第六話 獣の言葉

 しかしアダムス中尉の部隊は半分に減っており、しかも負傷者が半数を占めていた。

「まさか、こんな…。俺が判断をミスっただと?」

 これではここも維持できなさそうである。他の場所に逃げるべきだった!

「援軍が来るのはいつだ?」

「早くても明日の朝だそうだ…」

 ブラッドは時間を確認する。今午後九時だ。あと半日、耐えきれるのか?

 無理だ。

「逃げるしかない」

 アダムス中尉が言う。ブラッドもそうしたいところだ。

「だけど兄さん、負傷者はどうするの? こんな人数で逃げても追っ手にすぐ追いつかれる。それに後方にはガンシップもいるんだよ?」

「…ミハエル。俺だってやりたくはない。だが、全滅よりも生き残ることが最優先だ」

 アダムス中尉は言った。

「負傷者は、置いていく…」

 すぐさまブラッドが反論する。

「おい見捨てろってのか? 仲間を?」

「そうしないと生き残れない。この戦いに負けるよりマシだ!」

「仲間を見捨てて生き残るのがお前の部隊の流儀なのか!」

「うるさい! お前だってジャクソンを見殺しにしただろう!」

 ブラッドはそれに反論できなかった。

「中尉! 森にあんな獣がいるなんて誰も想像できないわ! ブラッドだってしたくて見殺しにしんじゃない!」

 エールがブラッドを擁護した。

「そうだよ! それに中尉、前にこういう状況になったことはないの? そう簡単に諦めないでよ!」

 グラディーも加勢する。

「俺だってそう簡単には諦めたくはない! だが、退路も断たれ、負傷者も多いこの状況、体験したことがない…」

「それじゃあ、やはり…」

「兄さん。場所があれば何とかなる! どこか探して!」

 ミハエルが叫ぶ。

「無理だ…。敵は追ってくるし、後ろにもいる。応援は朝にならなければ来ない…」

 駄目なのか。負傷者を見捨てるしかないのか。誰もがそう思ったその時だ。

「場所ならあります」

 茂みの中から音がした。

「誰だ?」

 茂みからそれは出てきた。

「あれは…あの時の森の獣?」

 そうだ。昨日の夜、仲間を殺した生物。スコープに映し出されたあの姿。それが目の前にいる。

「うわああ!」

 部隊から悲鳴が上がる。昨日の夜の惨劇の現場にいた者なら誰でも叫ぶ。

「下手に動くな! こういう動物は逃げようと背中を見せる奴を追う習性がある。ジッとするんだ」

 ブラッドが叫ぶ。

「グラディー、リボルバーをくれ」

 グラディーからリボルバーを一丁受け取る。それをブラッドは空に向ける。

「威嚇射撃の音で逃げてくれれば…」

 そうならこの獣を殺さないで済む。

 撃鉄を起し、空に向けて発砲するためにトリガーを引こうとした瞬間、

「あくまでも森の生き物を殺そうとしないその姿勢、気に入りました」

 ありえないことが起きた。森の獣が喋ったのだ。

「何で言葉を話せるんだ? ってかコイツは何だ? 俺の知っている動物には何にも当てはまらない!」

 アダムス中尉が焦って言った。

「私は森の守り神です。言語を話しているのではありません。あなた達にわかるように、脳に直接話しかけているのです」

 ということはテレパシーか何かで会話しているということか。

「私について来れば、誰も死なずに済みます。さあ、どうぞ」

 森の獣は奥に進んだ。

「おい、どうする?」

「ついて行くんですか中尉?」

 部隊は混乱している。当たり前だ。さっきからありえない現象が起きているのだ。追い詰められた極限状態、みんなで同じ幻覚を見ているのではないかとも思うくらいだ。

「どうするブラッド?」

 エールの言葉にブラッドは答えた。

「ついて行ってみよう。ここにいるよかマシかもしれない」

 援軍が来るまで持ちこたえられないのだ、この獣が本当に守り神なら、自分たちを守ってくれるかもしれない。それに賭ける。

 ブラッドが歩きだすと、

「おい待てよ、インガルス少尉!」

 アダムス中尉もそれに賭けたのか、部隊について行くように命令した。

「だけど、こっちに行くと空軍基地からさらに離れるよ?」

 グラディーが地図を見ながら言う。

「…黙って歩け」

 ブラッドは森の獣の後を追った。


 ほんの数分歩くと木々の開けた場所についた。そこの中央には泉がある。とても静かな場所だ。

「おかしい。絶対に変だ。ここにこんな場所、あるはずない。地図に載ってないんだぞ?」

 アダムス中尉が疑問を投げかける。

「大変だよブラッド! レーダーが機能しない! 無線もつながらない!」

 電波が攪乱されているのか?

 ブラッドは森の獣と対面し、尋ねた。

「ここは、どこなんだ?」

 森の獣は答えた。

「この森の聖域です」

「聖域?」

「そうです。かつては世界中にありました。しかし人間の森林破壊のせいで、地球上にはもうここしか残っていません。ここは通常、人間は入れません。私が特別にあなた達を入れてあげているのです」

 ここと同じような場所がかつては世界中に? その他にも疑問は浮かび上がったが、ブラッドは先に聞きたいことを言った。

「どうして、俺たちを案内する?」

 そこがわからない。森にすむ生き物にとって、自分たちは邪魔者のはずだ。それなのにどうして入れる?

「まず一に、あなた達は森の侵略者ではないことがわかったからです。特にブラッド、あなたは今までに一度たりとも戦場で人間以外の生物を殺していません。過去に出会った生物は全て見過ごしてますよね」

 言われてみればそうだ。今までいろんな戦場に足を運んだ。だがそこでは敵兵以外殺したことはない。殺す必要のない生物は見過ごすと決めているからだ。

「さらに、あなた達は困っていました。場所も時間もなく、どうしようもない状態のあなた達を何故か私は放っておけなかったのです。ここは私が許可しない生物は入って来れませんし、場所も認知できません。泉の水には怪我を治す効果があります。負傷者の手当てにどうぞお使いください」

「なら、遠慮なく使わせてもらうよ」

 ミハエルがそう言い、負傷者の手当てを始めた。グラディーや健全な者はそれを手伝った。

「それに、私はあなた達に謝りたい。昨晩、私はあなた達の仲間を一人、殺してしまいました。あの時私には、あなた達が何者かわからず侵入者だと思ってしまったのです。もっとあなた達のことを観察すべきでした。軽率な行動、謝罪します」

「ジャクソンの死体はどうしたのよ?」

 今度はエールが口を開いた。

「彼は、私が勘違いに気付いた時には既に亡くなっておられました。遺体はもう既に埋葬しました。彼の帽子だけ、ここに取っておいてあります。遺族に渡してあげて下さい」

 帽子をアダムス中尉が受け取った。

「一つ聞きたい。もし俺があの晩にあんたのことを撃っていたら、あんたは今どうした?」

 ブラッドは尋ねた。すると森の獣は答えた。

「撃つことなどできなかったし、する気もなかったでしょう。動物を愛するあなたには」

 当たり前のように言う森の獣。だがブラッドにはその答えが心に残った。

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