月見酒

 あれから一ヶ月。両親からは週に一度くらいの頻度で電話が来た。それまで試したことはなかったが、一度姿が見えれば電話で声も聞こえるらしい。

 九月も半ばになり、少しずつ暑さが和らいできた、なんて話をしたけど僕には分からない。

 適当に時事ネタのまとめをした記事をサイトにアップして一息つく。

 この一ヶ月、思いつくままに様々なテーマで記事を書いて閲覧者の数と反応を見ている。

 その日のプロ野球の見どころと結果予想、政治家の不祥事の顚末、猫の一日の密着取材、妻の手料理とレシピ。

 閲覧数が多かったのは不祥事のまとめで反応が良かったのは猫の一日だった。

 政治家とケイちゃんにばかり頼ってもいられないので、何か策を講じなければ。


 家の中をうろついたりテレビを見たりしてネタを考える。

 九月は特にイベントもないと思っていたが、世間は十五夜、お月見というワードで必死に盛り上げようとしている。

「絵美、お月見ってしたことある?」

「え? うーん。子どもの頃はあったかなあ。やる?」

 腕まくりをしてやる気をみせる。イベント事に夢中になるとなぜか男らしさを発揮する嫁だった。

 単なるネタ探しだったんだけど、とは言えない空気になってしまったので頷いておいた。


「お月見といえば団子!」

 戦闘モードに入った絵美は買い出しを済ませて一心不乱に団子を作っている。

 その間に僕はアウトドアチェアをベランダまで運んでいる。普通に運んでいたら時間がかかるので、以前発見した方法を使う。

「ちょっと、それびっくりするからやめてよ」

 浮遊していたら台所から怒られた。仕方なく地に足つけてゆっくり運ぶ。遅すぎてケイちゃんにも追い越され、窓際でこちらを見ている。待っていてくれるのか、早く窓を開けろと言いたいのか。

 一度アウトドアチェアを置いて先に窓を開ける。ケイちゃんがベランダに出ようとしたところで、

「あ、ちょっと待って」

 と窓を閉める。先にレジャーシートを敷かないと。

 のろのろとレジャーシートを運んでベランダに敷く。

「はい、もう出ていいよ」

 声をかけるとシートの上を歩き回り、良いポジションを見つけたようで気持ちよさそうに横になる。

 僕も猫になりたい、と思いながら再び重いアウトドアチェアを運んだ。


 日が暮れて辺りが暗くなった頃、団子と冷酒を持って準備万端の絵美がベランダに現れた。残念ながら以前のような浴衣ではなくTシャツにジーンズのラフな格好だった。

「なんかごめんね。いつも私ばっかり食べたり飲んだりしてて」

「気にしないでよ」

 買い出しも料理も手伝えないから、そのくらい好きにしていてくれた方がこっちも気が楽だ。

「でも飲みすぎないでね。さすがにベッドまで運ぶのは難しいから」

「大丈夫よ、私軽いから」

 グッとお猪口を煽る。団子を食べてまたお酒を注ぐ。

「にゃあ」

 ケイちゃんが物欲しそうに絵美を見て鳴く。本能的に許可を得るべき相手を理解していた。

「ケイちゃんはこっちね」

「にゃ……」

 団子は食べさせちゃいけないらしいのでカリカリを与えた。ちょっと不満そうだが黙々と貪る。


「ちょうど良かったね。今日が満月で」

 月の満ち欠けなど確認する暇もなく思いつきで始めたので、ここまでして新月だったらどうしようかと思った。綺麗な満月でよかった。

「ちょうどじゃないもん。本当は前から考えてたんだから」

 頬を赤くした絵美がつぶやく。

「健斗君から言ってくれたのはびっくりしたけど、私は最初から今日こうしてお月見するつもりだったんだよ」

「そうだったの?」

「じゃなきゃ、お団子なんて普段作らないのにすぐ出来ないもん」

 月を見ながら冷酒を注いですぐ空ける。ちょっとまずいかも。

「ちょっとお酒ストップ」

「なんでよー」

 文句を言う絵美の手からお猪口を奪う。

「さ、それより話続けて」

「うー……。なんだったっけ。そう、だからね、最近あんまりイベント事ってクリスマスくらいしか意識してなかったじゃない」

「まあ学生の頃からの付き合いだからね」

 僕と絵美は高校の頃から付き合い始めた。最初のうちは学校行事も世間のイベントも楽しんで片っ端から回っていたが、お互い大人になり、徐々に落ち着いた付き合いをするようになっていった。


「でも健斗君が死んじゃって、すごい後悔したの。あれもやりたかった。これも一緒に見たかった。そんなことばっかり考えてた」

 ケイちゃんがお猪口を転がして遊んでいる。絵美に持たせているよりは安全か。

「だから、これから……、もっといろいろ……」

「いや、ちょっと、待って待って」

 良い話なんだけど。その手に持った徳利はどうするつもりだ。

「なによー。まだ途中でしょ」

 徳利に口をつけてそのまま飲み始めた。やばい。

「分かった。分かったから、もう部屋入ろう」

「分かってない! だから……」

 何かを言いかけて、突然止まる。

「絵美。絵美さーん」

 徳利が手から滑り落ちる。地面に着く直前でなんとか掴んだが、すでに中身は空だった。

 絵美は座ったまま目を瞑っている。小さな呼吸音だけが聞こえる。

 完全に眠っていた。

「ちょっと、頼むから。せめて部屋までは自分で行って!」

 声をかけて肩を叩く。それでも反応はない。

 嘘でしょ。本当に僕が運ぶのか。物と違って落とすわけにはいかないのに。


 途方に暮れて空を見上げる。月は変わらず綺麗だった。

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