とある平日

 ゴトッ。

 またやった。床に転がった掃除機を見てため息をつく。


 先日絵美が僕に触れた(叩いた)ことで、幽霊の僕でも人や物に触れることが出来ると気づいた。

 いろいろ試したが、絵美と僕はお互い触れることが出来る。皿や掃除機などの物も短時間であれば持つことが出来る。ただし、しばらく持っていると、急に触れられなくなって落としてしまう。皿一枚犠牲にして得た成果はそんなところだ。試したのが百均の皿でよかった。

 以上の実験の結果、絵美から一つの指令が下った。

「私がパートに行っている間、出来る限りでいいから家事をすること」

 現在、真島家は二人の貯金、僕の保険金、絵美のパートの給料で生活している。今のところはなんとかなっているが、今後を考えるとパートの給料だけでは難しい。絵美は正社員として働ける仕事を探している。

 そうすると今より家事をする時間が取れなくなるので、どうせ外に出て働くことができない僕に家事をさせようということになった。


 ただ、残念なことにこの2LDKの部屋を掃除するには、僕の接触時間が圧倒的に足りていなかった。数秒毎に掃除機を持っては落としている。掃除しているというよりは床をいじめているようにしか見えなかった。


「ただいまー」

 やばい、もう帰ってきた。

「おかえり、絵美」

 精一杯の笑顔で出迎える。絵美も笑顔だった。先日散々泣いたおかげで、あれからは笑顔で過ごせている。

 だが、リビングに入った瞬間、顔が曇った。

「これは……」

「ごめんなさい」

 素直に頭を下げる。床の上には掃除機が転がり、洗濯物が散らばっている。畳もうとした痕跡はあるが、ちゃんと畳んであると言えるのはTシャツ二、三枚程度だ。どうしても一回の接触時間で畳むことができず、中途半端な仕上がりになっている。

 この惨状を見て渋い顔になった絵美は、それでも笑顔を取り戻していた。

「まあ、いきなり上手くいくとは思ってなかったから。あとはやっとくから大丈夫よ」

「女神様……」

「やめて」

 あまりの格好良さに尊敬を通り越して崇拝しようとしたら止められた。でも完全に怒られると思っていたので本当に感動していた。うちの奥さん最高か。


 絵美はご飯を食べて、やりかけの洗濯物を畳んでいる。掃除機だけはなんとか僕が片付けた。

「ねえ、ちょっと思ったんだけど、PCのタイピングとかはどうなのかな?」

 着々と綺麗に畳まれる洋服を眺めていたら、絵美がそんなことを聞いてくる。

「タイピング?」

「物を持つのは、継続的に触れているじゃない。でもタイピングだと一回一回キーを押して離すから、ちょっとは長く触れるのかと思ったんだけど」

 考えたこともなかった。生前は仕事でPCを使っていたが、プライベートではあまり使っていなかった。

「ちょっと試してみようか」

「じゃあ、取ってくるから座ってて」

 今の会話の間に洗濯物を畳み終えていた絵美が寝室のノートPCを取りに向かう。

 余談だが、床に立ったり座ったりは幽霊になっても普通に出来ていた。もしかしたらそちらに力が使われていて他の物を触る時間が極端に短くなっているのかもしれない。


「え……。健斗君、何してるの」

 ノートPCを手に戻ってきた絵美が僕を見てどん引きする。

「いや、ちょっと思いついたことがあって……」

 僕は今、空中で寝そべるように水平に浮遊し、お茶の入ったペットボトルを持っている。先ほど思いついた、地面に触れていなければより長く物を触れるのではないか、という実験だ。

「見てこれ! もう三十秒くらいキープ出来てるよ!」

 今までは十秒も持たなかったのに、三十秒を越えてもまだペットボトルを持っていられている。この感動を伝えると、

「なんか、気持ち悪い……」

 という真逆のテンションで返された。

 ペットボトルが床に落ち、僕も床に降りてそのまま体育座りで落ち込む。

「ほら、そんなことより試してみてよ」

 絵美がPCの電源を入れて、僕を呼ぶ。渋々椅子に座ってキーとマウスに触れる。

 とりあえずブラウザで検索サイトを開き、適当な単語を入力して検索した。

「あれ、大丈夫そう、かな」

 ブラウザのアイコンをダブルクリックした時点でマウスには触れなくなったが、予想通りキーの入力は続けられている。

 ましまけんと、エンター。トップにニュースサイトのお悔やみの画面が現れる。

「ちょっと、他のにしてよ」

 やまざきえみ、エンター。余談だが、絵美の旧姓は山崎だ。

「ちょっと、旧姓やめてよ」

 僕らが通っていた高校のサイトが現れる。女子バレー部が全国大会へ行ったときの写真とメンバーの一覧が載っていた。

「わ、懐かしい」

 絵美は高校時代、バレー部で全国大会に出場していた。とは言っても絵美が特別上手かったわけではない。メンバーの中にものすごく上手い子がいたのだ。結局その子だけがプロ入りして今もバレーを続けているらしい。

「懐かしいね。でも今はそうじゃなくて」

 キーを操作してブラウザを閉じる。

「あ! 普通に使えてる!」

 そう、そっちだ。数分間のことだが、問題なくPCを使うことが出来ていた。

「うん、大丈夫そうだ」

「やったね!」

 絵美が自分のことのように喜ぶ。僕も嬉しくなった。

「これで、何か仕事できるね!」

「え」

 あれ、これそういう話だったの。

「なに、嫌なの?」

 ちょっと不機嫌になった。まずい。

「嫌じゃないです。ただ、そこまで考えてなかったというか……」

「だって、今時PCさえ使えれば何かお金稼ぐ方法あるでしょう。少しでも生活費の足しになれば私もパート続けられるし、家事も出来るし」

「なるほど」

 嵌められた気がしないでもないが。たしかにその方が良いかもしれない。家事をするよりは上手くできそうだ。


「じゃあ、早速」

 いくつか求人サイトを開いて仕事を探す。

 二人でああでもない、こうでもない、と言いながら、夜が更けるまで仕事を探したのだった。

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