生きててくれて

「……はい。はい、分かりました。明日伺います」

 PCを操作していると絵美のスマホが鳴った。それからしばらく話をしていたが終わったようだ。

「健斗君。私、明日のお昼ちょっと出かけるから」

「はーい。仕事?」

「ううん、違うよ」

 声色から仕事の話かと思ったが、違ったらしい。

「電話は健斗君が助けた猫の里親の方から。ちょっと猫を飼うのが難しくなったみたいで」

 事故の時に僕が助けた白猫。あいつは恩義を感じたのか、僕が死んだ時、一緒に救急車に乗って病院まで付き添ってくれていた。

 さすがに病院内には入れてもらえなかったようだが、律儀に入口前で待っていたらしい。それに気づいた看護師さんが里親を探してくれて、今はどこかの家で飼い猫として暮らしていると聞いている。


「それじゃあ、また里親募集中?」

「まだ詳しくは聞いてないけど、そうなるかも」

 絵美が悲しそうに答える。恩着せがましいことは言いたくないが、文字通り命がけで助けた命なのだから無碍に散らせてほしくはない。


 翌日。絵美が里親の話を聞いて帰ってきた。

「にゃー」

 あの白猫を抱えて。

「おかえり」

「ただいま。あのね……」

 なぜか気まずそうにしている。僕は猫好きだし、飼うにしろ預かるだけにしろ大歓迎なんだけどな。

「この子、うちで飼うの?」

「うん。あの、里親の方がね、体を悪くしちゃって入院するんだって。だから飼ってくれる人を探してたらしいんだけど」

 そっと猫を下ろす。僕は猫に触ろうとするが、猫はずっと絵美の足元を離れず、こちらには見向きもしない。

「なんか、すごく懐かれちゃって……。飼ってもいいかな?」

「もちろん」

 即答すると絵美は意外そうな反応をしていた。反対されると思ってたようだ。僕が猫好きなのは知ってるはずだけど。

「そう……。じゃあ、よろしくね」

 にゃー、と猫も挨拶するように鳴く。


 じゃあ私買い物行ってくるから、と絵美は出かけていった。

「お前も大変だなぁ」

 床で大人しく座っている猫を撫でる。一応触ることは出来た。里親のところでは大事にされたようで、毛並みも綺麗だし、人に怯える様子もない。

 それにしても、なぜ絵美はあんなに浮かない顔をしていたのだろう。彼女も猫は好きだったと思うが。今もこの子の餌や飼うための道具一式を買いに行ってくれているし。

「そういえば名前を聞いてなかったな」

 帰ってきたら聞いてみよう。この子の名前も、あの表情の理由も。


 二時間ほど過ぎて、両手いっぱいに荷物を持った絵美が帰ってきた。

「すごい馴染んでるね」

「なんかここに落ち着いたみたい」

 僕は椅子に座ってまた仕事探しをしていた。猫はテーブルに乗って、PCの隣で丸くなっている。

「餌とかケージとか買ってきたよ」

「ありがとう。ごめんね、荷物持ちも出来なくて」

 絵美は買ってきたものを袋から出して、置き場所を考えている。

「あのさ、絵美はこの子を飼うの、嫌だったりする?」

「そんなことないよ」

 意を決して聞いてみたが、あっさり否定された。

「でも、ずっと微妙な顔してるから。あ、世話だったら僕がするよ。ずっと家にいるんだし。ちゃんと触れるみたいだし」

 それでもまだ少し困ったような顔をしていた。やっぱり何か気になることがあるのか。

 絵美は一度こちらに向き直って、真面目な顔になった。

「私はね、この子を見たら健斗君が事故の時を思い出して辛いんじゃないと思ったんだけど……」

「あー……」

 考えてもいなかった。

「なに、その反応。もしかして少しもそんなこと考えてなかった?」

「う……、はい」

 正直に答えると、絵美ははあーー、と大きいため息をついた。

「もう、本当鈍いというか、自分のことになると雑っていうか。私ばっかりぐちゃぐちゃ考えて、馬鹿みたいじゃない」

 ごめんなさい。猫可愛いなあくらいしか考えてなかったです。


 絵美が怒ってると思ったのか、猫はテーブルから降りて絵美の足元にすり寄る。絵美は、怒ってないよ、と言いながら猫の頭を撫でた。

「そういえばこの子、名前は?」

「前の里親さん、名前はつけてなかったんだって。女の子らしいけど」

「なら許す」

 彼女の足にぴったりくっついている猫を見て呟く。

「なに嫉妬してるの」

 馬鹿らしい、と笑われた。まあ、やっと笑ってくれたから良しとしよう。

「名前考えなきゃね」

「ケイちゃん、でいい?」

「いいけど、なんでケイちゃん?」

 里親は名前をつけてなかったそうだけど、さっきの買い物中に考えたのかな。

「健斗君の命を生きてる子だから、健斗君の名前から取ろうと思って。頭文字でケイちゃん」

 僕の命か。あの時死ぬはずだったこの子が、僕の命を使って生きているんだ。

 僕は椅子から降りて、ケイちゃんを撫でる。

「ケイちゃん、よろしくね。それから、生きててくれてありがとう」


 僕は死んでしまったけど、この子が僕の代わりに生きていてくれる。いつかは死んでしまうけど、それでも僕の命は無駄じゃなかったんだ。

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