考えすぎ、ということについて
思うんだけど、考えすぎてるひとに「あなたは考えすぎてるよ」と言って、なにかいいことはあるんだろうか。
こっちにとっては見えないかもしれないけど、相手にとっては妥当で正当であるから、考えているだけではないのだろうか。
「考えすぎだよ」は、善意から出発してる場合もあるのかもしれないけど、一種暴力だと思う。
「考えすぎではない」ことを証明するのはなかなかに困難だからだ。説明では、なかなかわかってもらえない。
それぞれに地獄はちがう。
私もなんどとなく「考えすぎだよ」と言われてきた。
だがそれは向こうが気持ち悪かっただけなのでは?
複雑な家庭に育った人間とか、もともと意思疏通が困難だったとか、共感能力がないとか、理解できず、あるいは認めたくなかったのでは?
均質化することになんの意味がある?
そっちは、安心するかもしれない。こっちには、なんのいいこともない。ただ地獄の暗さがまたひとつふかくなる。それだけ。
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