飼育すれば一週間もしないで成虫になるハエ。いじりやすく、すぐに結果が得られるのだ。堀北にとっては絶好の実験対象。すぐに実験を開始した。

 今回堀北はショウジョウバエの翅を発現させる遺伝子をノックアウトしてみることにした。

 結果は成功。成虫になったハエには翅がなかった。

 その他にもさまざまな実験を思いついては行った。堀北が行った実験数は、年末までには数十件にもなった。これらの実験は堀北の技量を確かめるためだけに行われていた。


 さらに堀北は、本格的に遺伝子組み換え実験を行うことにした。堀北が注目したのは日本の食糧問題だ。先進国にしては低い自給率。これを自分の手で改善できないだろうか? そう思った堀北は、作物の栄養価を高めることを考えついた。

 最初の実験対象はトマトだ。トマトは他の植物とは違う中性植物なので、日照時間の問題を無視できる。一般に流通している苗すぐに購入し、これを一代目として栽培、花を咲かせた。

 受粉はさせない。まず葯に存在する精細胞を取り出す。その遺伝子に、より栄養価の高い果実になる遺伝子を導入、さらに色を黄色にする遺伝子も一緒に導入する。そうすれば遺伝子が発現するかどうかわかるからだ。そしてこれを培養。ある程度増えたら柱頭に受粉させる。結果がわかるまで実験室で育てる。この時、余計な肥料は与えない。そして今度は対照実験のために、通常の精細胞を別の株で受精させる。

 結果はすぐにわかった。上手く受精できなかった実もあったが、半分以上の果実が黄色になった。そして黄色になった果実は、通常の果実よりも栄養価が高くなった。

 しかし堀北はこの実験の結果は失敗だと考えた。通常のトマトよりも味が落ちたのだ。これではせっかくの栄養価が台無しである。不味いトマトは主婦にうけない。商品価値もないだろう。


 失敗したからと言って落ち込む堀北ではなかった。逆にこう考えた。次の実験は誰もが驚く実験にしてやろう、と。

 そうなると実験プランから見直す必要がある。よりインパクトのある実験、それは本来ならあり得ない遺伝子をある種に持たせること、言わばハイブリッドを作り出すことだった。

 この手の実験はいくら堀北でもタブーとしてきた。しかしトマトの失敗、実験への欲望から、自らそのタブーを破ってしまった。


 手始めに堀北は、オオミズアオという蛾を入手した。この蛾は蚕と同じヤママユガ科の昆虫だ。そしてその遺伝子を幼虫の脱皮殻から入手した。これを蚕に導入すれば、空を飛ぶ蚕ができる。

 机の上で話していても本当に実現するかどうかはわからない。すぐに実験に移す。蚕の卵から、翅の形成を支配する遺伝子をノックアウトし、そこにオオミズアオの翅を形成する遺伝子を導入する。この操作自体は上手くいった。

 蚕が成虫になるまでの一か月間。異常な行動をする個体はなし。ここまでは順調だ。

 やがて繭を作り、蛹になった。その蛹を衣装ケースに移す。飛ぶことができるなら、逃げ出す可能性があるからだ。本来なら存在しない生物を自然に放出するのはさすがの堀北でもできない。実験で生み出した生物は最後まで責任を取って処分することにしているし、それが研究者のモラルでもあると考える。タブーは破れてもモラルまでは崩せない。

 二週間が経った。蛹から羽化する。出てきた成虫の蚕は、翅が普通の個体よりも大きかった。この時点で成功と言ってもおかしくはない。

 蚕は翅を乾かすと羽ばたいた。力を入れていないのか、なかなか飛ばない。本来飛べない蛾なのだ、自分が飛べないことをわかっていておかしくない。だが飛んでもらわなければ困る。それが実験結果になるからだ。

 蚕は蛾尿した。それで体が軽くなったのか、次に羽ばたいた時、飛んだ。

「おお、成功だ!」

 堀北は自分でも驚きを隠せず、声に出してしまった。それに反応した学生が、堀北の部屋のドアをノックして言った。

「どうしました准教授?」

 慌てて蚕の衣装ケースを隠す、そして、

「何でもない、コーヒーをこぼしただけだ」

 嘘を吐いた。

「また研究室で飲んでるんですか? 薬品と混ざったりしませんかね、准教授? 前みたいにレポートにこぼしたら、どうなるかわかってますよね?」

 どうやら声の主は金田さんのようだ。昼間に蚕を観察するのは見つかるリスクが大きい。学生が帰った後にしよう。

 研究室の学生の実験をまた、切りのいいところで区切らせた。そして早めに帰らせた。

「蚕は?」

 急いで自室に戻る。衣装ケースを覆っている布を撒くり上げる。すると、

「おおお、素晴らしい…!」

 衣装ケースの中の蚕は全部が自由自在に飛んでいる。雌は雄より体が大きい分、飛べないかもしれないと思っていたが、その心配は無用だった。

「大成功だ。この個体の子孫は残しておこう」

 堀北は蚕に交尾させると、卵を冷蔵庫に保管した。蚕は成虫になると口や消化器官が退化するため、餌を食べず餓死する。最後の個体が死ぬまで見守った。

 実験が成功すると、さらなる実験をしたくなるもの。堀北もそうだった。

 さらなる実験を模索した。

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