NM20170130

限界があるから学ぶことに意味がある。

限界がなければ「いつでも学べる」。

「いつでも学べる」ことは「いま学ばなくてもよい」ということだから、

けっきょくのところ「学ぶ意味がなくなる」。



自分にとって「ぜったいにこれだけがただしい」ということを見つけること。

根本では徹底的に独断的になること。

であればこそ、ほかの「正しさ」を知ってゆくことができる。



「助かりたい」と思ったときにはすでに助かっている。

それが「信じる者は救われる」ってことの意味だよなあ、ほんとうの意味。



たとえばもしも○○が「神はいない」と言ったとして。

あんなにも私に愛をくれたひとが義とされないことなど、ありうるのだろうか。

私は○○の愛を受けて全身が変わった。神さまのほうを向けた。

たとえ○○が無神論者であったとしてもだよ。

私を神さまのほうに向かせた彼が義とされないならば、そんなのはおかしくないだろうか?

文化や時代背景の違いだけだというのに、そんなのはあまりにも理不尽だし、いったい神さまはそのようなおかたであろうか?

愛を知り愛を行う人間をたかだか人間の制約による具体的文化の事情なんかで義としないなんて、それはそれで、人間の傲慢なのでは?

……傲慢なのは私、なのだろうか。人間はみんな罪深くはあるけれども。でも、そんなのはおかしいと思う……。



(××と××ちゃんと飲んできたわけだけれども。)

××はしばしば私を「痩せてたときは(すごく)かわいかった」って言うよねえ。

あれ前は喜ぶところなのかなって思ってたけれど、よく考えればとんでもなく失礼なことだよね。

いまはベストじゃない、って言ってんだから。過去がベストだ、って言ってんだから。

そんでもってそういう呪いを私にかけ続けていたわけだ。あのひとは。

痩せろ痩せろとうるさかったし。

もしかしたら、私ではなく過去の「美少女高校生」とつきあえるってくらいの感覚だったのかもな。

もちろん痩せたほうがいいと思うよ。いまでも。

でもそれは子どもを産みたいからっていうのがいちばんで、○○の隣にいてもっとかわいい存在になりたいというのがにばん。

○○は「無理して女の子らしくならなくていい。俺の彼女なんだからかわいいに決まってるじゃん」って抱きしめてくれた。

さすがに、だれにも言っていない。当然のことだけれども。もったいないもん。

でもしばしばあの瞬間が思い浮かぶ。きょうも、すこし無理やりに上野東京ラインを理由にしてひとりホームを移動したとき、ぼんやりと。

痩せていたときのほうがかわいかったんだろうし、○○がそう言ってくれるからってぶくぶく太るつもりはない。

○○がそう言ってくれるからむしろ痩せようと思える。

……ほんとは、○○とほかのひとを比べることすらしたくないし不適切だと思う。○○は、ほかの全体とは決定的に異質だから。

……あー。○○が「私と私以外」にざっくり世界を分けていることにびっくりしたくせに、私も、おんなじようなもんなのかもなー……。

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