夏といえば

「暑ーい……」

 僕の仕事を探し始めて数日が経った。今日は仕事が午前で終わった絵美は、帰ってきて荷物を置いたらすぐさま扇風機をつけて寝転ぶ。

「健斗君、エアコンつけてー」

「はいはい」

 テーブルの上にあるリモコンを、持たずにボタンだけ押して冷房を入れた。持ってボタンを押して置くまではぎりぎり時間が足りないのだ。

「ありがとー……」

 屍と化した嫁からお礼を言われる。死んでいるのは僕の方だけど。

「ていうか、健斗君暑くないの? もう八月なんだよ」

「いや僕もう暑さとか感じないし」

 一ヶ月前、七月に死んでから一度も暑さを感じない。汗もかかない。

「ずるい! なにそれ」

 不満を力に変えて屍が蘇った。なにそれって言われても、幽霊なんだしそういうもんでしょう。

「だからごめんね。部屋涼しくしとこうって思いつかなくて」

「それはいいけど。電気代節約になるし」

 嬉しいような悲しいような。早く仕事を見つけなければ、絵美がどんどん貧乏性になってしまう。


「なんか夏らしいことしたいね」

 復活して素麺を食べながら絵美がそんなことを言う。

「夏らしいことってなんだろ。怪談話とか?」

「幽霊と怪談話ってどんな状況……」

 一蹴された。

「海とかプールとか行ければいいんだけどね」

「それじゃあ私一人で水遊びしてる可哀想な人じゃないのよ」

 ちゃんと試してはいないけど、今でも他の人には僕の姿は見えないだろう。二十五歳の未亡人が一人海にいるとか、自殺しそうなシチュエーションにしか思えない。

「二人で水浴びしたいなら一緒にお風呂入る?」

「馬鹿」

 また一蹴された。夫婦なのに……。


 夏らしいこと。全然思いつかない。僕も生きてた頃は、暑いとか海行きたいとかいろいろ言ってた気がする。でも幽霊になってから夏らしさを感じる場面がなくなった。

 暑さを感じないのはありがたいが、少し寂しさもある。

「そうだ、花火大会!」

 絵美が突然明るい声を出す。

「ああ、そういえば今日だっけ」

「そうだよ。ベランダから見えるはず」

「ここからでいいの?」

「それは、私に、一人で寂しく花火を見に行けって、言ってるの?」

 やばい。また怒らせた。学生の頃から付き合い始めて結婚までしてるのに、未だに沸点が見極められない。

「ごめんなさい。一緒に見たいです」

「よろしい」

 こうして夜の予定が決まった。


「そこまでしますか……」

 花火を見ると決めてからの絵美の行動力は凄まじかった。

「花火大会といえば焼きそば!」

 と言って買い出しに行って焼きそばを作り、

「花火大会といえば浴衣!」

 と言っててきぱきと浴衣に着替える。浴衣ってあんなに俊敏に着替えられるものなのか。僕としては浴衣姿が見られて嬉しいけど。

 ちなみに僕も甚平に着替えさせられた。幽霊なのになぜか服は着られる。というか、着た物が僕に同化して、脱ぐと実体に戻る。

 さらに絵美は、

「花火大会といえば思い出!」

 と言ってデジカメまで持ってきた。

 だが、ここで疑問が一つ。

「……僕、写るのか?」


 結果から言うと、だめだった。普段から鏡にも写らないのでそうだろうとは思ったが。

「あーあ、せっかく二人とも着替えたんだし、写真に残したかったんだけどな」

「まあまあ。一緒に見られるんだし、それでいいよ」

 絵美は残念そうにしているが、僕はこれで良かったとも思う。死んでる人間とのツーショットなんて、人に見られたら何を言われるか。

「うーん、そうだけど……。って、何撮ってるの」

「だって絵美は写るんだし、せっかくの浴衣姿だし」

 カメラを落とさないように、テーブルに置いてシャッターを切る。

 絵美は二人で撮りたかったようだが、僕にとっては絵美の浴衣姿が撮れるならそれでいい。

「まあいいけどさー。もうすぐ花火始まるよ」

 カメラに背を向けてベランダへ出ていく。綺麗な格好をしてるのに、手に持った焼きそばと缶ビールのせいでどこか男らしかった。


「綺麗だねー」

「君の方が綺麗だよ」

「今そういうのいいから」

 遮られたので、しばらく黙って二人で花火を眺める。

「健斗君はさ」

「うん?」

 絵美が空を見上げたまま話しかけてくる。


「いつまでここに居られるの?」


 普通、こういう場面なら花火の音にかき消されて聞こえないっていうのがセオリーなのに。ちょうど音の合間に言われたのでばっちり聞こえてしまった。

「どうなんだろうね……。正直、全然分かんない。なんで今こうして居られるのかも分からないし」

「そう……」

 絵美はそれだけしか言わなかった。正直に話しすぎて不安にさせたかな。

「でも、もし自分の意思で選べるなら、絵美が死ぬまで一緒に居たいと思ってるよ。いいかな?」

 まだ若いんだし、探そうと思えば新しい恋の相手を探すことだって出来る。そうなったら悲しいけど、その方が幸せなら僕には止めることはできない。

 そう思って聞いたのだけど、呆れたようにため息をつかれた。

「もう、本当馬鹿」

「えー……」

「私の気持ちはこの前言ったでしょ。あんな恥ずかしいこと、もう言わないからね」


『ずっと一緒にいてよ……』


 そうだ。そう言ってくれたじゃないか。本当に馬鹿だった。

「ありがと」

 それっきりまた黙って、花火を最後まで眺めていた。

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